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2006年8月19日 (土)

旧「まごころ」 ヤマトタケさまと ヲトタチバナヒメ

Woto_uta2_1

                           ホツマツタヱ 39−93

 

このおウタは、ヤマトタケさまの妃であられた
ヲトタチバナヒメが、激しい嵐の海で、タケさまをお助けせんと祈られ、
カミとなってそのお身を護るため、入水されたおりに、
辞世として読まれた名歌です。

それなのに、日本書紀にはカットされていますし、
古事記では、ミスなのでしょうか、1字抜かしてしまったため、
なんとも、おかしな調べになり、意味さえも違ってしまいました。

 

古事記では、

佐泥佐斯  佐賀牟能袁怒邇   さねさし  さがむのおぬの
毛由流肥能 本邦迦邇多知弖   もゆるひの ほなかにたちて 

斗比斯岐美波母         とひしきみはも

↑ この万葉仮名を見て下さい!

情緒もへちまも無い、酷い当て字ではありませんか!
言葉の意味も、内容も解らぬ人が字をあてはめたに違いないのです! 怒)


この現代語訳は

 (さねさし)相模の野原に燃え立つ火の、
  その焔の中に立って、
  私の安否を尋ねて下さったわが背の君よ   
(次田真幸 訳)

「さねさし」とは相模の枕詞であって、さしたる意味はないそうで・・・ええっ?

 

また、所功氏と小堀桂一郎氏の共著による『名画に見る國史の歩み』による訳では、

 尊は蝦夷征伐に向かうため、相模国(神奈川県)から
 海路で上総へ渡ろうとして、
 走水と呼ばれていた今の浦賀水道を横断中、
 平常でも潮流の速い所で暴風雨にあい、船が覆りそうになった。

 そこで、尊に従われていた弟橘媛は、尊の御身を心配され、
 海神の怒りを鎮めようとして、
 怒濤の海に身を投じられたところ、波はおさまった。
 その際媛は、
 「さねさし相模の小野に燃ゆる火の
  火中に立ちて問ひし君はも」
 とお詠みになった。

 焼津で猛火に囲まれたとき、尊が命がけで励ましの声をかけて下さったことを
 思い出されてのお歌である。

 

こちらの方が、かなり原文に近い訳ではあります・・・しかし。

なぜ字足らずになっているのか、
「さねさし」は、本当に意味のない枕詞であるのか。
それについては、今まで誰も答えを持っていなかったのです。

 

 

さて、ヲシテ文献によれば、
「マクラ コトバ」とは、
真っ暗な闇の中に光がさすように、渾沌としていた詠み手の想いを浄め導くもの。

その想いはウタとして、ほとばしり出るのですが、
そのように、暗いココロを明るく照らし浄化する、
そのきっかけとなる、イマジネーションに満ちた言葉であって、
もちろん、どの言葉にも深い意味があったのです。

しかしこのおウタの原文「サネサネシ」は、
いわゆるマクラコトバではないような気も致します。

なぜなら通常マクラコトバは、一見真意が分からないような言葉。
でも当時の常識では、その語源が周知の事実として共有されていて、
それをふまえた上で、使っていたからです。

またヲシテの特質にて、音の響きからウタが導き出されることもあるので、
上記の太字で書いた定義が今のところは一番確かなことなのかなあ・・・
のちの研究が待たれるところですね。

 

当時の常識が忘れられてしまった例として、
たとえば「ホノホノ」は、

ほのぼのと明けゆく空の・・・とかいった、
夜明け、あるいは開けゆくという時などに使っていますが、
語源は、
アマテルさまご誕生のありさまを記述した語のひとつです。

 

時に1月1日。

初日が「「ホノホノ」と昇る頃、
太陽の御子とお生まれ遊ばされたアマテルさまは、
真っ白な丸い玉子のような厚いヱナにくるまれておられ、
それをイチヒのサクをもって、天のイワトを開けるごとくヱナを裂き広げ、
その玉体は初日の輝き昇るように(ホノホノと)出現されました・・・

ゆえに「ホノホノ」といえば、
アメからの純粋な力を持つ「日」の分け身であられるとされた、
アマテルさまのご誕生を、想い出さずにはおれないのです。


  ※ このイチヒの木は飛騨の位山のものであり、
    サクはそれを削ったおそらくナイフ状のものです。
    そこから後に、神官のもつとなりました。
    後世になると貴族の正装(衣冠束帯)時には、必ず手に持っていますよね?

    笏が中国から来たものではなかったことを、どうぞ覚えていて下さいませ。

    飛騨の宮村は、以来朝廷にしばしば位山のイチヒを献上してきました。
    (平安朝の平治元年(1155)に献上という記録文書が今も残っています)

    また今上陛下のご即位の時にも、笏を新しく作られるために
    宮村から3千年もの伝統を秘めた、この位山のイチヒの木が献上されています。

  ※ アマテルさまご誕生について、もっと詳しく知りたい方は
    真名さんが素晴らしい記事を書いておられます。
    「産着に包まれたアマテル

 

 

サネサネし サガムのオノに
もゆるヒの ホナカにタチて
とひしキミはも

 

「サネ」とは、色々な意味を持っていますが、ここでは
「共寝」つまり契りを交わすという言葉になっているような気がします。
ただし、この意味は漢字時代のものですけれども・・・

似た例としては、カミヨ(祖先の世)のあの「コノハナサクヤヒメ」に、
ニニキネさまが贈られたおウタには、共寝に通じるような意味もあるようです。

 

おきつモは ヘにはヨレども
サネトコも あたはぬカモよ
ハマつチドリよ           
    (ホツマツタヱ 24−67)

ご自分を沖の藻に例え、
(愛の巣となる)藻は(貴女を慕って)沖から岸辺に寄り近づこうとしているけれども、
(今や)清らかであっても、巣にはして下さらないのであろうか・・・浜にいる千鳥よ(ヒメのこと)

という、ヒメを信じなかったことを悔やみ詫びる恋歌です。

  ↑ の訳は、まったく読みがたりない大誤訳ものでした!

     ・・・真名さんにサジェスチョンを頂いて、気がつきましたので、
     訂正させていただきます。
     このように一語の勘違いが、大変なことになるのです。

     真名さん、ありがとう☆   m(_ _)m  (8/23)

 

オキツモは、使者に立てたオキツヒコさま。

沖の藻がただよって岸辺によっていくように、私もお詫びの使者オキツヒコを
貴女に向けました。
けれども、あなたの清らかな寝床(ヒメの潔白を表している言葉)は、
鴨(カモフネに乗って迎えに入らしていたので)には与えられないのでしょうね、
浜の千鳥よ。

この使者オキツヒコさまも、昔夫婦仲が悪く、妻を死なせるところであった方。
アマテルさまの諭によってご自分の非に気がつき、仲直りされ、
後は、お二人で夫婦円満の大事さ(イセノミチ)を人々に教導されるようになりました。

余談ながら、この歌を読まれたコノハナサクヤヒメは、貞節を疑われた嘆きも消え、
喜びの涙と共に、思わず裸足で飛び出して、ニニキネさまをお迎えに走られたとか・・・

また、ヲトタチバナヒメは、コノハナサクヤヒメの叔父様の血を引くお方でもあり、
つまりは一族の裔としてつながっておられます。

 

サネサネし・・・長い年月を、燃えるような愛情で相睦まれていたお2人。
ですから、お子さまにも恵まれ、6人もの皇子がいらっしゃいました。

しかしまたは南、は北の意味を持ち、
タケさまが命を下し、城の南北から救出の部隊を城へと向かわせたこともありますし、
縄文の文字の音の響きから、現代の言葉でいうならばさめざめといったような、
涙の流れるさま・・・感動の涙と思うのですが・・・を表しているとも取れるのです。
      ※ 今日気がついたこと。   
        サは、さやけしとか、明るい、清いとかいう意味もありますし、
        ネは、タケさまの声音・・・とも思えます。(8/22) 

また、これらすべての意味を含んでいるとも考えられます。

 

サガムのオノに・・・相模の小野はヲトタチバナさまの母上、
ハナタチハナさまのご実家なのです。

ここで全訳したいところですが、
このおウタに込められた、ヲトタチバナヒメの真心を感じ取るには、
この時の戦いの有り様を知らないと分からないと思います。

これも、記紀にはカットされている部分があり、
また誤訳のために分からなくなったことも多く、
まずは、そこからお話を進めましょう。

このヤマトタケさまのミカリ(征伐)の背景には、
当時の大陸の情勢が影響しています。

それについては

1)「キミのお心に生きた タジマモリ

2)「カグノキ トコヨノハナ」・・・後半の右近の橘、左近の桜の絵の後から。

を、まずお読みいただきたいと思います。
以下は、それを前提としてのお話になりますので。

 

※ 参考 「ヤマトタケのお名

Woto_keizu
 

 

【あらまし】

ヲトタチバナの父は、帰化した新羅の皇太子の直系「タジマモリ」です。

先代スヘラギの頃から、半島情勢は不穏なものとなっていました。
また大陸の覇権の力はいずれ、我が国にも及んでくるのではないか・・・
それに対抗するには、国内のこころと意思を一致しておかなければなりません。

11代スヘラギ・イクメイリヒコさまは、心から信頼するタジマモリに
半ば独立国となっていた東北「ヒタカミ」に理解を求め、再びクニをひとつに統一すべく、
その説得や根回しのため、大陸情勢に詳しいタジマモリを密命を下しました。

特にヒタカミの隣国「ホツマクニ」は重要な拠点となります。
タジマモリはまず、そのクニカミ・カグモトヒコの所へ滞在し、
モトヒコの愛娘ハナタチハナと結ばれるほどの信を受けたのち、
東北部を回り各地のクニキミを密かに説いて回りました。

10年あまりの活動の後、一応の成果を得たタジマモリは帰国します。
しかし、心から敬愛するイクメのキミは崩御されていました。
他にこのことを知る者は誰もいないのです。
力を落としたタジマモリは、ノコシブミ(遺書)をワカミヤ(新スヘラギ)に献上し、
イクメのキミの御陵の前に殉死なさったのです。

タジマモリの死後、妻のハナタチハナはヒメ御子を出産。
そのヒメは誠実な父の思い出にちなみ、
ヲトタチバナと名付けられ、
成人の後は日嗣の皇子「ヤマトタケ」さまの妃となりました。

 

月日は過ぎ、
東北に近いホツマクニではヱミシ(不逞の輩)が跋扈し悪さをなしていました。
クニが騒がしくなったホツマクニからは朝廷に、
直接のキミのミカリ(征伐)を請う嘆願が寄せられました。

ここに、スヘラギ「ヤマトヲシロワケ」さまは、
愛する日嗣の皇子「ヤマトタケ」さまにその役目を託されたのです。

タケさまは、見事ツクシ(九州)を平定して帰国されたばかりでしたが、
先にこの敕命を受けた兄ギミは、戦いを恐れて行方をくらまされたのです。
やむなく、弟のタケさまにその勅命が下りました。

先には、この度は兄ギミ・オウスさまへと、ミカリの任を願われたタケさまですが、
ご高齢の父ギミのお心を深く思いやり、
心を定め、勇み立ってご出陣をなさることとなりました。

この出陣の際のヲシロワケさまのお言葉は、
日嗣の皇子ヤマトタケさまへの慈愛に満ち、その深き心と知恵、武勇と誠実を褒め称え、
自分より優れた資質の、スヘラギに相応しい皇子であるとの感動的なものです。

イマシこそ スガタきらしく    (イマシは汝)
モモちから イクにサワラズ
イケばカツ スナワチシレリ
ミはワガこ マコトはカミの

ワレくらく ムケざるミヨを    (ムケザルミヨとは、平らかにできなかった世)
ツガシメテ タエザラシメル
イマシこそ アメがシタしる    (アメがシタしるクラヒはスヘラギの御位のこと
クラヒなり

                     ミコトノリの一部 ホツマツタヱ 39−9より)

 

日本書紀では、やや不足があるにせよ、大方は忠実に記載されているのですが、
古事記ときたら、とんでもないことに、この感動的なミコトノリをほぼ全文カットしています!
それに、父ギミに疎まれたという悲劇の皇子に仕立て上げられています。

また、私が許せんと思うのは、
出立にあたり、伊勢に詣でて伯母ギミ「ヤマトヒメ」にお会いになった時の、
タケさまの父ギミに疎まれているという愚痴と嘆き?!
なんでも、さめざめと泣かれたそうな。

そんなめめしいお方ではありませんっ!

ヤマトヒメも出陣にあたり、タケさまを勇気づけ、
直観にてこの戦の難しさを悟り、遠い昔にニニキネさまが定められ記された
ヒミツノハライ
・・・火と水の難を祓うノリ(法)を授け、
また、ソサノヲさまより伝来のムラクモノツルギを身の護りにとお渡しになったのです。

ヤマトタケさまはきっと、勇気百倍になられたのではないかしら?

なぜって、ご自分はソサノヲさまの生まれ変わりだと信じていらしたようですから。
ソサノヲさまのイミナはハナキネで、タケさまのイミナはハナヒコなのです。
また、このムラクモノツルギは、
ヤマタノオロチ・・・すなわち反乱を起こした大勢力の8人の首領・・・を
滅ぼされた時に発見された、縁起の良いツルギで、

出雲のクニをソサノヲさまが開かれた象徴の品なのです。
                                    (続く)

 

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04:48 午後 古代史 |

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コメント

今日(夏休みが取れた)金時山を登りましたが、往きに「足柄峠」を通りました。「あづまはや」とお嘆きになった地だそうですが、そうなのですか?
それにしても、ヤマトタケさまを想いながらハイキングするのはとてもいい気分。びーちぇさんのページ読んでラッキー!

PS.近所の本屋(知り合い)に「縄文人のこころを旅する」を注文してから2週間以上経つのにまだ入荷しません。まあ急ぐものでもないけど…

投稿 練馬のんべ | 2006/08/30 22:14:51

TB有り難うございます。
何時も疑問に思うのですが、古事記も日本書記も漢字で書かれているので、正確に訳せているのだろうか、読み方を間違えていないのだろうかと思います。

投稿 まさ | 2006/08/23 18:13:51

「まごころ」ヤマトタケさまとヲトタチバナヒメをエントリーしていただきまして有難うございます。

嬉しく拝見しました。

また、19日は厚木インター近くのガソリンスタンドで「小野神社」を尋ね、往復2時間くらいかけて詣でてきたところでしたので、なんだか不思議な気持ちです。

7月21日には川匂神社も詣でたので、池田先生のホツマ辞典でヲトタチバナヒメに思いをいたしておりました。

続きを楽しみにしておりますが、くれぐれもご自愛の程を。

投稿 キー | 2006/08/21 19:50:56

続きを楽しみにしております。

投稿 ☆みっちゃん☆☆ | 2006/08/20 20:43:08

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