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2009年8月22日 (土)

伝統 その1 「古代の治世」 改訂版

Kohbo


上古、カミノヨ(祖先の世)では、
具体的にどのような形態で統治が行われたのでしょう。


これも、しっかりとヲシテ文献だけが伝えています。
キミ・トミ・タミという身分が成立したのは、
3世代目のアマカミ
「トヨクンヌ」の時代であると。


      ヤモノ ヨツギハ
トヨクンヌ アメヨリ ミツノ
ワサオ ワケ キミ トミ タミノ
ミクタリノ カミハ モフソノ
ミコ アリテ アメナル ミチハ
メモ アラス ミツヨ ヲサマル    ホツマツタヱ 2−5より


これより前の2世代目アマカミ「クニサツチ」の時代は、
世界(当時の認識による)の各方面にまでも、
文化を伝え技術指導するため皇子たちが派遣されたと言います。
その中に、
大陸に渡って行ったとされる「カのミコト・カのクニサッチ」がいるのですが、
考古学・地理学からの仮説も成り立つように思いますので、
そのうちにご紹介したいと思っています。


   環境考古学からの「カのミコト」と子孫

  子孫のウケステメ「ニシノハハカミ」   (追記 4.6.2010)


さて・・・ともかく各地方は、それぞれ距離も遠くへだたり、
気候風土も違っていたため、それを活かすような治世を行うようになったのです。
しかし同時に、(大陸を除いて)中央との連帯はしっかりなされていたので、
キミをお助けするため、また、タミへの教導を生き届かせるためにも
「トミ」という身分が生まれたわけです。


「キミ」は大変な尊い言葉で、

アマカミと、その皇子か、

そのお血筋の特に業績の秀でた方、

何事かあった非常時には、

御位をお継ぎになれるほど徳の高い方として、

アマカミから認められ、戴く尊称であったのです。

これは、皇位継承の一番大事な原則です!


例えば、
「サルタヒコ」さんは、
前段に「チマタカミ」
また「ウカワ」「ナガタ」との地名がありますし、
後世に記される尊称は「ツチキミ」なので、
当時の人であれば、
貴いお方だということがすぐ分かるのですね。

地方統治を預かるご身分でも、
特に2代アマカミ・ヱノミコトのお血筋であったわけで、
記紀に書かれているように、
国つ神(ただの土地の豪族)では無いのです。

これ、間違いですからっ!

あえて古事記風に書けば、
サルタヒコさまは「天つ神」の尊いお血筋。

24313233

ミユキ ナス ウカワ カリヤニ
ミアエ シテ アイマツ ナガタ
サルタヒコ
       ウスメ マタ トフ
イツレカラ ユクヤ コタエテ
ワレ ユカン             (ホツマツタヱ 24ー30から)


サルタというのも、素晴らしいお方(ニニキネさん)が日嗣の皇子になられ、
その教導ぶりに心打たれ、彼が統治していた父祖伝来の土地の(統治)から
サル(身を引いて、その方にまかせる)との決意を表す、名乗りであったのですから。
(ちなみに、ヒコとは成人した男子のことです)


「ナガタのサルタ」がお名前なのですが、
「ナガタ」も「サルタ」もそれぞれ大事な概念なのではなかろうかと思います。
「タ」が共通ですから、そこから、それぞれの意味を考えてみると:

  「ナガタ」・・・貴方の楽しみ
          貴方の助けになる
          貴方の助けになることを楽しむ


  「サルタ」・・・幸せを広げるのを助ける・楽しむ
          幸せを広げるように治める
          私を去るのを楽しむ
          私を去って治める

ナガタは、思いやりや助け合いという「ヒトノミチ」を表しているように見え、
それと対になっているサルタは、
「サ」を「ル」にする「タ」 の意味にとればいいのではないでしょうか。

「サルタ」は、「トのヲシテ」を表しているように思われます。
そして同時に、「トのヲシテ」を体現する指導者のあり方をも表しています。

「ヒからトまで つくすゆえ ヒトにのります」に通じて、
私を去って治すがゆえに、「トのヲシテ」が成立するとの「アメノミチ」です。

このように考えますと、「ナガタのサルタ」は、
ヒトノミチとアメノミチの両方を表した名前であるといえると思います。

だからこそ、建国の地を守ってこられ、
そして次には、アマテルカミの聖地を守る役割になられたのではないでしょうか。

「ナンヂワガナオ アラワサバ」は、
まさに「ナガタのサルタ」を実践するのであれば、という意味になり、
ニニキネのキミへのはなむけの言葉としてふさわしい言葉といえると思います。

また、この真髄をハラから分かり、
体現し、行動でも表し続ける人であったがゆえに、
アマテルカミから治世の要として信頼を得続けたのではないかと、
思うに至りました。
                             (平岡 憲人)

「よみがえる日本語」の著者のお1人である平岡さまのご意見ですが、
大変判りやすい分析をされていて嬉しくなりました。
私は、ただ表面的ななことだけを書いたのですが、
同時にこのような深い意味、哲学が掛け詞として秘められていたのですね☆

参照しましたヲシテからは、
このお話が、ニニキネさまをお迎えする場面であることが判ります。

また、サルタヒコさんが先を見通す不思議な力をお持ちになっていたことは、
けっこう知られていたのではないかと思います。
前文では、従者たちが、この方についての流言を噂し、
お会いするのを畏れていたように記されます。

       マタ トフ ナンチ
シルヤ キミ イキマス トコオ

コタエ イフ キミハ ツクシノ
タカチホソ

ウスメがニニキネさんの行く末を問うと、
キミは筑紫の高千穂まで行かれるであろうというお返事でした。

         ※ 26アヤに「カコシマ」の「ソヲ タカチホ」とあるので
           これは現在での鹿児島県霧島にある高千穂岳であり
           大分の高千穂峡ではないことにご注意下さい。

またご自分は、
ここを離れて伊勢の地で心をつくしてアマテルキミにお仕えし、
「ワレモ イ タサン」と。

お仕えなさったその後、アマテルキミのご信頼はまことに厚く、
何時の時にかミクサタカラを渡されており、
「トキマチテ ミチアラハセヨ」とのご遺言でした。
時と場合によっては皇位を継げというニュアンスもうかがえます。

また仰せによって、
アマテルキミの「カミアガリ」のホラ穴を掘られましたが、
お入りになった後の、ご逝去までの見守りも、
もしかしたらサルタヒコさん、お独りではなかったかと、
私は想像しているのですが・・・

そしてその後も、何代かのアマカミの御世の過ぎ去る中で、
聖なる伊勢の地(サコクシロ ウヂ)を,
長く長く守って行かれることになりました。


ずいぶんお話がそれてしまいました。
でも、あまりにも記紀のデタラメが酷いもので、つい・・・

元にもどります。



3代アマカミ「トヨクンヌ」さんには、
多くの御子がいらっしゃいました。

「カミはモフソの ミコありて」
モは百、フソは二十で、なあんと120人!!!
けれども、この時代までは「メもアラズ」妻というのは無い時代であった・・・
それなら、さもありなんというところですね。
固定した夫婦制を取っていなかったということですから。
それがアメナルミチ(憲法のようなもの)であった時代だというのです。

また前にも書きましたように、
トヨクンヌと申し上げても、
何人もの方が同じ名前で2つのお血筋で、
代わりあって世を継がれていたのは明らかなのです。

 

夫婦制を定めたのは、
4代アマカミ「ウビチニ」
からです。

Hanamomo


ウビチニ・スビチニさんのご幼名
モモヒナギ・モモヒナミと申されました。

それは幼なじみのお二人で昔、木を植えられたことがあり、
その木は3年経って、モモ(百)にも花を付け、
後には実もモモと、それは豊かに実ったのです。
そこで、美しいその花を「モモノハナ」と命名されたことに由来しています。

ミトセノチ ヤヨヒノ ミカニ
ハナモ ミモ モモナル ユエニ
モモノ ハナ フタカミノ ナモ
モモヒナギ モモヒナミ ナリ     ホツマツタヱ 2−8より

そして、ご成人なされたお二人の
そのトツギの式は、やはり、桃の花の咲く夕べ3月3日。
三三九度の杯には纖月が美しく写り、
それはそれは美しいものであったと記されています。

大変仲睦まじいお似合いのカップルだったので、
結婚のノリ(法)と親鳥になる前の雛(ヒナ)という名をからめ、
3月3日の「ヒナマツリ」が定められました。
後にいう桃の節会がこれなのです。

でも、女の子のお祭りという訳ではなく、
「トツギのノリ」という、
重要な法律の制定記念日だったことを、
憶えていて下さいませね?

もうひとつは、この御世から、
「キミ」というコトハははっきりと、
ご夫婦であられるべきことと定まったのです。

キミハソノ キノミニヨリテ
ヲカミハキ メカミハミトゾ
ナツキマス

 原文はこちら


この頃、稲作は定着し始め、
歴史も伝承の時代を過ぎて、
少しづつ、書き記す時代と
なっていったのではないでしょうか。



さて、前に書きましたように「キミ」
「トミ」「タミ」
は厳しく区分されていました。

そしてキミという尊い御位と違って、
トミ(臣)という身分は
能力次第だったのです。
つまりタミもトミとなることが出来ました。

7代アマカミ「イサナギ」さんは、このような御歌を詠まれています。

ツチカフハ ミノ アシハラモ
ミツホナル タミトナセ トミ
トミトナレ タミ           ホツマツタヱ 17−94


ここには、トミ・タミのなすべきことを教えています。

自分を捨て、熱心に身や心を修めなさい。
そうすれば必ず荒れ地であったところにも、
豊かにミツホが実るように、その努力は報われるのだ。

トミは良いタミを育て、幸せにしなさい。
またタミも、
そのような良いトミに、
自分もなれるように、心しなさい・・・

能力のある、人柄の立派な人になってくれとの、
イサナギさんの想いが伝わってきますね?

弥生時代を水田での稲作普及の時代とするならば、
その始まりであったため、なすべきことは山積していました。
それほどに、この時代は有能な人材が求められていたということでしょう。


トミ・タミのためのもっと詳しい教えもあります。
これは、アマテルカミが説かれたもの。

       トミラ ヒメモス
ウマナクテ  ヲシヱオ ツネノ
ワサト ナセ 
       トミ タミ コ マコ
ヘタテナク  ヰツク メクマン
オモヒナリ 
       ヲシヱヌ モノハ
トミ ナラス ヲシヱ ウケヌハ
タミ ナラス ツネニ オモエヨ
アメノリオ  ヱテ ミオ ヲサメ
タガヤシテ  ソロオ ウヱマキ
クサキリテ  カリ ヲサム ミノ
タミハ マコ タクミ アキトモ
ヒコ ヤサコ 
       モノシル トテモ
ウクメカテ  トノミチヒキニ
ヰラサランオヤ           ホツマツタヱ 17−13より


トミ(臣)たちは、人々への教導を日常のものとして、
倦まず弛まず行いなさい。
私(アマテル)は臣も民も、その子や孫にいたるまで、
トのヲシテにそって、
できるだけ幸せにしてやりたいと思っているのです。

人々を教導しないものは臣としては失格ですし、
教わらない民もミチを外した困りものです。

いつもアメのノリを感じ取りながら、
自分をも治めていきましょう。

例えば、
せっせと耕して稲や作物を育て、
雑草がでた時には刈るという風に、
自ずから田畑を治め、己をも治める民は私の可愛い孫。
手工業にいそしむ者や商業に働く人々も、
そのように身を修めるものは、
ひ孫や玄孫のような可愛い身内です。

知識だけに頼って迷うことがあってはならない。
それよりもクニトコタチ以来ののヲシテ、
ミヤビの心に導かれて行くように。



ヲシテ文献中、一番難解な文書であるフトマニには、

また別の概念がこう記されています。(幸いこれは理解できたんですけどね)

【アヰサ】

アのヰサメ キミはトミあり
ヲヤはコの トモにタカラの
メクルナリケリ 


、すなわち大自然の理からのヰサメ(諌め)は、大事なことです。
キミにはトミ(臣)が、親には子が、そういう時に諌言することが、
共に宝がめぐってくるような幸せをもたらすこととなるでしょう。

つまりもし、目上の立場にある人が理に添っていない時には、
目下から忠告するべしというのです。
キミにはトミが、親には子がその役目をになう務めがあると。

これは大事なことへの、アメミヲヤの知らせ(卦)の解釈を助けるために
アマテルカミが広く皆に作らせ、
ご自身で改定、まとめられたという128種のワカの一つです。


この他、税法や刑法についても
ヲシテ文献には詳しく記されています。




さて・・・漢字時代になって、

なんとしたことか!

まず、この「キミ」という御位の根拠が

わからなくなってしまったのです!


天皇統治の根拠としての文献は、
古事記・日本書紀からということになりました。

例えば「天壌無窮の神勅」などは、
少し勉強された方ならご存知のことと思います。
これは日本書紀に書かれていることです。

この神勅を現代風に訳してみれば、

天照大神は・・・(三種の神器を賜いて)
皇孫の天津彦火瓊々杵尊にみことのりして曰く
「芦原の千五百秋の瑞穂国(日本列島)は、
 是れ、私の子孫の王たる地である。
 よろしくあなたが降下して治めなさい。
 行くならば、宝祚(皇室)は天壌(天地)とともに、
 まさに極まるところなく長く栄えるであろう」


古事記にはもっと簡単にしか書いてありません。

(天照大御神が)ヒコホノニニギノミコトに、詔を発せられた。
「このトヨアシハラ・ミズホノクニ(日本列島)は、
 あなたの治めるべき国である」とおっしゃった。
「それ故天上世界から地上に下ってゆくべきである」



さて、ヲシテ文献にはどう書いてあるでしょう。

アマテルカミは日嗣の皇子オシホミミさんに、
ミクサタカラを授けられた時におっしゃった言葉です。


ミテツカラ タマフ ミグサヲ
ウケタマエ ナオモ オモエヨ
タカラモノ ミルコト ワレヲ
ミルコトク メトル チチヒメ
アヒトモニ ツネ ムツマシク
ミヤビナセ ワレ フタカミノ
ミチオ ナス ワガコ ツラツラ
ミチ ユカハ ヒツギノサカエ
アメツチト マサニ キワナシ    ホツマツタヱ 11−19より


アマテルカミは御手づからミクサタカラを勅使にお渡しになり、
なおも念を押しておっしゃるには、

「このタカラモノ(三種神器)を見る時は、私を見る気持ちになって下さい。
 そして、娶ったチチヒメと共に、いつもいつも睦まじく、
 ミヤビをなしていきなさい。
 私も、フタカミ(イサナギ・イサナミ)の為されたミチをたどりゆき、
 政ごとを為したのでした。

 つまり、一心にクニタミの幸せを願い、
 私の心を捨てて、政ごとを為すということが
 ミヤビなのです。

 そうすれば、自ずからヒツギ(皇室)の栄えは、
 天地が無窮であるように、続いていくことでしょう」


いかがでしょうか。


ヲシテ文献にだけ、治世の心構え(方法)、

成功する条件と結果

ミクサノタカラ(三種神器)の意味もろともに、

しっかりと書かれています。  

しかしこの最重要な部分は、見事なまでに

古事記・日本書紀ではカットされ

大陸風の神話に仕立てられています!!

マカリタマ(勾玉)に表されたのヲシテは、私を無くした心「ミヤビ」

ツルギには、そのミヤビを守るための威き心。

カガミは、政を行う自分や周りの人たちの心を写して、

カ(正しいこと)ガ(間違っていること)

真直にミ(見)ることのできる、尊い器もの。



また別の場所で、アマテルさんも、後のアマカミ方も、

治世の目的は「タミヲ ヤワス(民を和す)ことである」

とも言われています。

民の心を安らかにし、クニを平和にすることだと。




でも、こんな記録を消されてしまったのは、

なんとも恐ろしいことだと思いませんか?



神武天皇までの皇統略図は
こちら


                                

(旧版 06/01/30) ,

 

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コメント

ありがとうございます。


「ツチカフハ ミノ アシハラモ
ミツホナル 」

の意味が、なかなかとれなくて雰囲気だけ味わうという
感じだったんですが、そうですよね。


「アシハラ」というのは、芦原という芦の原野、
すなわち、芦原を水田にしていったという故事で
水田の原点をさすけれど、同時に、「悪し原」で
もあって、使えない土地を水田にするということでも
ある。

これを背景に例えられていて

「ミノ」というのは、自分の身、いいかえれば、人の
身というのをさして、その「あしはら」、
雑草が生えているような人(芦原)、だったり、よこしまな
発想をしているような人(悪い原)であっても、の意味。
さらには、「悪し腹」もかけてあるのかもしれません。

そういうような「普通の民」あるいは「道を踏み外して
いる民」あるいは「高貴な出でない民」であっても、
ミツホの実るよい水田(よい民、あるいは指導力があれば
トミ)になれる、という教え。


このウタのあと、アマノコヤネさんをはじめ、多くの人々が
感動したということが記されているのも頷けます。

投稿: ひらおか | 2009年8月22日 (土) 09時21分

もうひとつ、「アマカミ」という用語ですけれど、

  アマキミ  →  アマキミ
           アマカミ
           スヘラギ  →  スヘラギ
                   (スメラギ)

というような使い方で、カミヨの前半では、アマキミ
と呼ぶのが通例ではありませんでしたでしょうか。

私の想像では、アマテルさんが偉すぎて、「アマカミ」
と呼ばれるようになったのかと思っております。

投稿: ひらおか | 2009年8月22日 (土) 09時23分

>ひらおかさま

いつも詳しい解説を、有り難うございます。
本当に嬉しく思っております。

さて、アマカミ、アマキミのことですが、
文献上記されている個所を見ると、そのように思えますよね?
つまり、分類してしまうとそうなのです。

が、内容から私が感じたことですが、

「アマカミ」は改まった呼びかたで、
アマツカミ、つまりアメミヲヤを意識しているように思えます。
「アマキミ」は、比べると身近な感じではないでしょうか。


ホツマ辞典では、トコタチ(クニトコタチ)を、初代アマカミ。
クニサツチのことを二代目・アマカミ、
さらに「ウビチニ」でも4代目のアマカミと解説されているのは、そういうことかなと・・・

投稿: びーちぇ | 2009年8月23日 (日) 08時36分

おはようございます。

アメミヲヤのことを、「カミ」と呼んでいる
例はありましたでしょうか。

「ミヲヤ」「アメ」「アマ」はあるように
思うのですが「カミ」はどうでしたか。

投稿: ひらおか | 2009年8月28日 (金) 09時18分

ううん、難しいです。
カミというコトハは1000以上もあるので・・・汗)

ただ「アメノカミ」で、
アメミヲヤを示唆しているのではないかと思われるのが、

アメノカミ ヤマサオウミテ   (ホ21−13)
アメノカミ ハハワタカミヤ   (ホ29−23)

ですが・・・

投稿: びーちぇ | 2009年8月28日 (金) 15時29分

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