「寒冷化による民族移動」「日本列島の人口推移」
縄文時代、後期から晩期にかけて、
東日本では寒冷化で植生が変わり、栗の林は無くなって行く。
他の木の実も同様である。
しかも人口は非常に多かったため、
非常なる食糧難となる。
そのため栄えていた三内丸山なども突如放棄された。
これは、4200年前頃のことである。
そして人々は温暖な近畿以西に移動して行った。
縄文前期はクニトコタチさまの時代である。
気候はどんどん暖かくなって行く。
すでに、東日本は温帯落葉樹(ブナ、クリなど)の森に、
西日本は常緑広葉樹(シイ・カシなど)の森に変わっていた。
その境目が、ちょうど琵琶湖のあたりとなっている。
縄文時代までは、この境が大変重要で、
東と西では、基底人種も違い、
またそのような植生から発達した技術や文化も、
微妙に違っていたと言える。
もちろん琵琶湖周辺では、
森の木々に始まり、人種や技術文化が混じり合って行く。
まことに、ヲシテに記されているように、
建国の地に相応しいのではないだろうか。
しかし縄文晩期、さらなる寒冷期に入る。
イサナギ・イサナミから始まり、アマテルカミの時代になって、
国は、さらなる均一化と安定化に向かって、
急速に進んでいく。
水田米作がしっかりと安定するのは、ニニキネ時代以後である。
ここからが弥生時代と言えるのではないかと、
私は考えている。