マンモス動物群と渡来ルート
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石器時代の「食料としての馬」の調査結果が、1982年発表された。
上の「マンモスステップの動物群比」と、並べてみると面白い。
馬やバイソンは、トナカイよりも多く生息していたのだ。
また、アジアの西の端、ヨーロッパの玄関であるウクライナ(黒海の北)では、
トナカイと同じくらい馬も食べられているのが判る。
それに対して、東方の冷涼ステップの中心であったマリタ遺跡(バイカル湖のほとり)の分析では、
トナカイが大部分を占め、馬はほとんどといって良いほど食べられていない。
またこの地方の馬は小柄すぎて、肉としての歩留まりが悪い上、
トナカイほどの、巨大な群れも形成していなかった。
そして大変敏捷で賢いために、捕獲するのは容易ではなかったと思われる。
また、何か祭祀的な禁忌のようなものが、あったのであろうか・・・
このマリタ遺跡からは、氷河期の終わり頃、
多数の集団(バイカル湖人とも呼ばれ、当時の本州の人数の約4倍という試算がある)が、
何回にもわたって大波のように押しよせ、
その人々が我々の祖先(特に東日本人)の基底をなしていく。
よって日本で馬が食料とはされないのも、不思議な話とは思えない。
また特に、トップの右図、赤で書いた文章・・・日本の土壌の特質・・・に注目頂きたい。
次の図はマリタ遺跡の位置である。
人々と共に細石刃石器群が東日本に伝わり、猛烈なスピードで広がったのは、
1万3千年前頃のことである。
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