皇統をつなげた人「トヨケカミ」その1 改訂版
「トヨケ」さん、イミナ(実名)「タマキネ」さんは、5代「タカミムスビ」であり、
「イサナミのミコト」の実の父です。
といっても分かんないですよね・・・(^^;)
「タカミムスビ」とは、
建国の初代アマカミ「クニトコタチ」の8人の皇子の1人が、
ヒタカミ・東北地方の「クニカミ」となって頂いた、まあいえば尊称です。
建国の頃の日本は、琵琶湖を中心とした「ヲウミ」をアマカミが治め、
北をタノミコト(タノクニサツチ)に任せました。
中央に次ぐ格式の高いクニとして「ハゴクニ」とも呼ばれ、
タノミコトも「キノトコタチ」という尊いお名前をもらっています。
これはね、東を表す「キ」という音と、その統治の記念として、
建国のシンポル「カグノキ」と、暦を数える「マサカキ」を、
父・クニトコタチが自らお植えになった由縁でしょう。
場所は今の宮城県多賀市と言われています。
同時にクニトコタチは東海の美しい山(古名・オオヒヤマetc.)にもカグノキを植え、
以来この山は「カグヤマ」と呼ばれるようになりました。
今の富士山です。
そうですねえ・・・「タカミムスビ」は・・・まるで違うんですけど・・・
イメージだけで言えば、江戸時代の徳川家。
天下の副将軍、水戸の徳川家みたいな位置を想像してくださいね?
宮中と同じに「アメをマツル(オオナメエ)」ことも、
ここだけは許され行われていましたし、
おそらく、タカミムスビは皇統に何か不都合が起こった時の
備えだったのかもしれません。
そして長く長く・・・5000年ほどの年月が過ぎていったと思われます。
5代タカミムスビ「トヨケ」さんの時代。
時のアマカミは6代目の「オモタル」キサキは「カシコネ」です。
はい。いつものように系図を見てください☆
「ちょっと待って。
なんで、5000年位が5代だけなの?」
・・・思い出してくださいね。
おそらく3代目までは1代が1人だけじゃなかった・・・ことを。
歌舞伎で言うなら、中村勘三郎の名跡を江戸時代始めから現代まで、
次々と襲名したようなもんです。
初代勘三郎から400年は経っていますものね?
・・・あるいは、陶工の柿右衛門。今は何代目なのかな。
一大事が起こりました。
6代アマカミ「オモタル」とお連れ合いの「カシコネ」に
子供が産まれなかったのです!
この時代には、稲の栽培は成功して、人々が飢えることは無くなりました。
でも、気候が変わったのです。
それに、飢えない暮らしに慣れた人々は、もっと多くを望むようになっていました。
また稲作の特徴は、手をかけ細やかに、そして家族が心を合わせて勤勉に働くことで、
豊かな実りを得るものです。
でもそういう栽培技術の上下は、貧富の差をも生み出しのです。
いつの世でも、のんきな人もいるし、適当な人もいます。
そういう人は、収穫もそこそこです。
また、手っ取り早く豊かになりたい人も、
自分の働きを棚に上げて、人を羨む気持ちも、
続いてねたみ、そねみの心も生まれてきました。
なんということでしょう。
食べていけるかどうか、必死だった時代は、
お互い様とて、助け合って仲良く生き抜いてきたのにね?
「あなたの幸せのために、私は何をしましょうか?」
人の喜び、人の幸せのために力を尽くすことが
建国の時「クニトコタチ」が定めた唯一の法律です。
そういう心持ちを古いヤマトコトバで
「ミヤビ」といいます。
そして、そのミヤビを「ト」というヲシテの文字で表し、
この法律、憲法は
「トノヲシテ」と呼ばれて、
何よりも尊いものとされました。
「ト」
文字を見ると、母音の□がクニを表し、
子音のYの字は、アマカミが天からの恵みを両手を広げて受け取っているのです。
受けた恵みを皆に分け与えるのが、アマカミの役目でした。
いつも飢えに脅えてきた人々は、恵みを豊かにもたらす技術を教え、
導いてくれるアマカミを慕い、共に頑張ってきたのですが。
つまり、我が国はその始めから立憲君主国であり、
「技術・文化によって」立国したという珍しい国でした。
こんな国は他にありません。
優れたリーダーの周りに集まり、自ずから纏まっていったのです。
「アマカミ」という地位、役目も、人々が作り出したようなものでした。
そして。
この時代。
どんなに努力をしても、
気候が悪くなるにつれ、農作物は減収し、
国は乱れてきました。
乱れのもう一つの理由として、
大陸で、あの殷が、周に攻め滅ぼされたことがあるかも知れません。
つまり多勢の難民が日本列島になだれこんだ、という可能性も否定できないのです。
異民族が増えれば、言葉も文化も習慣も違い、摩擦も起こるでしょう。
おまけに頼りのアマカミにはお子様が生まれない。
その不安も、相まったのでしょうか。
ついに中央の目をかすめて、
盗みや乱暴や集団での略奪なども現れるようになってしまいました。
「強いものが勝ち」という考えは、それまでの我が国には無かったのですけれど、
もしかしたら、異民族が持ち込んでしまった「大陸の常識」だったかも。
オモタル、カシコネはとても優れた方々でした。
稲作技術を指導したり、全国を回られて、民を直接に教えたのです。
それなのに、ついに正直者が踏みつけにされる事態に立ち至り、
民を守るために悪者を取り締まり、罰しなければならなかったのです。
それまでは、武器というようなものは必要がなく、
適当なものがありません。
仕方なく、
とりわけ凶悪なものを、木を切るオノを使って処刑を行ったのです。
しばらくして、オノに代えて「ホコ」が作られました。
「ト」を守るための「ホコ」なのです。
ミヤビの心だけは、何があっても守らなくてはなりませんでした。
ヲシテ文献には、そうやって、人を切ったことで、
お子が生まれなかったのではないかと推測しています。
おそらくオモタルもカシコネも、お辛かったに違いありません。
民を愛し、そのために働き続けてきたのに、
多くの人を守るために、少数ではあっても人を死刑にしたのですから。
それに、リーダーにはヲヲヤケという立場があります。
情に流されないで、法を守ることを自ら示さなくてはなりません。
法治国家なのですから。
自分を無くすこと、私ごころを捨てることが
ヲヲヤケという立場の基本でありました。
しかし気をつけていただきたいことがあります。
ヲヲヤケというと、つい「公」という漢字を思い浮かべますが、
まったく意味は違っています。
公、また英語でのパブリックには
「自分を無くすこと」は入っていないのです。
むしろ「自分の利欲の為に、それぞれが自他を調整すること」が
その意味であるそうですから。
※ 「公」「ヲヲヤケ」についてはこちらへ。
一方、タカミムスビのタマキネさんは、
ヒタカミを優れた手腕で治め、クニを豊かにしていました。
今までの祭祀するカミの体系をまとめ、人々が心をひとつに合わせるように改良し、
アメノミチを理解するために、「モトアケ」を写し、
それをマツルことも始められたようです。
こうして人の心をまとめることに成功すると、ヒタカミでは自ずと食料生産も復興して、
タマキネさんは「ヒカシノキミ」「ホツマキミ」と褒め称えられました。
そして「トヨウケ」の褒め名も賜ったのです。
トヨは豊饒、豊かなるさま。ウは大いなるという意。ケは食糧です。
トヨケさんはまた、技術開発にも力を注ぎ、自らが優れた研究者・技術者となり、
金属の精練とか、産医学とか、乗馬法を次々と習得し、自ら教え導きました。
また、その際にも人の能力差や興味をとらえ、比べる人はいないほどの
教導の実力がおありだったので、国の内外を問わず若人たちは集まりました。
遠く海を渡ってやってきた・・・(前にお話しした)中国アカガタの「ウケステメ」も、
その1人ですし、
後の「アマテルカミ」も孫であり、愛弟子なのです。
そうね・・・才能のことだけをいえば、
多彩きわまりなく、かのレオナルド・ダ・ヴィンチみたい。(ご無礼な物言いかも)
ともかく、ふところ深く、暖く、頼りになる、大きなお方であられました。
ここで本当は「偉大な方」と書くべきなのでしょうが、
私はいつも、まるで肉親のような親しいイメージを感じてしまうので、
このような紋切り型の言葉で表現したくないんです。
きっと、
文献を読んでいて、この方の慈愛のお心にふれるせいでしょうね。
しっかりと文を記す、あるいはいろいろな文献を纏めるということも、
この、トヨケさんが最初の人だったかもしれません。
それまでは、文字があり、使っていたとしても、
お触れとか、覚書ぐらいだったでしょう、きっと。
飢えないため必死で働いていては余裕がありません。
生活にゆとりが出来て、そういうことも可能になるというものです。
お子は名が知られているだけでも4人。他にも何人かいたようです。
さて、愛娘をイサコといいます。
この方が後の「イサナミ」漢字では伊弉冉命と言われたお方なのです。
あの、伊勢神宮の外宮はトヨケさんを「豊受大神」として祀っていますねっ!
ヲシテ文献なくしては、これは判明しなかったのです。
・・・今でも神宮では分かっていらっしゃらないみたいよ。
それでも不思議なことに
参拝は豊受大神を祀ってある外宮からという決りを今に伝えています。
内宮の天照大神は、2番目のお参り順なんですよっ!
でも、このヲシテ文献を読むと、
そりゃあ、当たり前だと納得できるのですよね。
さて、トヨケさんも
アマカミのお心を深く感じ、共に憂いていらっしゃいました。
自分のクニがうまくいっていても、国全体ということが大事。
日頃から重臣としてオモタルにお仕えし、深い信頼を頂いていたのです・・・
(続く)
(旧版 05/11/01)
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コメント
私の敬愛するトヨケさんの連載、楽しみです。
ちょうど 「縄文人のこころを旅する」を読み返していたの。
伊勢神宮への参詣 から始まってますものね。
いつもながら 不思議な成り行き。
投稿: 北村 | 2005年11月 2日 (水) 16時05分
神代に関する、貴重な研究をご披露くださりありがとうございます。日本は建国以来「立憲君主国」だったという解釈は斬新かつ説得力があると思いました。続きを楽しみにしております!
投稿: 猫研究員 | 2005年11月 3日 (木) 22時18分
私のような日記へTB なんてなんだか恐れ多いです(^^)だって知ってる名前はイサナミのミコトぐらい。多くの国民の方々にも読んで欲しい日記ですね。
投稿: はなびら | 2005年11月 4日 (金) 11時57分
猫研究員さま
いえ、解釈ではなくてね、そう文献に書いてあるのです。
立憲君主国だったということを、読み取れるのですよ!
そのうちに原文を引用して、見て頂きますね?
続きは、あと二,三日はかかりますが、
また読んでくださいね?
投稿: びーちぇ | 2005年11月 4日 (金) 23時19分
はじめまして!
楽しみに読ませていただきます^^
ヲシテ48文字目にしたとき不思議な感覚…
尾てい骨からエネルギーが螺旋状に昇って
くるような感覚が…。
春日大社の葉室宮司より
「今、わたしたちが使っているのは日本語じゃ
ないんです。やまとことばには一音一音意味があって…」というお話を伺ったことがあります。
それ以来ず~~~~っと、それを知りたくって。
びーちぇさんのブログにたどり着けて
嬉しい限りです。
投稿: 踊猫♪ | 2005年11月 7日 (月) 18時03分
踊猫♪さま
コメント有り難うございました。
そうなんです。とっても不思議な文字でしょう?
とてもエネルギーに敏感な方とお見受けします。
嬉しいです。
私も初めてこの文字に出会って、感じたのはそのことでした。
もともと野口整体などやっておりましたが、亡き父の看取りした2年の間、さらに必要を感じて、ヒーリングやエネルギーを使うことを私なりに勉強し、大変役に立ちました。
今はヴォイスセラピーの方をやっております。
古代ヤマトコトバは、文字の中に大自然のエネルギーが今も働いているのです。
また、響きも癒しのちからが働くのです。
でも本来だれでも・・・感じなくても・・・使っているものなのですよね。
また、お越しください。
踊猫♪さまに、楽しいヒントが生まれてきたら、嬉しいことです☆
投稿: びーちぇ | 2005年11月 8日 (火) 22時57分
お言葉に甘えてまたきました^^
昨日図書館で、松本善之助氏の「ホツマ古代日本人の知恵」を見つけて
夢中になって斜め読み(時間がなかったので)しました。
この頁にビーチェさんが載せていらっしゃるのはフトマニ図というのですね。
図書館で複写したフトマニ図を書き写していて
天元八神と天並八神がそれぞれ八芒星を描くのに気付いて
子供のようにワクワクしていました。
その外側の十六神と十六神はやはり☆を描くのですか?
そういや、伊勢神宮では柏手は八つ打つと聞いたことがあるなぁ
菊のご紋は十六花弁だなぁ関係あるのかなぁ~と思って眺めてました。
フトマニ図はそれだけでも強いエネルギーを感じますが八芒星二つ
描いたとたん風が起きてびっくりしました。
風と…水…清流の中に身を沈めているような感覚が。
側に母がいたので、彼女はどう感じるのかと聞いてみました。
「あったかい…。あ!あったかさの中に風が…手がじりじりしだした…」
う~~ん。面白い!
「トホカミエミタメ」というコトバは割と身近なものだったのですが
神々のことだとは知りませんでした。
正しくは「トホカミヱヒタメ」ということも初めて知りました。
「ヲシテ」にますます興味が湧いてきました!
投稿: 踊猫♪ | 2005年11月 9日 (水) 15時05分
踊猫♪さま。
今度のブログは春日大社にとーーーっても縁のあるお話です☆
アマノコヤネさんのお父様「ココトムスビ」が
カスガトノという褒め名を賜り、
春日の地も賜ったようです。
だから、お子さんのコヤネさんも「カスガマロ」と呼ばれていたんですよね・・・(^_^)v
お祖父さまは、イサナミのミコトのお兄さんに当たる「ツハモノヌシ」・・・ということは、
トヨケさんはひいお祖父さまなのよっ!
投稿: びーちぇ | 2005年11月11日 (金) 11時46分
豊受大神って女神ですよね?
なのに、何故父?
投稿: COO | 2005年11月14日 (月) 03時15分
COOさま、いらっしゃいませ☆
トヨケさんこと豊受の大神は、男性なんです。
アマテルさん(天照大神)も。
トヨケさんはねえ・・・私にとって、大好きだった二人のおじいちゃん
みたいな感じです。
物知りで、温かくて、ふところが広い、頼りになる方。 (^o^)
今の神社の由緒などは、古事記・日本書紀からの情報で書かれているのが多いのです。
この情報がすでに、
支那の勢力と迎合する権力者によって、史実を書き換えて、
ヘンチョコリンな神話にしてしまい、
本当のことを書いてある古来の文書は禁書や焚書にして消してしまいました。
ヒドイことが行われたのです。
これが一般庶民に気がつかれないよう、
権力者たち(つまり政治家たち)は、
漢字を採用して、誰でも読める字を無くしてしまいましたっ!!
今北朝鮮、韓国や中国などが、
国連においても日本叩きに資料を捏造し、非難をしていますが、
あのような感じで、それが真実だと思い込ませるのに成功しちゃったのです!!!
それにねえ・・・
神様じゃなく、みーーーんな生きて、いろんなお仕事をなさってたご先祖さまたち。
ヲシテ文書を読むと、すごく素敵な方達なのがわかりますよ☆
また、いらしてくださいね? (^o^)/☆
投稿: びーちぇ | 2005年11月14日 (月) 05時13分
おひさしぶりです。
先日、お伊勢さんに初めて行きました。
もちろん決まり通り外宮~内宮と参りましたが、
トヨケ様、アマテル様のおひざもとか、と思うと感激でした。
PS.以下の記事で、こちらの記事を紹介しましたので連絡します。
http://nonbe.way-nifty.com/blog/2007/06/post_f711.html
投稿: 練馬のんべ | 2007年6月16日 (土) 16時40分
トヨウケ様が住まれていた岩手県多賀城というのは、もしかして、宮城県多賀城市のことではないでしょうか?そうでしたら、ご訂正いただけますか。正しい歴史を教えて頂いている貴重なブログですので、ご確認頂けましたら有難いです。
投稿: よさく | 2008年1月24日 (木) 13時01分
>よさくさま。
大変失礼いたしました。
しっかりと思い違いしていたようで・・・汗)
直ちに訂正致しますので、お許し下さいませ。
また、他にもおかしなところがありましたら、
これからもお教え頂けますよう、よろしくお願いいたします。m(_ _)m
宮城県の方々、本当に申し訳ありませんでした☆
投稿: びーちぇ | 2008年2月10日 (日) 08時59分