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2005年10月27日 (木)

昔も今も・・・お世継ぎをどうする!?

kikunohana

先日、お世継ぎ問題で一応の見解が発表されました。

女性天皇容認。
お子のうち長子継承。


ということになりそうですが・・・さて?

この問題はこの国の精神的、文化的基盤にかかわる大問題なのです。
私としては、あくまで
男系男子を守りたいところです。

なぜならば、

伝統的に
継承は男性であったこと。
女性天皇は、次期天皇への引き継ぎが多かったこと。
また、そのお方はほとんど、元・天皇であられた方の皇后であったこと。

現実的にも、
女性皇太子のご結婚は困難であろうこと。

だって、ご結婚により皇籍を離れられることが決まっていた紀宮さまでさえ、
お連れ合いがなかなか決まらなかったんですよっ!
できたら、

皇統をさかのぼって、元宮家のお血筋の男性を立てられたら。
そう思うのですが・・・。

女性皇太子が独身で、天皇さまにおなりになってもお連れ合いが見つからなかったら?
そういう事態は起こりうると思うのですがねえ・・・?

元宮家のお血筋の方であれば、
一般庶民とは違う意識を知らずに身に付けておられると思うのです。
ご本人が好む、好まないにかかわらず、
この国では周囲の目がそのように育てるのですから。
「あの方はねえ・・・昔なら、宮家の方なのよ・・・」
そういう良い意味での人の目とか、噂にも慣れておられるんじゃないかなあ?

皇室という特殊な「ヲヲヤケ」のお立場や暮らしは、
本当に普通の人には荷が重いと思うのです。

現皇后さまや、皇太子妃がどんなにご苦労なさったことか。
みずから決定なされた道といっても、
それは、体力・精神力の限界を超えるプレッシャーではなかったでしょうか。
それでも女性だからこそ、背の君の愛情を頼りに、乗り切られたような気がするのです。

で、元宮家の男性を考えると、
プレッシャーはあろうとも、乗り切られる可能性は高い。
と私は考えます。

今上天皇のご即位の時、
ちまたの特にウルサイ方々は、
「あの戦後育ちで、帝王教育をされていない皇太子さまで大丈夫か?」
などと、憂いた方も多かったとか。
それに対し、

「高御座(たかみくらい)におつき遊ばされれば、
おのずから位に相応しい
稜威(みいつ)が備わっていかれるものです」

と、確か皇室に近い、元大名家の方が語っておられたのが、印象的で、
「へえ・・・そんなものか」と感心したのを覚えています。
そして、その通りになりましたよね。
これが日本の、いにしえから、今も続いている不思議なちからなのだと、
気がついたのは、ヲシテ文献を勉強し始めてからです。

雅子さまが少しづつご回復に向かわれているのは嬉しいことです。
健康を取り戻されることを願っています。

時代に合わないとか、そういう問題ではありません。

我が国の尊い伝統、思想、文化にかかわる、
国の品格の問題ですから。


世界で、日本という国が尊厳を保っていられるのは、文化と伝統の力です。
ただのお話、論ではなく、
それを存在する目に見える形として、全ての人々に顕しているのが、

万世一系の皇室なのですから。

世界でも唯ひとつだけ。
実権を持たない、象徴としての

建国以来途切れることのなかった天皇制度。
それは実に、6千年以上にも渡って続いているのです!

なぜか。

建国以来の歴史を記した、記紀の原本「ヲシテ文献」に記された
「アメナルミチ」を守っておられるからだと私は思っています。
見えない世界ですし、
意識になくとも、
それがこの国の
「ヲヲヤケ」いちばん大事なお仕事だったのですから。

具体的には「神祇」といわれていますが、
宗教ではないのです!

・・・うう。

漢字にしちゃったから、この辺が分からなくなったのですよね。


神祇つまり
「カンマツリ」は、祖先を祀ること、
つまりは大自然の法則を尊び、繋がる
ことだと、
ヲシテ文献からは推察されます。

「アメナルミチ」も、そのモトになっている大自然のパワーを読みとり、
その中で生きる方法を身に付ける
ミチなのです。

まず身に付けなくてはならないのは私ごころをなくすこと。
民の幸せのことだけを考え、祈り、見届けるお役目なのです。
だから、
自分を無くすことが要求されます。

皇位は、周囲に望まれてなるものが古来の形です。
ですからもう、運命のようなものなのではないでしょうか。

その辺を勘違いしたのがアマテルカミの弟ギミ「ソサノヲ」さん。
また
「ヲヲヤケ」を理解しないで、カシマダチを起こしちゃったのが、
その息子の
「オホナムチ」さんですねぇ・・・
お二人とも、幸いに後に深く悟って

カミ(祖の、称えられるべきヒト)
とお成りになりました。

良い本があります。

「天皇さま、お脈拝見」 元宮内庁侍医 杉村昌雄著 新潮社

もしかしたら、絶版になっているかもしれませんが古本で手に入るかも。
昭和天皇にお仕えした、とっても人間的な愉快なお医者さまで、
血の通った誠実そのものの昭和天皇さまのお人柄、
そして
お立場のヲヲヤケという厳しさがよく分かり、身にしみる本です。
  
他の民族、国はすべて、権力・武力で王となっています。
ですから、続いたとしても長い間ではない。
英国皇室でもそう長い伝統は無いのです。
武力、権力闘争のあげくになったわけで、血筋が続いてはいないのですね。

今は「男女平等論」がヘンチョコになっています。
人としての権利が平等であるということと、
男女の特質を区別するということは両立します。

その理解が本質的になされていないようですし、
浅薄な思慮の足りない人たちが、特に女性に増えているのが残念です。

カミヨ(祖先の世)の昔から、日本では男女は平等であり、
特質を生かして男女の役割を分担してきたのですが。

さーて。

皇位が絶えそうになった時。
ヲシテ文献でもその記録があります。

そして、皇統をさかのぼり、
人望もあった若き男性が
アマキミの位につかれました。
ご自分の望みからではなく、皆に望まれて。

それが
イサナギノミコト」イミナ(実名)タカヒトさん
だったのです。


また、後世にもその例があるのを、日本書紀に見ることが出来ます。

おしまいに、私、びーちぇは、
このような考えを持っていると言っても、
皇国史観などとは無縁・・・つまり、好きじゃないし趣味じゃないのよねぇ・・・で、
なぁーんの関係もないことをお断りしておきます。

 

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2005年10月25日 (火)

ふしぎな文字

 

Awauta

日本古来のヲシテの文字は、私にとって不思議なパワーを感じる字です。

五つの母音は、まず口の形を表しているそうです。
は、自然に大きく口を開け、は角張っている。
の三角は、口を前に突き出した形。は口をゆがめ、
は、ウより大きく形を変える・・・

また母音は、宇宙の成り立ちの五元素をあらわしているんですって。

五元素と言っても、うーんと後世に中国から伝わったものとは全く違うんです。
なにより成立が比べ物にならないくらい古い。
漢字のできる前なんですからね。

ヲシテ文献と現代の考古学を並べて検証してみると、
どうも・・・日本の建国は今から6000年以上も前のことと推定が可能なのです!
ことによると、8000年・・・いや・・・1万年かも。
考古学の更なる発見が待たれます。

中国の殷の時代より明らかに前です。

なんせ、ヲシテ文献によれば、

クニの西(中国Chinaと推定出来る)へ、建国期からアマカミの御子「カノミコト
クニサツチが技術指導に渡って行き、
住み着いたのがその御子で、「アカガタノトヨクンヌ」と呼ぶそうです。

トヨクンヌという名前を記紀で探してみると・・・日本書紀にだけありました。
古事記には・・・無い・・・それらしいお名前は「豊雲野神」だと?

ずっと後世・・・数千年経ってから・・・その血筋のヒメ「ウケステメ」
日本に留学して学び、帰国したとあります。
イサナギの姉(?)のココリヒメと共に、
イサナミの父「トヨケ
に学んだとありますので、
この留学は3000年以上の昔のお話。
中国では殷(商)が滅びてからのことと思われます。

そのヒメは後、「クロソノツミ」に嫁ぎ、
コンロンキミ」の母となり、
「ニシノハハキミ」と讚えられたとか・・・もしかして・・・西王母

「コンロン」崑崙とは、中国においては理想である神仙の住む不死の国で、
西王母はそこの主とされ、不死の木の実である三千歳(ミチトセ)のを、
時の中国皇帝にもたらしたとされています。

でね、ヲシテ文献では

ウケステメさんが再来日した時に、後の第10代アマカミ、
若き「ニニキネ」さんから、お土産に桃の実をもらって
「我が国には、花桃はあるけれど、実をつける桃はありません」と
たいそう喜んで帰国したと書いてあるんですっ!
すごい。

いずれにしてもこの西王母の中国神話は、陰陽五行説から起こったもので、
書かれた時代もウケステメさん時代より500年以上も後なのです。
また、
殷より前に「夏・カ」という国が現実にあったと最近分かりましたが、
面白いですよねっ!・・・ワクワクしてきます。
ついでですが、
現代中国ではのことを、国名としては「商」としています。念のため。

はい、この辺で系図です。
関係者には、オレンジ色の○をつけてあります。

夏の成立は今から4070年前だと中国政府は発表してますが、
ヲシテ文献の記事と合っているような・・・いないような?
「カのミコト」が中国アカガタに住み着いたのは、
夏の時代より遙かに前ですが・・・うーん、ファンタジー☆

で、商・・・一般的に言われる殷時代は、3600年前ということです。



私見では日本の建国が8000年前。

その皇子たちの時代は、二代目アマカミ「クニサツチ」も、
エノミコトとトノミコトでアマカミを交代しています。
1世代で1人だけのアマカミとなるのは、ずっと後世になってから。
その伝統が続いて
「カハルガハルニ ヨヲツギテ」と、長い長い年月が経ち、
3世代目の「トヨクンヌ」時代と合わせて、
4,5千年もかかっているらしく思われます。

そして言うまでもなく、この建国からの長い時代は、
ヲシテにおいても「伝承の時代」なのですね。

伝承されてきた日本の独自な世界観、宇宙観も
近いうちにご紹介したいと思っています。

宇宙を作ったという、もともとの日本の五元素
その五元素のエネルギーが、そのまま字にも現れるように設定してあるらしいの。

だから・・・発声法も示唆しているし、
日本語文法も導き出す力があるのです。(動詞の活用形)
なんとも・・・不思議というよりありません。

はい、見て下さいね。書くと楽しいよぉ☆

書き順は子音を先に、母音を後に。
母音のエネルギーで、そっとくるむように書くと良いですよっ!

wosite48

この表には出ていないのですが、
ほかに、重要な単語を表すときに使う特殊文字があります。

天・宇宙のことをともいうのですが、その時は左渦巻き型ですね。
地のことは、ですが、右に巻く渦巻き。

また、数詞にはハネをつけてあります。
また濁点も、「○○が」という時には、中に点を引っかけて表したり、
古い文書では、外側ではなく内側に点々を打っているようです。
これだけでも、文書成立の時代が分かりますので、
原字に接するということは、本当に重要なのですね。

後世、50音図とか言いますが、
日本古来は48音です。

これには、宇宙原理からの哲学的、本質的な意味もあって、
それが、全文書に齟齬なく読み取ることが出来るのです。
ですから、これは間違いが無いと思います。


具体的な著述においても、紀元前10世紀ごろ、
イサナギ・イサナミが、言葉を整え、音声をそろえ、心をそろえるという意図で
民に教えられた48音の「アワノウタ」があります。
トップの画像に、そのありさまを記した「ミカサフミ」の1節を書きました。

なんでも、民の言葉の乱れがあったそうな・・・
意志の疎通をはかるのが難しくなっていた。
もしかしたら大陸からの難民が非常に多かったのかもしれません。
すでに殷は滅んでいた訳で・・・考えられないことではないのです。

ともあれ、
言葉の乱れを正すために、カタカキという古代の琴を打ち奏で、
お二人は仲良く、半分この24音ずつを謡って聞かせられ、
そして、民も喜んでフタカミと一緒に謡い、言葉をなおしていったそうです。
同時にきっと、発音・発声だけではなく、
アワノウタの意味やヲシテの哲学なども、教えられたのではないでしょうか。



漢字時代では、ヲシテが捨てられ、完全に忘れられたため、
こういうことも伝わりませんでした。
そして・・・

漢字から、ヤマトコトバをよりまっすぐに伝えられる、カタカナ・かなが誕生し、
7世紀になって、47音の「天地の詞」という手習い歌が作られ、
48音の「たゐに」が作られ、やっと「いろは歌」になりました。

50音図というのは、11世紀のはじめ書写された、醍醐寺「孔雀経音義」に
つけられたものが最古の例です。
まあ、これは実証・・・ほんとに有ったことではなく、
学者さんたちの理屈による論なのですね。

というのも、
他民族の考え方では、母音が5コしかないというのは考えられないこと。
日本語には今でこそ、その数しかないけれど、
古代には8音くらいはあっただろう・・・などと、
大陸式の感じ方が移ってきちゃったのですね。
渡来人や、仏教や、漢字と共に。
つまり推論・仮説に過ぎないのですが、いつのまにかそれが定説になってしまったのが、
実態だと思います。



さて、最近の考古学トピックスでは、
三重県松坂市嬉野地区貝蔵遺跡にて発掘された最古の墨書文字です。
黒々と土器に、漢字では「田」の字と思われる字が書いてあるのですが、
時代が合わないのです。
この土器は2世紀後半のものとされていますが、
漢字伝来の定説は6世紀ごろ・・・よね?

2世紀後半は(漢字を読める人も少数はいたでしょうが)
しっかりとヲシテ国字時代なのです。

090402bokushodoki_1

この土器の中央、「田」にみえる、文字らしきもの。

ヲシテを知ってたら簡単な話ですよ。これは「ノ」という字なんですから。

またヲシテであったら漢字と違って、
どんな庶民でも、覚えようと思ったら簡単です。
民が使っていた器に、ヲシテが書かれるのは自然ではないでしょうか。

そこで、びーちぇの大胆な推論ですが、
漢字が伝来するまでは、我が国の識字率はけっこう高かった。
漢字になっちゃってから、教育を受けられる特権階級しか字が読めなくなった。
むむむ。

これも、漢字が読める、書けるのが偉いさんに見えるわけ。
特権階級、権力というものが作り出されていったのですね。
こういうことも、古来は無かったものなのですが、残念です。

さてまた、
あの、薩摩藩・島津家の丸に十字の紋は・・・
の字。

鹿児島は紀元前8世紀ごろか・・・10代アマカミ「ニニキネ」さんの
宮があったところですので、
当然といえば当然のような気がしているのですが、どうでしょうか。あは☆

この方、記紀では、天から降臨なさったという、
ニニギノミコト・瓊々杵尊です・・・?! 


   ※ 残念ながら薩摩、島津家の家紋は・・・ハズレ!
     もっと後世にできたみたいですが。(4/25) 



参考書籍 中国政府の考古学発掘と検証の記録
     「夏王朝は幻ではなかった」ー1200年遡った中国文明市の起源ー
     岳南著 朱健栄・加藤優子訳 柏書房

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2005年10月20日 (木)

ヲシテ?・・・なあに?(古文書ヲシテ文献)

tuyukusa

漢字が導入される以前・・・はるか縄文時代から、
いえ、おそらくはもっと古くから・・・日本には固有の文字があったのです。

それをヲシテと呼び、48文字からなる誰でも覚えやすい字でした。
文字は母音と、子音からなり、それ自体が独特の深い哲学を表していました。
その字で書かれた文書のことを、ヲシテ文献と読んでいます。

研究が進むにつれ、驚くべきことが分かってきました。発見された「ホツマツタヱ」
「ミカサフミ」「フトマニ」という文書は、西暦130年頃には書かれたと思われ、
我が国の最古の歴史書と言われる「古事記」「日本書紀」の原本、
つまりネタ本だったのです!

平成4年に「ホツマツタヱ」最古の写本を発見された松本 善之助先生と、
池田 満先生によって、一字一句、あるいは点にいたるまでの三書の比較と、
それまでに見つかった様々な写本による校異が、厳密に比べられ検討されました。

その結果、これらの文献が紛れもない日本最古の歴史書、
あるいは哲学・宇宙観を表している貴重な文書であることが証明されたのです!

あの(神話だから?)ツジツマの合わない・・・私に言わせれば訳の分からん・・・
「古事記」に比べて、
ヲシテ文献は、古代文とはいえ取っつきやすく、
ヤマトコトバも慣れてくると、かなり意味が分かってくるのが楽しいのです。

日本書紀、古事記など、原文じゃ私は読めないっ!(キッパシ!)
あの漢字の羅列を見ていると、まーず読もうという気力が無くなってくるのは、
私だけか知らん・・・?

全く漢文としか思えんもんねぇ・・・ (^^;)

でもヲシテ文献は原文とは言え、読みやすい。
(比べればですヨ)
ただ眺めているだけでも力強いエネルギーを感じます。

第一内容もすべて理が通っていて、いい加減なところが無いんです。
「あ・・・本当はそう言うことだったのかあ」
と、勉強するほどに納得が行くのですね。

それは理が通る筋が通るというよりも、本来持っていた感覚が
静かに目覚めていく感じです。
他の国の人たちとは明らかに違う日本独自の感性というのかな。

私はまだ初心者で、勉強を始めてから1年にもならないんですけど、
それが、よく分かります。
また近ごろは嬉しいことに、いろいろな出来事に対して、
こうなんだ、自分はこう思うとハッキリ言うことが出来るようになった気がします。
「よって立つもの」
つまり、日本人としてのアイデンティティー「誇り」を取り戻したみたいです。

あの「靖国神社」問題も、古来からお米を大事にしていることも、
いわゆる日本人の性格のアイマイさと言われるようなことでも、
「それはねぇ・・・」と、私なりの答えが見つかっていくのが嬉しいです。

アイデンティティー。
よって立つもの。
日本人としての自信を取り戻すことが出来たような気がしています。

文章そのものは、シンプルで直截なのに格調高く、極めて明晰です。
池田先生は著書の中で「古格がある、品格がある」と書いておられたような。
うむ、うむ。

はい。これがヲシテで書かれた文献の一つ「ホツマツタヱ」の原文の一節です。
「定本・ホツマツタヱ」から転載させて頂きました。

その内にお話したいと思っていますが、この文はあの鹿島神宮に祀られている
カシマカミ(タケミカヅチ)さんが、どういう方だったか書いてあるのです。  

  ここ、クリックすると系図が見えます。

その頃起こった前代未聞の内乱や、いわゆる「天孫降臨・出雲国譲り」と後世にはヨサゲに伝わった(実は)騒動を鎮めるために働かれたんですね。
このことから「カシマダチ」という言葉が生まれたのですが、
古事記や日本書紀ではカットされているんですよっ!・・・ゆるせん。

まあ・・・当時の政治的配慮が働いて、生きてた方がみな神話の中の架空の人物として
書き換えられた事情はありましたが・・・

norinori


「ノリユミ」は騎乗して弓を持って戦うことです。
「イサオシ」は言うまでもなく、功績のことですよね。
「モノノベ」は、兵士たちのことを指し、云わば役職名です。
後世の物部氏も、この名前からの流れです。

「ヲバシリ」はお名前(褒め名)で、おそらく別名を「フツヌシ」といわれる
カトリカミです。
ね?・・・香取神宮はこの方の住まわれていたところなんです!
で、カシマカミのお父さん。

また別の褒め名として、この父ギミ、カトリさんは「ヰヅ」を賜ったとありますが、
このように一人の方が複数のお名を持った事実を、記紀ではスッポリとカットしていますので、後世になって訳が分からなくなったのです!(怒)
「ヰヅヲバシリ」

漢字では稜威雄走神、伊都之尾羽張神。・・・なんかすごい。
・・・でも変な当て字。
あと経津主神(フツヌシ)、みぃーーんな「カトリカミ」のことなんですよね。
付け加えるならば香取神という漢字は、当て字といえどもマアマア・・・かな。
古名「カグヤマ(香久山)」、現代での富士山のある東海から関東一帯を、
トって、守り治めることを命じられた由縁があるのです。

も少し言えば、御子のカシマカミには鹿島という漢字をあてたのが大間違い

は右、シマ(リ)は大臣のことで、その右大臣を罷免させる(タチ・絶つのね?)ため
の軍を率いた功績を讚えて、カシマダチのカミにおなりになったのですから。

これが、今でも言う「カシマダチ」・・・軍を率いて出陣することなのです。
この方は、その優れた武のワザ(特にツルギ)に「カナテ」という褒め名を賜り、
以来武術のカミと称えられるようになりました。

ことほど左様に、大事なポイントは原文の言葉の音に、
安易に漢字を当てはめないことかな。

意味が全く違ってくるんです。

不幸なことに最古の写本でさえも、その時代を反映してか漢文体の訳が
書いてありますので、現代の研究者でも惑わされてしまった方が多いのです。
この漢字だって元は当て字なんですけどね・・・漢字の呪縛とでもいいましょうか。

明治時代の写本、小笠原長武本だけがカタカナのルビ付きのようです。
でも、うっかり筆写しそこなった、抜け文章があるみたい。

でも、こういうことも、起こって当然かもしれません。
漢字が伝わり(政治的な思惑も働いて)全てが漢字・漢文体になってしまってから、
もう千数百年も経っているんですから。
正式な文書は明治の始めまで漢文体なのですね。

でもヤマトコトバの本来の意味を知らなくて、
日本古来の心や考え方も分かるはずがないのです。

それには漢字のイメージを持たずに原文を読むことが何より大事となります。

どうぞヲシテを覚えて、
少しずつでも読んでみてください。
字形の美しさと力強さを、
読み上げる調べの快さを、
そのエネルギーを味わってみてください。
日本独自の感覚が目覚めてくるような気がします。

幸いにも、松本先生亡き後、唯一の後継者として研究を続けられている
池田満先生が、「ホツマ辞典」や、さまざまな解説書を書かれていますし、
毎月研究会を開かれてヲシテ文献の講義をなさっているそうです。

私は地理的に離れているために、直接のご指導は受けられないのですが・・・(残念)
上記の「ミカサフミ」「フトマニ」と定本・ホツマツタヱ(古事記・日本書紀三書比較)
の原書を勉強することによって、少しずつ勉強しています。

それが、あんまり面白いので、素直に折々の分かったことや感想を、書いていこうと思っています。

 

※ 神武天皇までのアマカミ「皇統略図」 こちら

  カトリカミ、カシマカミの別のエピソードはこちら

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2005年10月19日 (水)

はじめまして☆

kinomi

びーちぇの出来立てほやほや」ブログです。

最近夢中になっている縄文の古代史について、思ったことを書いていくつもりです。

それにしても、

こんなに素晴らしい古い文献が見つかったのに、まだ知られていないどころか、
ただ興味本位の、浅薄な取り上げ方をされていることが多く、いらだちを覚えます。

きょうびの世の中の風潮は本当におかしい。

特にジャーナリズムの退廃ぶりは・・・嘆かわしい限り。
政治、日々のニュースにしても、真実を報道するのではなく、売れる記事や映像ばっかりですね。
すべて損得の世界になっちゃってるみたい。

でも、古来の日本はそうでなかった・・・
その真実と、そして、
どうして、このような世の中になってしまったのか、
私なりの思いをこめて書いていきたいと思っています。

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