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2010年2月25日 (木)

ホツマツタヱ  14,15アヤより

14アヤは、初期妊娠時の胎内のありさまを記しています。

15アヤは、アマテルカミのお言葉です。 「ネ ニ アカ モ ナク」に注目。

それから下段は焼き塩の効用の説明文。 「ミ ノ アカ マヌカルル」という表現です。


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09:34 午後 ヲシテ文書原文 | | コメント (0)

2010年2月18日 (木)

ミカサフミ 「キツヨヂノアヤ」「タカマナルアヤ」より

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09:21 午後 ヲシテ文書原文 | | コメント (0)

2010年2月 5日 (金)

マンモス動物群と渡来ルート

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画像をクリックすると大きくなります。

 

石器時代の「食料としての馬」の調査結果が、1982年発表された。

上の「マンモスステップの動物群比」と、並べてみると面白い。

馬やバイソンは、トナカイよりも多く生息していたのだ。

また、アジアの西の端、ヨーロッパの玄関であるウクライナ(黒海の北)では、

トナカイと同じくらい馬も食べられているのが判る。


それに対して、東方の冷涼ステップの中心であったマリタ遺跡(バイカル湖のほとり)の分析では、

トナカイが大部分を占め、馬はほとんどといって良いほど食べられていない。

またこの地方の馬は小柄すぎて、肉としての歩留まりが悪い上、

トナカイほどの、巨大な群れも形成していなかった。

そして大変敏捷で賢いために、捕獲するのは容易ではなかったと思われる。

また、何か祭祀的な禁忌のようなものが、あったのであろうか・・・


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このマリタ遺跡からは、氷河期の終わり頃、

多数の集団(バイカル湖人とも呼ばれ、当時の本州の人数の約4倍という試算がある)が、

何回にもわたって大波のように押しよせ、

その人々が我々の祖先(特に東日本人)の基底をなしていく。

よって日本で馬が食料とはされないのも、不思議な話とは思えない。

また特に、トップの右図、赤で書いた文章・・・日本の土壌の特質・・・に注目頂きたい。


次の図はマリタ遺跡の位置である。

人々と共に細石刃石器群が東日本に伝わり、猛烈なスピードで広がったのは、

1万3千年前頃のことである。

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10:52 午後 参考画像 | | コメント (0)

2010年2月 4日 (木)

氷河期の日本列島・第四期洪積世後期

下図の薄い茶色の部分は、もちろん冷涼ステップと同じような草原でした。

当時の埴生の状態は、福井県水月湖、秋田県目潟の水底堆積物の研究により明らかになっています。

現代から、さかのぼって10万年分の花粉、プランクトン、火山灰etc.・・・が、

年ごとに縞になっていて、1年ごとに数えることが出来ます。

これを「年縞・ねんこう」と呼び、

その精密度は放射性炭素年代よりも、はるかに正確であることが、世界に先駆けて証明されました。

この分析により、降水量、水位の変動、地震、洪水、風向き、水質、はては、ダストの成分分析から、

中国大陸の古気候に至るまでが明らかになったのです。


                     → 「年縞」 安田善憲教授対談


もっと詳しくは、安田善憲氏のいろいろな著書を参照下さい。

ちょっと高価ですが、「稲作漁労文明」 (雄山閣)が、私のお勧めです。

 

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11:29 午後 | | コメント (0)

ホツマツタヱ 18−7

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11:54 午前 ヲシテ文書原文 | | コメント (0)