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2009年8月28日 (金)

伝統 その2 「古代における女性の尊さ・皇位継承」 改訂版

kozakura


今のように世の中が混乱して、何が一番大事な守るべきものかを問うときには、
やはり日本民族の歴史・・・つまりこの日本列島という環境条件の中で、
祖先が何を大事にしてきたのか、どのように生き抜いてきたか、
試行錯誤、成功失敗も含めて、振り返り考えることが大事なのではと思います。

ですから、残された歴史というのは本当に大事なのですが、
それが時の権力によって、都合よく書き直された可能性も充分にあるのです。



特に日本書紀・古事記以後・・・大陸の勢力と思想が入ってしまい、

我が国固有の民族の感じ方、考え方が

記録でも伝わらなくなってしまいました。

ここに、日本書紀(国史)の原典であったにもかかわらず、

時の権力に否定され、消されてしまった

「ヲシテ文献」の、

重大で尊い役割があるのです。


古文書?・・・もしかして偽もの?・・・などと言われるものが、
現在でも他に多く存在していますが、
私がほんの少し調べただけでも、

みな記紀を基にした、異説・反論に過ぎませんでした。
つまりは、
大陸思想に染まったそのままの感じ方なのです。

古代文字だと取り上げられているものも、
それによって書かれた文献はまったく存在しないか、
原本あるいは写本があっても、
その内容は記紀の範疇を出るものではありません。

それでも、否定できないことは、
大陸思想である「武力での絶対支配」「権力」ということに対する、
ささやかで切ない庶民の抵抗の想いがあったのだろうということだけは、
感じられるような気が致します。



しかしヲシテ文献

大陸の思想とは、まったく異質の

しかし、ほんとうの日本人なら誰でも納得がいく

平和で実質を重んじる気風でつらぬかれ

国難の時にも

私たちに誇りと勇気を与えてくれる文書なのです。


神々とされ祀られている神社の、
もとの御方や、その業績も明解に分かり、
なぜ祀られたかも、その土地とのゆかりと共に
はっきり記されています。

また、大事に伝わっている行事の多くは
中国からではなく、
日本古来のものであったこと。

三種の神器を始めとし、お米、養蚕などが、
今もご皇室で尊ばれているのは、なぜであったか・・・
それも心から納得できるのです。
その、なんともいえない安らぎは特別なものと感じます。

むしろ、ヲシテ文献を基にして
記紀を読めば、
書かれたその時の、非常時のありさまが良く理解できるので、
記紀の勉強には「ヲシテ文献」を何は置いても、頼りにせねばなりません。



国史として、日本書紀の伝えられなかった部分、

景行天皇の57年までは、ヲシテ文献に変えるべきと、

私は強く思いました。


・・・12代景行天皇の御代、心を残しながら急逝された
日嗣の皇子「ヤマトタケ」さまのお気持ちと、ご遺言に添って
建国以来の歴史を振り返り、それまでのフミを集め編纂されることになりました。

この今で言う皇太子さまは、大陸の憂慮すべき影響を、
すでに聡明に察しておられたように拝察されます。

この「ヤマトタケ」さまだって、記紀では書き直されて、
ぜーんぜん、お人柄が違うんですっ!

勇敢で優しく賢く、父ギミのご信頼も篤く、
心の通い合うご関係であられました。

自分より位にふさわしいとのお言葉さえあり、
期待され愛されていらしたのに!

これを書き直しただけでも国賊もんですっ!



声を大にして言いたいのは、

我が国の歴史には、作り上げられた神々などはいなかった。

しかし、

民族の祖先の方々がどう生きて来られたかのという

伝承をはじめ、様々のフミは、

しっかり固有の文字で、書き記されていたと。



国史として、それまでの記録をもらさず纏め、
正式にヲシロワケ(景行天皇)さまに捧げられた。
それが、
ヲシテ文献の中の一つ「ホツマツタヱ」です。

またヤマトタケさまのご遺言で、父ギミが見直され、
アマキミ(この頃はスヘラギ)に代々伝えられてきた「カグミハタ」の書写と共に、
「トミも ミカサノフミお ソム」とオオカシマさんが纏められた文が、
もう一つの書である「ミカサフミです。


その序文には、ホツマフミもオオタタネコさんによって捧げられたと
記されております。
残念ながらカグミハタは未発見。ミカサフミも一部が見つかっただけです。
しかし別に、アマテルカミが編纂なされたという「フトマニ」は、
幸運にも写本が完本で発見され、
これらを総称して「ヲシテ文献」と呼んでいます。
しかしどの書も内容は合い補い、矛盾がなく一貫したものです。

さて、
その内容で一番大事なのは、



建国は武力ではなく、

皆が自ずと選んだアマカミ(後の天皇)によって、

文化立国されたこと。

建国時から、守るべき法律があった。

つまりは、立憲君主文化立国であったのです!!!

そしてカミノヨは、上の世・・・祖先の世の意味であり、

すべて生きていらしたご先祖さま方であったこと。


余談ですが、
この日本建国の時代についても、
時に紀元前8000年頃ではないかと、
古地理学、遺跡の発掘、発掘物の年代測定により、
推定が可能になって来つつあるので、喜んでいます。



前置きが長くなりましたが、
今日は、皇位継承のもう一つの側面、
すなわち皇位は
男系男子の継承に限られてきたのはなぜかを
考えてみましょう。



男系男子の継承
を考えるには、

歴史をさかのぼり、

古来の男性と女性の在りかたが、どうであったかを、

まずは理解する必要があるのではないかと思います。

そして、文献には

縄文の昔から、女性を大変尊んできたことが読み取れます。

その始まりは、大自然の法則をアメとして、

唯一のカミ(アメミオヤ)と崇めたことからなのです。


具体的にはどうであったかですが、
自然法則に従い・・・
つまり、アメミオヤに従って、
命を持つものとして、種族を次代につないでいく役目、
産み育て、また文化を伝えるという女性の役目や、
その為の生理機能を良く理解して、
何より大事にし、尊んでいたといえるでしょう。

その理由から、
おそらく祭祀や政治などの待ったなしのヲヲヤケの仕事
男性がやるというように自然となったのだと思います。
けっして、男性が上であるからと思っていたのではありません。
ただ、男性の方が向いていたからに過ぎないのです。

それには、大方の人がまだ論じていないことですが、
女性の身体の仕組みをもう一度、よく理解する必要があります。


女性の身体は男性よりも、個々にデリケートにできていて、
特に生理の時期には、人により苦痛が酷かったり、
(目の前が暗くなって、気が遠くなるほど痛みがあるとか・・・経験あり☆)
また感情的に不安定になることがあるのですが、
それは「今無理をしてますよ、女性としては、お休みした方が良いですよ」
という身体からのシグナルなのです。

戦後、薬で痛みや不安感なども楽にできるようになりましたが、
やはり、薬でごまかしているわけであり、
長年続けると副作用も出る恐れもあり、身体にとっては休養するのが一番です。

戦後、そのようなことを始めて科学的に確認し、
広めていかれたのが、野口晴哉さんです。
野口さんは女性の、特に妊娠出産ということを、大変重要視され、
私も直弟子の方のお教えを受け、子育ても身体の使い方も納得がいったのです。
そしてだんだん鎮痛剤などに頼らず、辛い期間を乗り切れるようになりました。

これが、今思うと
ヲシテ文献から読み取れるのと同じことなのです!


野口さんが教えられたのは、
特に女性は子供のうちから、足腰を冷やしてはいけない。
思春期と出産期、そして閉経時には特別の注意がいるが、
そこを無事に通れば一生健康な自然な身体になれるとのことです。

生理時には、重いものは持ってはいけない。
衛生にも注意が必要であること。
ある意味出産に準じた心遣いが必要です。

また、出産後は1ヶ月は安静にすること。
それを1ヶ月は床上げをするな・・・布団は敷きっぱなしで、
いつでも休めるようにすることが大事と、
これは戦前のお産婆さんも指導していたことですが。

特に産後1週間は、トイレにも起き上がってはいけない。
骨盤は出産後、少しづつ左右かわるがわるに収縮して、元にもどっていくのですが、
左右の高さが2度目(か3度目?)にそろった時を逃さず、
縦になって起きるべきなのだそうです。

まず横の寝た位置から、ゆっくりとうつ伏せ姿勢になり、
そのまま起き上がり、布団の上で正座します。
そうすると、そのまま骨盤の位置がきまり固定するのですが、
その日は、五分ぐらいで又休みます。
そして、次の日から普通に起き上がって動いても良いのです。
ただし、徐々に、疲れないように。

このような配慮をすると、
妊娠前のようにウエストも腰も自然にひきしまって、
おまけに前よりも、
ますます美しくなり健康な身体になれるのです。2631_2


左にあげたのは
「ホツマツタヱ26−31」ですが、
あのトヨタマヒメがウガヤノキミを
産まれた後のお話。
産屋でくつろいでいらしたところを、
ホオデミさまに覗かれちゃって、
后にふさわしくない、
だらしない女と思われたのでは・・・と。

後に義父のニニキネさまが、
ヒメは正しく悩むことなどない。
夫君ホオデミさまの方が
お産の決り事をやぶったのであると、
慰めて教えておられるところです。
「子を産んだ後は、夫にも会わずに、
 75日はゆっくりとくつろいで、
 身を休めなくてはなりません。
(ツツシムことができなかったのは、
 夫の方なのですから。
 貴女ではなく夫のハヂです)
 この産後の休養のことは、
 産科医のカツテカミが
 かねておっしゃったことですよ」


「病気ではないから」すぐ起きて、普通に働くことは、
その時は何ともなく思えても、
中年を過ぎて故障が出ることが多いのです。
それに身体に締まりが無くなり、太ってしまうことが多い。
出産の度に、より美しくなれるなどとは、思っても見ないのでしょうね。

古来の日本式を守るとそのようなこ不都合も避けられ、
お乳もたっぷり出るのです。
そして、少なくとも授乳期が終わるまで、
子供のことだけに専念することが大事です。
まあ・・・自然にそうなっちゃうんですけどね。

もし授乳期にストレスがあると、とたんにお乳は出なくなります。
また、悲しみや苦しみもいけません。
お乳の成分が変わってしまいます。
これは最近西洋医学でもやっと、証明されましたが。

なんせ西洋医学は、
出産に関しては部分的なとらえ方であり、大変遅れていますっ!

この時期の夫の役割は、
いかに母となった女性を幸せな、安心した気持ちにさせるかが、
本当に大事なこととなります。

また子供の成長と共に母の役目も次第に軽くはなりますが、
思春期にはまた別の配慮が必要です。


「乳児期には手で触る。幼児期には声をかける。
 そして思春期には、見守ることが必要である」

現代の優れた教育の専門家の言葉にも、そうありました。
ですから女性の仕事は、その合間を縫って、
賢く働くことが大事だと思います。


さて。
こういうことをちゃんと守るならば、
いわゆる男性と同じ仕事には、もともと向いていない身体に
出来ている
のですよね?
良い子供を産み育て「なお一生」健康であるには、
本当にそれぞれの女性への、身体と個性に合わせた心遣いが必要なのですから。



先祖の方たちはそれを良く知っていました。

ですから、

個々の生理的リズムに左右される女性には、

待ったなしのヲヲヤケの仕事を、

身体に障るからと、させなかったのです。

それが、また女性を大事にすることの証であるということです。

そうかといって、女性によっては、
男性と違った形で、優れた才能を持っておられる方もあり、
それをヲヲヤケに生かされて、活躍なさった方もあります。

しかし無理はなさらず、出来るときに自然な形で
仕事をなさった
ように受け取れます。
それを、「ツツシム」という美しい言葉で表していますが、
このコトハも、
くれぐれも現代の発音では同じだけれど、
意味が違っていることを覚えていて下さいね?


・・・アメのエネルギーをいっぱいに受けて動いていく。
    2字の繰り返しは強調ですね。

・・・上の字を受けて、日々繰り返し、それを為す。

・・・調和をもって力強く動き伝える。


要は、アメのノリに従って行動することであり、
決して「控えめに」とか「でしゃばらない」とかいう
後世の意味を持つ言葉ではありません。

私ごころを無くし、調和の中で、能動的に動くことなのです。



また後世の血のケガレとか、
女性のケガレという考えは
この時代にはまったくありません。




アマテルカミが
タマはみな同じ」とおっしゃっていますし、
他の方も、似たようなことを何度も言われています。
ただ、役割が違っていると。

ケガレなどと言い出したのは、
後に大陸の権力思想、宗教と共に
女性蔑視が入ってきてから
だと思います。
権力が他を支配し、よって差別や偏見が生まれ、
そして差別や偏見のあるところに、女性蔑視も生まれるのです。

私も女性の端くれとして、子供を産んだり育てたり、
また、自分の特殊技能を活かすという形で、仕事もそれなりに続けてきましたが、
そのやり方は男性とは違い、とうていフルタイムという訳には行きませんでした。
今人生の半ば過ぎて、
縄文時代の優れた考え方に深く共感、感動するものです。



女性は子供を産み育てるための性なのです。

これがすべての大前提になっていましたし、

そのことは今でも同じです。


また、仕事で疲れて帰った男性をいたわり、くつろがせ、
明日への活力を取り戻してもらうことも、
妻の、他人には出来ない大事なことではないでしょうか。

畢竟、男性と女性はペアになって、助け合うことが、
一番自然で、健康で、幸せで、良い社会が自ずから生まれる基なのだと、
縄文時代と同じに、私は信じるものです。

もし、運命によってペアになれなかったときでも、
子供が授からなかったときでも、
男女共々、この原則に添って働いたり、労りあったりすることが
日本の古来の教えということになりますよね?


古代のペアの制度は、それぞれ必要に応じて変わっています。
最も古くは、固定しない夫婦制度。
しかし「コハ タカラ」でありました。

稲作というデリケートで重労働を伴い、大事なことが仕事になった時代から、
家族で働く方が効率的で、また自然であったので、固定した夫婦制度。

しかし、厳密に言う現代の一夫一婦制度ではありません。
ヲヲヤケに認められたのが、ナカハシ(仲人)が介して成り立ったトツギでした。
例え恋愛であっても、ナカハシを介して社会に認められる必要がありました。
ですから、トツギと共にイエという制度も成立し、
それを継ぐのは正妻の男子であることが原則となったのです。


momonaru



このトツギのノリは、以前のエントリーでもふれた、
4代アマカミ・ウビチニによって定められ、
アマカミが3月3日に、ご自分のトツギをなさってから、
高位高官もタミも、多くの人が式をあげ夫婦となりました。 原文(最下段)

さて、これより後になりますが、
アマカミの場合は、キミと向かいあう御位のウチミヤ(皇后)の他に、
正式なキサキが何人もいらしたのです。
そうなったのは、皇統が絶えそうになった事件の後のことでした。

このようなキサキ複数制を取られたのは、
もちろん男子が授からなかったとき、夭折されたときなどを見越して、
皇位を安定して保つために考えられたのでしょう。



アマテルカミは、世継ぎが絶えそうになり、
そのために混乱した国の歴史を振り返り、
ソフキサキ(12人のキサキ)を定められました。
そのなかで、アマカミと対等のウチミヤは、お1人、
ムカツヒメ「ホノコ」さんだけとなりました。

しかし、この複数のキサキ制度は
後世の将軍家の大奥や、現代の私達の感覚とはまったく違います。

妻であり、御子も産まれるけれども、
アマカミのキサキとは、いってみれば秘書のお役目や、
地方の事情をわきまえて、政ごとに生かすための
現代での議員のような役目の一部も、おのずと受け持たれている制度でした。

また、特別に信頼されて神器を預かる方もいましたし、
ヲヲヤケのことでも特別の工夫を考えては、アマカミにそれとなく進言したり、
それぞれ一心にキミのヲヲヤケのお仕事を支えたのです。

そのため、12人のキサキは東西南北、それぞれの地方から入内されました。
また、新たに制定された太陽太陰暦の普及のこともあって、
1年、12ヶ月になぞらえてソフキサキを印象づけて広めるためにも、
そのプライベートなご生活は1月ごとに交代で、
それぞれのキサキが、アマカミのお世話に当たられたのです。

またウチミヤを頂点として、4段階の序列があり、
結婚のかたちというよりは、仕事の組織のような感じが強いのです。
つまりは、ヲヲヤケを立てる(クニを平和に豊かに保つ)ためのトツギ・・・
という意味合いが重要であったのだろうと思います。

またクニカミや地方豪族、一般においても、
子に恵まれない時には、
メカケという妻ではない関係を持つことも、
一定の条件付きで正式に許されていました。


とにかく、現代とは感覚が違っています。
のヲシテでは、思いやるというミヤビのこころが一番ですから、
嫉妬とか、恨みなどということは、あってはならぬことであった訳です。
それが、当たり前であって始めて成り立つ制度なのですね。

それであれば、男性本来の性質、
コダネを、なるべく多くの女性に受けてもらうということは、
自然な行為でもあり、
女性の同意があれば成り立ったということは、
うなづけるのではないかと思います。

そして子供の命名は、上下身分を問わず、父の役目であったのも、
大変良く考えられている制度だったと思うのですが、いかがでしょうか。



要は子供が産まれ、健康に良い子に育つのが、

健全な社会を育て、クニを栄えさせることでしたから・・・ね?


それに、たとえアマカミのお召しがあったとしても、
女性には拒否が出来たのです。
あくまで同意の上でというのが、
やはり女性を尊ぶというアメのノリに添った、
大事なことでありましたから・・・



カミノヨは、このように大変大らかで、
個性も生かせる明るい時代であったように思います。

それなのに、女性蔑視の感覚が、
権力というものと共に大陸から伝わり、

広まっていったのは、本当に残念なことでした。

 

そのせいで、今のへんちょこりんなフェミニズムや、ジェンダーフリーまでも
良いことのように勘違いされているのですからね・・・
これはすべて、権力で成り立った国から生まれたものです。

我が国も、特に大古墳時代から大陸の圧力が強まり、
巧妙な手段でその思想は入り込み、
現在でも引き続いてのグチャグチャ状態です。

しかし、もともとは
稜威(イツ)はあっても、
権威ではなく、

権力で支配するなどという考えは、
我が国では異質
なことだったのです。



キミはタミを、我が子のごとく慈しみ、

タミは親のようにキミをお慕いし、心からお役に立とうとする・・・

そのような相互の信頼と共感の心が、古来の姿。



ですから今でも、男女同権と居丈高に主張されたり、
頭ごなしに偉そうに威張る人を見ると、
反射的に「美しくない」と思ってしまうのです。
そう、美しくないことはこの国の文化には異質で不要なるもの。
ゆえに私たちには合わないという、感性のシグナルなのでしょうね?


yamazakura


しかし、いづれにせよ、
人という種の自然は変わりません。

自然の掟・法則。
この国においては、縄文のアメミオヤのノリに添った教えが
より本来の両性を活かすものであることと再認識するのは、現代においても、
何より大切なのではないでしょうか。


そのように我々の歴史をさかのぼって考えれば、



女性天皇
などということは、

内親王方の女性としてのお幸せも考慮せず、

ご健康を損なう恐れもあり、

キミというあり方からも法に外れ、

そのため、お仕事も不十分なものとなるのは必至です。



それは、アメナルミチ(自然法則)に添わない、
女性を尊ぶ我が国の、優れた伝統にはこれまで無かった
不自然で非人道的なことなのですから・・・

前にも述べたように、
女性は皇位に就かれない・・・また、
クニカミの位置やお役にも就かれることは無い
というのは、
そのようなことを直観や常識で感じ取り、
女性を大切にするため、守るために、
自然に成立した法
なのです。



そして「キミ」の意味は、木の実からきています。原文(中段)
が育ちゆく木をイメージし、男性のこと。
は実であリ、女性のことを指していました。

コトハの図象(形)からいうと、


・・・アメからのエネルギーを日々、真っ直ぐ受け下に伝える。

・・・からのエネルギーを全部受け止めて、まとめ1つにして、
    日々下に伝える。


これが「キミ」というコトハであり、御位でした。

そして、アメと直接繋がっているのは、
ヲ(男性)である「キ」なのでした。

アメノノリを「キ」を通じて受けた
メ(女性)なる「ミ」は、それを全て現実生活に生かし
実りあるものとなさり、
それを伝えていくという役目なのでした。


ですから、独身のキミという御位は考えられないのですね。
この言葉の中に、ウチミヤ(皇后)の存在が欠かせないことを示しています。

お二人で、ひとつ。
それが「キミ」という御位であり、
アメとの繋がりを保ち「表に立つ」のは
男性「キ」
でないと、いけなかったのです。
つまりアメとツチを繋ぐ祭祀は、
男性「キ」にしかできない仕事でした。




また現代に見るように、
そのような事柄を、政治によって下々が決定するなどというのは、
本来の法に反する不忠、不敬の極みであり、
伝統と文化を否定し踏みつけにするものであると、私は思います。
このような感覚は、次のことを無意識にでも感じていることによるのでしょう。

歴史的に言えるのは、

このような大事は、ただキミだけが決定なされ
ミコトノリによって御示しになることだったのですから。

その点からは、ご側室の廃止
昭和の御世、両陛下のご意思であったわけですので、
本来の意味から、勝手に変えることなど許されません。
訂正なされるとすれば、ただ御位にあられる方だけです。

両陛下のご意思を明らかに戴けない今は、
代わりに、ご皇室会議がご内意を受けつつ、
そのお役目をなさるべきかと思われます。

しかし、このご皇室会議をも制限し、無力化したのは、
GHQの決めた憲法というわけで、
当時の国民でもご皇室の意思でもありません。



立憲君主・文化立国
という、他の国にまったく例の無い尊いあり方を、

国の根幹として守るためにも、

憲法改正は、今後本当に大事なこととなるのではないでしょうか。

少なくとも、ご皇室に関する大事は

両陛下のご内意に基づいて

皇室会議で決めて頂けるようにと願ってやみません。



そして、何度でも書きますが、
天皇制は、直系だけに固執せず、長子にもこだわらず、
古代から行われてきた

「カワルカワリニ ヨヲツギテ」
という
慣習法
に支えられてきたのです。


離れた別系から皇位を継承された際には、
なんと、何千年もさかのぼって御位を継いで頂いたという
イサナギのミコトの例や、
アマテルカミが亡くなられる時のご遺言として、
やはり何千年もさかのぼる別系のサルタヒコさんに別のミクサノタカラを渡され、
現朝廷に異変が起こったときには、これを用いて「ミチヲ アラワセ」と、
皇位継承を含んでのミコトノリの例がありました。

             サルタヒコさま、ミクサノタカラ(三種神器)



このような歴史が、しっかりと国史として消えないでいたら

このような混乱は起きなかったでしょうに。

それでも、何より大事なこととして、

この歴史を深く心で受け止めて

先人が必死に守り続けてきた男系男子の皇統を、

絶対に変えてはなりません。

それは、ご苦労なさって中継ぎをなされた女性天皇方にも

申し訳の立たないこととなります。

そのご献身と犠牲によって、絶えることなく続いた皇位。


今日、世界でも例がない長い歴史と伝統を今に示している、
唯一のしるし「万世一系」のご皇室が、
我が民族と国の尊厳を示し
世界の人々からも敬意を受けているのだと思います。



人よ、おごるなかれ。



この国は、亡き祖先の方たちと私達と、

未来の方々で成り立っているものであることを、

忘れないようにしなければ、

「人でなし」となり、

この国は滅びるのではないでしょうか。


                                

(旧版 06/02/09) ,

 

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コメント

ヲシテに書かれた、トヨタマヒメの75日間の長い産後の休養は、
この方の特殊事情によるものでした。

臨月に海難にお会いになり、やむなく泳がれたために、
そのショックで、お産が早くなったのです。
お産のカミの診察により、この方の場合には、
人より長い休養期間が必要との判断が在ったと思われますので、追記しておきます。

投稿: びーちぇ | 2009年8月28日 (金) 01時54分

びーちぇさんとは、登る道は違っても、目標とする山頂は同じでないかと思います。
現時点での古代の歴史は、かなり間違っているように思えます。
10年以内に、その間違いは多く修正されると思っています。

投稿: M君 | 2009年8月28日 (金) 20時44分

>М君さま

コメント有り難うございます。
そうですよね・・・
10年かければ大分違ってくるかも。

その日を楽しみに、お互いに頑張りましょうね?

投稿: びーちぇ | 2009年8月29日 (土) 11時19分

びーちぇ様
先日は私のブログにコメントを頂きましてありがとうございました。
びーちぇ様のブログはいつも拝見させて頂いております。
分かりやすい文章で見識の高さも尊敬しております。

私の全くの偏見でびーちぇ様が女性だとは思いもしませんでした。
女性だと知って更に尊敬の念を深くしました。

先日、国立博物館でやっている伊勢神宮宝物展を見ました。
ホツマツタヱを知ってしまった私としましては、何とも中途半端な、根っ子のない企画展に移りました。

日本書紀からスタートする歴史だとこんな物かと思いました。

いつの日にか、本当の歴史が国民に知れ渡り、やまとごころを存分に伝えられる企画展が開催されることを望みます。
100年はかかるでしょうね。

投稿: 小祝亨 | 2009年8月29日 (土) 17時11分

>小祝亨さん

日本書紀からはじまると「あんな程度」なのかもしれない
のですけれど、しかし、現代の社会の教科書や学者の言って
いることからすれば、相当ましなのです。

わたしも、なんとなく「原始時代」ってひどいもので、
半島と中国から文明がやってきて、はじめて文明化したと
思っていました。

しかし、伊勢の御神宝は、その「原始時代」の文物を
伝えているものです。随分と、よくできすぎた「原始時代」
なのです。その際、「宗教だから、潤色してるんだ」と
思い込まされているような気が、そこはかとなくいたします。

日本人が、漢字という中華のマインドコントロール、そして、
歴史解体という占領軍の残して行ったマインドコントロール
から抜け出して、
実際にあったこの国の事実と物語に即した
自画像を描けるようになるには、数多くの心ある
学者たちの必死の努力が必要ではなかろうかと思います。

投稿: ひらおか | 2009年8月30日 (日) 06時00分

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