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2009年8月 2日 (日)

ふしぎな文字 改訂版

 

Awauta

日本古来のヲシテの文字は、私にとって不思議なパワーを感じる字です。

5つの母音は、まず口の形を表しているそうです。
は、自然に大きく口を開け、は角張っている。
の三角は、口を前に突き出した形。は口をゆがめ、
は、ウより大きく形を変える・・・

また母音は、宇宙の成り立ちの5元素をあらわしているんですって。

5元素と言っても、うーんと後世に中国から伝わったものとは全く違うんです。
なにより成立が比べ物にならないくらい古い。
漢字のできる前なんですからね。

ヲシテ文献と現代の考古学を並べて検証してみると、
どうも・・・日本の建国は今から6000年以上も前のことと推定が可能なのです!
ことによると、8000年・・・いや・・・1万年かも。
考古学の更なる発見が待たれます。

中国の殷の時代より明らかに前です。

なんせ、ヲシテ文献によれば、

クニの西(中国Chinaと推定出来る)へ、建国期からアマカミの御子「カノミコト
クニサツチが技術指導に渡って行き、
住み着いたのがその御子で、「アカガタノトヨクンヌ」と呼ぶそうです。

トヨクンヌという名前を記紀で探してみると・・・日本書紀にだけありました。
古事記には・・・無い・・・それらしいお名前は「豊雲野神」だと?

ずっと後世・・・数千年経ってから・・・その血筋のヒメ「ウケステメ」
日本に留学して学び、帰国したとあります。
イサナギの姉(?)のココリヒメと共に、
イサナミの父「トヨケ
に学んだとありますので、
この留学は3000年くらい昔のお話。
中国では殷(商)が滅びてからのことと思われます。

そのヒメは後、「クロソノツミ」に嫁ぎ、
コンロンキミ」の母となり、
「ニシノハハキミ」と讚えられたとか・・・もしかして・・・西王母

「コンロン」崑崙とは、中国においては理想である神仙の住む不死の国で、
西王母はそこの主とされ、不死の木の実である三千歳(ミチトセ)のを、
時の中国皇帝にもたらしたとされています。

でね、ヲシテ文献では

ウケステメさんが再来日した時に、後の第10代アマカミ、
若き「ニニキネ」さんから、お土産に桃の実をもらって
「我が国には、花桃はあるけれど、実をつける桃はありません」と
たいそう喜んで帰国したと書いてあるんですっ!
すごい。

いずれにしてもこの西王母の中国神話は、陰陽五行説から起こったもので、
書かれた時代もウケステメさん時代より500年以上も後なのです。
また、
殷より前に「夏・カ」という国が現実にあったと最近分かりましたが、
面白いですよねっ!・・・ワクワクしてきます。
ついでですが、
現代中国ではのことを、国名としては「商」としています。念のため。

はい、この辺で系図です。
関係者には、オレンジ色の○をつけてあります。

夏の成立は今から4070年前だと中国政府は発表してますが、
ヲシテ文献の記事と合っているような・・・いないような?
「カのミコト」が中国アカガタに住み着いたのは、
夏の時代より遙かに前ですが・・・うーん、ファンタジー☆

で、商・・・一般的に言われる殷時代は、3600年前ということです。

       →  ウケステメ「ニシノハハカミ」   (追記 4.6.2010)




私見では日本の建国が紀元前8000年頃。

その皇子たちの時代は、二代目アマカミ「クニサツチ」も、
エノミコトとトノミコトでアマカミを交代しています。
1世代で1人だけのアマカミとなるのは、ずっと後世になってから。
その伝統が続いて
「カハルガハルニ ヨヲツギテ」と、長い長い年月が経ち、
3世代目の「トヨクンヌ」時代と合わせて、
4,5千年もかかっているらしく思われます。

そして言うまでもなく、この建国からの長い時代は、
ヲシテにおいても「伝承の時代」なのですね。

伝承されてきた日本の独自な世界観、宇宙観も
近いうちにご紹介したいと思っています。

宇宙を作ったという、もともとの日本の5元素
その5元素のエネルギーが、そのまま字にも現れるように設定してあるらしいの。

だから・・・発声法も示唆しているし、
日本語文法も導き出す力があるのです。(動詞の活用形)
なんとも・・・不思議というよりありません。

はい、見て下さいね。書くと楽しいよぉ☆

書き順は子音を先に、母音を後に。
母音のエネルギーで、そっとくるむように書くと良いですよっ!


         ※ ヲシテのデザイン(図象)である5元素などの
          もっと詳しい意味については  こちらのサイト


 

wosite48

この表には出ていないのですが、
ほかに、重要な単語を表すときに使う特殊文字があります。

天・宇宙のことをともいうのですが、その時は左渦巻き型ですね。
地のことは、ですが、右に巻く渦巻き。

また、数詞にはハネをつけてあります。
また濁点も、「○○が」という時には、中に点を引っかけて表したり、
古い文書では、外側ではなく内側に点々を打っているようです。
これだけでも、文書成立の時代が分かりますので、
原字に接するということは、本当に重要なのですね。

後世、50音図とか言いますが、
日本古来は48音です。

これには、宇宙原理からの哲学的、本質的な意味もあって、
それが、全文書に齟齬なく読み取ることが出来るのです。
ですから、これは間違いが無いと思います。


具体的な著述においても、紀元前10世紀ごろ、
イサナギ・イサナミが、言葉を整え、音声をそろえ、心をそろえるという意図で
民に教えられた48音の「アワノウタ」があります。
トップの画像に、そのありさまを記した「ミカサフミ」の1節を書きました。

なんでも、民の言葉の乱れがあったそうな・・・
意志の疎通をはかるのが難しくなっていた。
もしかしたら大陸からの難民が非常に多かったのかもしれません。
すでに殷は滅んでいた訳で・・・考えられないことではないのです。

ともあれ、
言葉の乱れを正すために、カタカキという古代の琴を打ち奏で、
お二人は仲良く、半分この24音ずつを謡って聞かせられ、
そして、民も喜んでフタカミと一緒に謡い、言葉をなおしていったそうです。
同時にきっと、発音・発声だけではなく、
アワノウタの意味やヲシテの哲学なども、教えられたのではないでしょうか。



漢字時代では、ヲシテが捨てられ、完全に忘れられたため、
こういうことも伝わりませんでした。
そして・・・

漢字から、ヤマトコトバをよりまっすぐに伝えられる、カタカナ・かなが誕生し、
7世紀になって、47音の「天地の詞」という手習い歌が作られ、
48音の「たゐに」が作られ、やっと「いろは歌」になりました。

50音図というのは、11世紀のはじめ書写された、醍醐寺「孔雀経音義」に
つけられたものが最古の例です。
まあ、これは実証・・・ほんとに有ったことではなく、
学者さんたちの理屈による論なのですね。

というのも、
他民族の考え方では、母音が5コしかないというのは考えられないこと。
日本語には今でこそ、その数しかないけれど、
古代には8音くらいはあっただろう・・・などと、
大陸式の感じ方が移ってきちゃったのですね。
渡来人や、仏教や、漢字と共に。
つまり推論・仮説に過ぎないのですが、いつのまにかそれが定説になってしまったのが、
実態だと思います。



さて、最近の考古学トピックスでは、
三重県松坂市嬉野地区貝蔵遺跡にて発掘された最古の墨書文字です。
黒々と土器に、漢字では「田」の字と思われる字が書いてあるのですが、
時代が合わないのです。
この土器は2世紀後半のものとされていますが、
漢字伝来の定説は6世紀ごろ・・・よね?

2世紀後半は(漢字を読める人もごく少数なら居たでしょうが)
日本はしっかりと「ヲシテ国字時代」なのです。

090402bokushodoki_1

この土器の中央、「田」にみえる、文字らしきもの。

ヲシテを知ってたら簡単な話ですよ。これは「ノ」という字なんですから。

またヲシテであったら漢字と違って、
どんな人でも、覚えようと思ったら簡単です。

そこで、びーちぇの大胆な推論ですが、
漢字が伝来するまでは、我が国の識字率はけっこう高かった。
少なくとも「ムラヲサ」くらいの指導者層では、
ヲシテを読むことができたのではないかと思います。
しかし漢字になっちゃってから、
教育を受けられる暇のある、ひとにぎりの特権階級しか字が読めなくなった。・・・むむむ。

これも、漢字が読める、書けるのがとっても偉いさんに見えるわけ。
特権階級、権力というものが作り出されていったのですね。
こういうことも、古来は無かったものなのですが、残念です。

さてまた、
あの、薩摩藩・島津家の丸に十字の紋は・・・
の字。

鹿児島は紀元前8世紀ごろか・・・10代アマカミ「ニニキネ」さんの
宮があったところですので、
当然といえば当然のような気がしているのですが、どうでしょうか。あは☆

この方、記紀では、天から降臨なさったという、
ニニギノミコト・瓊々杵尊です・・・?! 


 ※ 残念ながら薩摩、島津家の家紋は・・・ハズレ!
  もっと後世にできたのですね。(4/25)
 



参考書籍 中国政府の考古学発掘と検証の記録
     「夏王朝は幻ではなかった」ー1200年遡った中国文明市の起源ー
     岳南著 朱健栄・加藤優子訳 柏書房

                                

(旧版 05/10/25)

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コメント

びーちぇさん 乗ってますね。

楽しくお勉強させていただいてます。
プリント アウト して何度も読み返してます。

ところで、能の世界の方で、
西王母 のルーツ捜し をされている方が
いらっしゃいます。

http//www.h6.dion.ne.jp/~asano/

正しい事をお伝えしたい という衝動に
かられます。

投稿: 北村 | 2005年10月27日 (木) 19時12分

北村さん☆

実はそのページ私も読みました。
で、いち早く
昨夜このサイトをご紹介しましたっ!

なんだか興味が合いますねえ。
嬉しいです。
ありがとうございます。

投稿: びーちぇ | 2005年10月28日 (金) 11時22分

日本古来の文字。とっても美しい。かっこいい!!
私は梵字とか、インド系文字の形の美しさにはまり、書いていたことがありますが、このヲシテの文字・・・やばいです☆
好きかも☆

この文字のご紹介ありがとうございます!!
偶然なりとも出会えたことに感謝!!

投稿: トコトコ。。 | 2006年7月31日 (月) 15時35分

>トコトコ。。さま、

☆みっちゃん☆☆さまのお友だちでしたよね?
のぞいて下さり、喜んでいただけて嬉しいです。

ぜひお勧めしたいのが、池田先生が数年がかりで完成された、ヲシテフォント☆
フリーでダウンロードできます!
http://woshite.com/page2.html

先生は筆や紙まで吟味され、特に縄文のエネルギーが現れるようにと、筆の改良に苦心されてきました。

最新の書は、やっと手にされた愛筆で書かれ、
素晴らしいものです。
下記のサイトで、見せていただけます。
http://wosi.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_cba7.html

それから縄文文字について、より詳しいご案内はこちらです。
書き方や、そのパワー、哲学について楽しく解説してあります。
字を使った綺麗なグリーティング・カードなどもあるんですよっ!

「縄文文字ヲシテ 手習い帳」
・・・手習い帳のページ最下段に、目次があります・・・
http://julian.way-nifty.com/nwk_woshite/2006/04/post_42ba.html

上記のサイトへのリンクは、ページ右上にもあります。
我が国固有の、素晴らしい文字。
どんどん、のめり込んで下さいませ。。。(^o^)/
ヒーリングの友は、この字を使うと「スゴイ!」と申しております。

今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: びーちぇ | 2006年8月 2日 (水) 08時04分

こんにちは!(^^♪
いつも楽しく読まさせて貰っています。
「談話室」のヲナワの歌の意味(訳)を読んで、あア!そう言う事かと感心しました。
私が持ってる「ホツマ・フトマニ128の真実」朝倉淳雄著には、こう書いています。

 ヲナワ(天照大神の縄皇位の流れ)
   ヲの縄の言うは猿田の慎まやか
       鳥居に陰戸お隠くる笠縄

ヲの縄とは天照皇后であろうか、猿田彦命は慎しみ深いお方だ
鳥居で隠し所を、隠してあげる心優しさを持っているお方だ。(何のことか私には解らない)
天の磐門隠れの時の歌か?
天鈿女命はホドを露わに踊ったという。
天照大神を磐門からお出し申し上げる為に。

この訳では合点がいかぬ・・。だから「談話室」を見てなる程と感じ入りました。

投稿: 太公望 | 2006年8月31日 (木) 15時50分

びーちぇさん初めまして。
ヲシテって楽しくて可愛い文字ですね。

「か」行はもっとトゲトゲ、カクカクしてるのかと思いました。
「た」行と入れ替わったらイメージ通りなんですが(笑)

これから少しずつ読み進めていきたいと思います。

投稿: たま | 2007年6月 5日 (火) 02時31分

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受信: 2005年11月16日 (水) 10時41分

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