水田を造った7代アマカミ「イサナギ」その1
紀元前1000年を過ぎたころでしょうか、
イサナギはイサナミと共に、新婚生活を送ったツクバのイサミヤから
琵琶湖(アワウミ)のほとりに移住し、第7代のアマカミの位を受けました。
カレ イザナギニ
ノタマフハ トヨアシハラノ
チヰモ アキ ミヅホノ タアリ
ナンチ ユキ シラスヘシ トテ
トゝホコト サヅケタマワル
トハ ヲシテ ホコハ サカホコ (ホツマツタヱ23−8、9)
カレと書いてあるのは、第6代アマカミ「オモタル」さんのことです。
※訂正致しました。カレとは「その故に」
世継ぎ無くカミナルミチも尽きようという、このクニにとっての一大事。
(ゆえに)オモタルキミはイサナギさんに詔を発せられました。
琵琶湖西南の辺りをアシハラクニ(ナカクニ)といいました。
そこには、チヰモ(千五百)の集落分のミズホノタ(税収のある田)があるので、
それを元としてシラスベシ(クニを治めなさい)と言われたのです。
そして、カンタカラ(神器)とお決めになった「トとホコ」を賜りました。
トは建国以来のヲシテ(勅、つまり憲法)とそれを守るための「サカホコ」です。
この「ト」は、当時はヲシテ(勅書)だったのですが、
後にモノザネ(象徴としての品)として、マカリタマ(勾玉の一種)となりました。
そして皇子のアマテルカミの御世に、トは「ヤサカニノ マカリタマ(八尺瓊勾玉)」
ホコは「ヤエガキノ ツルギ」、また「ヤタノ カガミ(八咫鏡)」が追加され、
三種の神器が定まったのです。
でも、いちばん大事なことは、この三つが何を表しているのかなのです。
これがハッキリしたのも、ヲシテ文書のおかげですね☆
マカリタマは、我を捨てて助けあう「和」のこころ。
そのいちばん大事なものを守るための「武」なるツルギ。
そして心を写すカガミで、己を省みるのです。
それが、ヲヲヤケの頂点に立つアマカミには、なにより必要なことでありました。
さて。
フタカミがまず取り組まれたのは、湖の浅瀬の葦を抜き、
大規模な水田を作り上げることでした。
2000年以上も前、ウケモチが稲籾を発見し、
また豆や雑穀類も次々と栽培するようになって、慢性的な飢餓からは、
どうにか解放されてはいたのですが、
その後列島の気候が変わってきて、収穫は少なくなっていたのです。
水田がはじまったのは、4代アマカミ「ウビチニ・スビチニ」以後のようです。
でも、畑に植えることがまだまだ、多かったのではないかと思います。
水田は当然ながら水に恵まれた場所でなくてはなりませんから。
ヤマトクニ マトノ ヲシエハ
ノホル ヒノ モトナルユエニ
ヒノモトヤ (ホツマツタヱ23−11,12)
この文は、チヰモノアシヲ・・・に続く文ですが、
初出の「ヤマト」と「ヒノモト」という言葉が現れます。
原文を、クリックして見て下さいね?
この言葉、やっと語源が分かったのが嬉しいです☆
まだ、全部の字の意味を解読できないのですが、たぶん・・・
原文にあるヰは数詞で5。
方角を示すキツヲサネ(東西中南北)と関係あるのかな?
ヤは強調?マはまこと(真)の・・・それとも・・・うーん、難し。
「ヤマトクニ」は、
まことであるトの憲法で見事に治まっている国ということでしょうか。
また「ノホル ヒノモト・昇るお日さまの元」という意味を、
マトという言葉は持っている。
・・・深く読めばトの憲法の心を言っていると思うのです。
太陽も生まれるきっかけとなった、アメミオヤ。
「ト」ノヲシテは、その全ての元である、アメミオヤの心そのものであると。
イサナギによって始めて、大規模な開拓による、広々とした田んぼができました。
彼はなんと、いままでの1500の集落に加えて、
新たに1500の集落分の田んぼを作り、食糧不足に悩む人々を
次々と迎え入れて入植させ、栽培法の指導にあたったそうです。
言うまでもなく水田は気候の不安定なときでもかなりの工夫が効き、
適切な手をかければ、比べ物にならないくらい安定した収穫が上がるのです。
そのための細かい栽培の工夫を習おうと、人々は続々とイサナミ・イサナミの元に
集まりました。
しかし、水田はネトネトの泥の中での重労働でもあります。
イサナギはウシ、ムマ(馬)に鋤を引かせ、
大変な仕事を軽減するのにも成功しました。
フタカミノ ツキテ アマネク
ノリメクリ タミノ ヲシエハ
スキクワヤ ツノアルナキノ
ケタモノオ ノリ ムマケレハ
ムマトナシ ノリ ウシケレバ
ウシオシテ タノ アラスキヤ
ニ モツモノ カクゾ ミコゝロ
ツクシモテ タミモ ヰヤスク
ナス クニオ オノコロジマト
ナツクナリ (ホツマツタヱ18ー17、18)
イサナギ・イサナミが世をお継ぎになって、
アマネク ノリメクリ・・・全国をもらすことなく巡って教えられたのは
本当に具体的で、親身なものだったようです。
だって、鋤・鍬にも及んだと書いてあるのですから。
また、私達が教えられていたのとは違って、馬は古来から日本にいたようなのです。
しかし、
つい先日も偉そうな学者さんがテレビで
「日本には大陸から連れてこられるまでは馬はいなかった。
だから古代において、馬は特権階級しか乗れない
大変貴重な動物であった・・・」
などと、お話になってたんですけど?
それだと、どう見ても6世紀になってからよね?
でもヲシテ文献だと、この時代(紀元前、少なくとも10世紀)に
ムマ(馬)でもウシでも、農作業に使いなさいと
イサナギさんが教えられたからには、そこら中に馬も牛もいたということですし、
農民でも使えるくらいに日常の動物だったということになります。
歴史を失うということは、こういうことなんです!
こんなことにおいても、
「因って立つもの」が無くなってしまっているのです。
・・・イサナギさんへ戻りましょう。
こんなに些細なことまで、心を尽くして指導されたので、
民も平和に安らかに暮らせるようになり、
クニの名もオノコロジマ(自ずと・集まり、まとまった)
という(象徴的な)名がつくようになったということです。
※ このジマもシマリ(纏まる・集まる)という意味じゃないかなあ・・・
島だと、誤訳になるかも知れないし・・・掛け詞かも?
こういうこと、池田満さんに習いに行きたいなあ☆
しかし、もう一つ、フタカミが取り組まれた何より大事なことがあったのです。
(続く)
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» 古代日本人の『まつり』 [どこかにある場所]
びーちぇの「ヲシテのくに」からのトラックバック。
いつも最新の記事を届けてくれて感謝にたえない。
おかげでこっちは「あ、来た来た」と待つだけで済んでいる。
というような自堕落な事は置いといて。
びーちぇさんによって色々なことが判明して来ている古代日本。何となくモヤモヤしていた何かが払われていく感じである。
ただそれが、歴史的事実、というよりももっと根っこのほうで、という感じがするのが感想だろうか。
何よりも感じるのが、古代日本における宗教観、とでも言うもの。
一般に神道と呼ばれ... [続きを読む]
受信: 2005年11月26日 (土) 23時43分


コメント
三種の神器が何を現すのか・・・素晴らしいその内容に、日本人で良かったと心から思いました。
来るたびに新しい発見があります。これからのご講義も楽しみにしております。
投稿: まったり | 2005年11月26日 (土) 22時44分
私が学校で学んだ歴史では、
倭→大倭→大和
でしたが、よく考えれば「なんでこれで「ヤマト」って読むの?」という感じではありました。
ところが、はじめに「ト」→「ヤマト」があり、それに対して大陸文化から蔑称の「倭」を当て字されて……という順序なら筋が通ります。
また、「ト」の本質である「ミヤビ」の精神と、後にそこに当てはめられた「和」という漢字が、(読みと関係なく)意味的に繋がっているような気さえします。ヲシテがいったん断絶する寸前に、その欠片だけは残されたというところでしょうか……
それを踏まえて改めて「ヤマト」・「大和」という言葉を比べると、すとんと腑に落ちるものがあるように思えます。
「大和魂」なんて言葉からも、今までと全然違う印象すら受けてしまいますね(笑)
深いなあ……
投稿: タマネギ愛国者 | 2005年11月29日 (火) 02時21分
>まったりさま
いつも読んで下さり有り難うございます。
原文を読み、本来のヤマトコトバの意味を感じ取るのは難しいですが、得ることが素晴らしいのです!
つくづく歴史の断絶は恐ろしいことだと思います。
なんとか、本来の私達のアイデンティティーを取り戻したいと願っているのですが。
漢字の呪縛というものは、なかなか手ごわいものです。今は「大言海」を頼りに、言葉を探っているのですが、いちばん古い言葉を調べ尽くしてあるこの辞書でさえ、そのままには使えないのです。
文書の前後を考察し、五感と今までの・・・言わば生きて来た体験を総動員して、解読に当たっています。
ですので、少しづつしか進みませんが、今後ともよろしくお願いいたします。
こうやって、コメントを戴けると元気が出るのです☆
ありがとうございます。
投稿: びーちぇ | 2005年11月29日 (火) 13時48分
>タマネギ愛国者さま
コメント有り難うございます。
「ヤマト」については、まーーだ悩んでいるんですよ。
だいたいのことは分かっても、正確に一つ一つの意味を知りたい。
ヤマトコトバを解読したい・・・などと、大望をいだいてしまいました。
「どこかにある場所」さまのところにあったように、
趣味ですから・・・手を抜く訳にはいきません。
凝りまくって、楽しくやって行こうと思っています。
「ヤマトなる こころのもとを
いまここに 語りあかさん
思いなりけり」 池田 満
投稿: びーちぇ | 2005年11月29日 (火) 13時55分
いつもありがとうございます。久しぶりに冒頭から読み直させて
いただいています。味わいがあっていい文ですね。
やさしさに満ちています。
ひとつだけ、きになったことを
>カレ イザナギニ
の カレ は、彼ではなく、「そういう訳で」の意味 故 です。
3人称に カレを使うようになるのは、かなり後世のことだっと
記憶しています
投稿: のりと | 2009年3月22日 (日) 09時34分
>のりとさま
ご指摘、ありがとうございました。
まったくその通りで、さっそく訂正させて頂きました☆
このシリーズをアップしたのは、もう数年前です。。。。
今となっては明らかにおかしいところも多々ありますし、
本当は全記事書き直したいとは思っているのですが、
一身上のことで時間が取れずに、そのままになっております。
いつかきっと書き改めます。
それまで、どうぞよろしくお願い申し上げます。
又、お気が付かれたことなどお知らせ下さいませね?
投稿: びーちぇ | 2009年3月24日 (火) 17時16分
全く初めてヲシテを目にして勉強させて頂いており知識ゼロですが、なんとも厚かましくも書き込みをさせて頂ます。
閃いたので全くのファースト・インプレッションで訳して
みました。誤訳の可能性大、素人の戯言です。
(ホツマタヱ23-11、12)
チヰモノアシヲ・・・千五百のアシを
ミナヌキテ・・・・・全て抜いて
タトナシタミホ・・・田と成したミホ(集落?)が
ニギハエバ・・・・・繁栄して
ヰヤマトトフル・・・5つのヤマト(地方都市)と古い
ヤマトクニ・・・・・ヤマトの国になり
マトノヲシエハ・・・マト(真のト:ヤマトと掛詞になっている?)の教えは
ノホルヒノ・・・・・昇る日の
モトナルユエニ・・・元なる故に
ヒノモトヤ・・・・・日の本や
投稿: もりやま | 2009年8月 6日 (木) 17時26分
>もりやま さま
お読み頂き有り難うございます。
ヲシテのテキストは何をお使いでしょうか?
本によっては、誤字、脱字などがありますので、
「定本 ホツマツタヱ」をお勧め致します。
>タトナシタミホ・・・田と成したミホ(集落?)が
>ニギハエバ・・・・・繁栄して
「タミホ」ではなく「タミモ」となっております。
ですから、田んぼをつくったので、民も繁栄した・・・というふうになりましょうか。
しかし「ニギハエバ」のイメージはもっと多くのものを含んでいるように思います。
今回出版されました「よみがえる日本語」には、
その鍵となる読み解き方が、初めて明らかに示されましたので、
ぜひお手に取って読み解きのアイテムとなさっていただきたいと思います。
そうしますと、お書きになった
>ヰヤマトトフル・・・5つのヤマト(地方都市)と古い
>ヤマトクニ・・・・・ヤマトの国になり
も・・・失礼ながら、大分間違っていることがお判りになると思うのですが。
「ヰ ヤマト トフル ヤマトクニ」
「ヰヤ マト トフル ヤマトクニ」
例えば、上記のようにも区切れるかも知れませんし・・・?
このように細かく見れば、・・・おっしゃるように、
まるで掛け詞のように多くの意味が含まれています。
これはカナを読んでも、絶対にわからないことなのです。
又「ヤマト」という国号については、下記のブログにて、
私の解説画像を取り上げて下さっていますので、
ご参考になさって下されば幸いです。
http://matoca-8000.iza.ne.jp/blog/entry/1126189/
定本には、その他に全ての写本の字の校異も記されておりますし、
記紀との比較を確認することができますことは、
初めての方に取って大変重要なことかと思っております。
それと、必須の解読手引きが、
上記にあげました「よみがえる日本語」なのです!
でも、もりやまさまのように、
間違いを恐れずに、自分の言葉でトライしてみようという、
心意気の方が、もっと増えれば嬉しいのですが。
今後ともよろしくお願い致します。
投稿: びーちぇ | 2009年8月 9日 (日) 10時04分