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2009年8月15日 (土)

ウケモチの裔「カダノミコト」 ・・お稲荷さんになった方 改訂版

   kuri

建国のリーダー、初代アマカミとなった「クニトコタチ」は、
それまでの洞穴や、簡単に地面に木の枝、草などを敷いて作っていた寝ぐらから、
竪穴式の住居を考案、また初めて栗の栽培ということを始め、
人々にも教え指導しました。初めてのも作りました。
農耕にはどうしても季節を読むことが必要ですものね・・・

この国の「飢えない」「快適な住居」の暮しは評判になり、
クニトコタチの元には続々と技術習得のために人が集まってきました。
人らしい安定した暮しは、他の地の人たちの憧れとなったのです。


ここに人々のリーダーとして、

初めての「アマカミ」が誕生したわけです。


この方を「建国の祖」というわけは、
お人柄、リーダーシップや技術・文化が優れていただけではなく、
はっきりした国造りの理念をいうものを、確立なさったことによります。

それが「トのヲシテ」なのです。
自分を忘れて他の幸せを願い、ひたすら働く行動とこころ。

「あなたの幸せのために、私は何をしましょうか?」

その心持ちを「ミヤビ」といい、法と定めたといいます。
言ってみれば、この国でいつの世にも変わらぬ、
不変の掟であったといえるでしょう。


お名前も、クニ(国を)トコ(という法のもとで)タチ(建てた)
という意味です。
そして全国にそれを知らしめ、教導するために、8人の皇子を派遣しました。
「クニカミ」の始まりです。

また付け加えるなら、この国を「トコヨクニ」と呼ぶのですが、
「トという法で・世が治まっている・国」というのが
本当の意味です。

ですから漢字が導入されて、ヲシテ文字が消えたせいもあって
(ホントは意図的に消された!のですが)
後世の漢字の当て字により、
日本古来の意味は、メチャクチャになってしまいました。

トコヨクニは、言ってみれば「立憲君主国」なのですね・・・
それを大抵の文献は「常世国」としています。

これは中国の思想の中にあるユートピア・不死の理想郷のことです。


とんでもない!


現実に存在した、

人々が何とか安定した暮しを求めて、

上も下も、それぞれが

一所懸命に助け合って暮らしていた国だったんですからねっ!



さて、クニトコタチは 建国の後、技術指導をはるか遠くの国々からも乞われて、
8人の皇子たちを各地に派遣します。
ほとんどの皇子はその地に住み着き、以後その国を治めました。
人々と共に「飢えない暮し」「人らしい暮し」のために働いたわけです。

その皇子たちを「クニサツチ」と呼ぶのですが、
その中の2代目アマカミを継いだ「ヱ」のクニサツチの皇子の1人が
ウケモチ(ウケノミタマ)で、我が国の稲作の創始者です。
また兄弟皇子の裔からは、後世「サルタヒコ」が現れます。    →系図



は、大いなるという意味。は食糧、モチは持ち帰るということで、
ウケモチ一族は今の京都府一帯に住み着き、
代々稲の品種改良・栽培技術に取り組んだのです。

時代はだいぶ下った、後の話となりますが。
気候変動のために稲の収量が落ちたとき、
時のアマカミ「アマテル」は、この地の「ウケモチ・7代目か?」
勅使を送り、強い種籾を求めました。
使者に選ばれたのは、弟ギミの「ツキヨミ」さんです。

ところが・・・大事件発生!!!

ツキヨミさんが着いてみると、知らせてあるはずなのに
今マルヤ(トイレ)にいるとて、迎えもありません。
(マルヤで汲み出しの作業中だったかもね?)

とりあえず、クニを見て回ると、畑では人糞を野菜にぶん撒いているし、
なにやら肥桶のようなもので、米を洗っているし、野菜もその中に入れて、
運んでいるし・・・なんという不浄なことと、ツキヨミさんは眉をひそめました。

また、あろうことか、ツキヨミさんの衣にまで、下肥が引っかかるしまつです。

ううう・・・!

このクニではすでに肥料の研究が為されており、下肥を使っていたのを、
知らなかったんですよね・・・

急いで宿舎にて衣を着替え、やっとミアエ(宴)になったのですが、
出されたものは、山盛りの白いご飯と、菜っ葉汁だけでした。

でもね、これはスゴイことなのです。
お米を食べるのは当時、月に数回程度だったのですから。
もう・・・お日さまのエネルギーを受けた貴重な食べ物。
菜っ葉はお月さまのエネルギーです。
簡素ですが、いちばん伝統的でピュアーなおもてなしだったのですね。

しかし朝廷育ちのツキヨミさん、お育ちがお育ちです。
田舎風の素朴な暮らしも、武骨な心のこもった、もてなし方も理解できません。
日中のことと合わせて、
肥桶を使って用意された汚れた食べ物を出したのだ、
てっきり侮辱されたと思い込んでしまいました。

そして込み上げてきた怒りに任せて、ウケモチさんをツルギで切り倒し、
急ぎ立ち返って、兄ギミに報告したのです。


ヲヲンカミ ナンジ サガナシ
アヒミズト マツリ はなれて
ヨル キマス 

アメクマ ヤレバ スデニサリ 
カダガ ウルソノ タネササグ   
  ホツマツタヱ 15−27より


いつもはお優しい兄ギミ・アマテルさんでしたが、
言下にツキヨミさんを咎められました。

「おまえは何という人の心の分からない者だ。

 下がりなさい。目通りかなわぬ!」

心を痛められたヲヲンカミは、マツリ(政)の場から離れ、
奥に篭られてしまいました。
お出ましになったのは、夜になってからです。
・・・きっと、ツキヨミさんの過ちを、
アメに祈って、浄めたりなさっていたのかもね?

そして、アメクマという誠実で心篤い人物をお召しになり、
ウケモチさんへの懇ろな使者とされました。

・・・すでにウケモチは亡くなっていました。

けれども嗣子のカダノミコトは、恭しく使者を迎え、
選りすぐりの強い籾と、施肥の法を奉ったのです。

おそらく次代の若者には、タカマ(朝廷)の方々の礼儀習慣なども
おぼろげに察しがついておられたと見えます。
ですから真心があっても、あまりに粗野に写るような振る舞いで、
心ならずもこのようなことが起こってしまったと、理解されたのでしょうね。

このミヤビな態度は、たち帰ったアメクマから伝えられ、
いたくアマテルカミのお心を打ち、農耕技術の教導力とも相まって、
カダは後に臣として、ヲヲヤケに召し出されることとなりました。

tanbo_aki


ウケモチ8代目カダノミコトが奉った籾は、
ムラオサの田で、施肥の法とともに、大事に育てられたのです。
そして、その秋。
その稲の穂は豊かに実り、今までと比べて8倍もの大きさであり、
収穫した米も信じられないくらいの記録的な収量でした。


クマド カエレハ 
ヲサガタニ ウユル ソノアキ
ヤツカホノ ナレバ クニトミ
ココロヨク マタ マユフクミ
イト ヌキテ コカヰノミチモ
ヲシユレハ カダノミコトハ
ヨヨノタミ マモリツカサぞ
      ホツマツタヱ 15−28より


またカダノミコトは召された後、稲の育て方や施肥のやり方を詳しく皆に教えて回り、
一挙に食糧不足は解決し、民も豊かな世がきたことを喜んだと記されています。

もう一つは「養蚕」です。
良い桑を育てることはお手の物でしたし、丈夫な蚕の飼育から、
煮た繭を口に含み、湿り気を与えながら糸を引き出して、
「撚りを入れながら紡ぐ」方法を指導したのではないかと
私は推察するのですが・・・

今まで、絹はあったにせよ、このような技術を使って糸を作り、
布を織っていた訳ではないと思います。
例えば、アマテルカミのご誕生の時の産着は絹であったと記されますが、
これは本当に貴重なものであったようですし、
他に絹織物の記述は一般には見られないようですから。

撚りが入った糸は丈夫で織りやすく、
今までより量産が可能になりますものね。

今までは主としてユフ・・・木や草の繊維から布を織っていたので、
カダノミコトの指導する養蚕技術は本当に貴重なものとなりました。
彼の役職は今でいうなら、農業産業大臣というところでしょうか。
そして、

「カダノミコトハ ヨヨノタミ マモリツカサゾ」

とアマテルさんが褒められたように、
ずっと後世になって、
お稲荷さん「イナリカミ」と奉られるようになりました。

    え?・・・お使いの狐さん?・・・油アゲ?
    ずいぶん変って伝わってしまいましたが、根拠はあるんですよ☆
    でも長くなりますので、そのお話は後でね?

今でも熊本では、お百姓さんたちが田んぼの角や自宅の庭に、
お稲荷さんの小さな祠を安置しているのが、
日常的な風景として見られるのです☆
 

第8代アマカミ「アマテル」の御世は、こうして
ますます豊かになっていきました。




さて、このお話を、神話化とはいえ古事記では、
なんとも美しくない表現でわい曲して伝えています。

スサノヲのミコトが母を訪ねて黄泉の国に下るという話です。
ウケモチさんは、黄泉の国の女神「オオゲツカミ」に代えられています。

そこに滞在してお腹が空いたので食べ物を乞うたというのですが、
物かげからのぞいていると、口、鼻、尻から出したものを皿に盛り、
食べ物として供えたので、怒って斬り殺したと。

死体の頭からは蚕が生じ、二つの目からは稲籾が、耳からは粟が、鼻からは小豆、
陰部からは麦、尻からは大豆が生まれた。

日本書紀はややましです。主人公はツキヨミさんですから。

それでも天照大神の命で、天上の国から地上にくだり、
ウケモチノカミ(保食神)を尋ねて行くと、
国に向かって立ち、口から吐いたものが飯に、
海に向かって立ち、口から吐いたものが魚に、
山に向かって立ち、口から吐いたものが、獣の肉になって、
それを供えたので、汚れたものをと怒って、切り殺したと書いてあります。
天に帰って、天照大神に叱られ、謹慎を受けるのはホツマツタヱと同じですが。

で、アメクマ(天熊)さんが命を受けて様子を見に行くと、
保食神は死んでいたが、頭の上からは牛、馬が
額からは粟が、眉は蚕に、目の中から稗が、お腹からは米が、
陰部からは、麦、小豆、豆が生まれたので、これを天に持って帰り捧げたそうな。

なんかねーーー、趣味じゃないよなあ・・・こういう書き方は。


でも、これが大陸や、世界各地
の神話では常識で、
よくある表現なのです。

とすると・・・それがフツウと思い込んでいる人たちが、
書き直しに携わったのだということですよね?



siragiku

もうひとつ、養蚕にまつわる素敵な話を友人から聞きました。

正倉院の絹織物復元の、現代のお話です。

平成6(1994)年から米田雄介・元正倉院事務所長の企画・立案で
「正倉院染織品復元10か年計画」が始まり、絹織物の復元が試みられた。

ところが、絹が違うのだそうです。
日本古来の蚕の繭糸でないと、色も艶も全く違ってしまう。
その時、日本でたった1種類だけ日本種の蚕が残っていたのです。
皇后さまが大事に育てていらっしゃる古来の蚕(小石丸)が、それです。
染色についても、日本原産の茜はほんの少量しか見つからず、
とうてい足りる量ではありませんでした。
そうしたら・・・

続きは下記サイトへ。

皇室と国民のプロジェクト 正倉院宝物復元

今上天皇さま、皇后さま御二人のご助力なしには、
この日本文化の再現、技術の伝承のためのプロジェクトは
成功しなかったでしょう。
ご皇室は、
建国以来の「クニトコタチ」のお心と共に、
伝統技術や文化を、昔と変わらず今も支え続けておられるのだと、
深く感じ入るものがありました。


                                

(旧版 05/12/09) ,

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コメント

最近小5に古代の歴史を教える機会が
あったので、何回か読ませていただきました。
正直、まだ私にも「ヲシテ」をどのように説明
してよいか分からないところがあります。
よって、こちらで引き続き勉強させていただき
たく、当ブログでブックマーク登録させて
いただきました。
もしご迷惑であればすぐに外しますが・・・よろしいでしょうか?

投稿: ろろ | 2005年12月19日 (月) 00時59分

>ろろさま

有り難うございます。
ろろさまのサイトはしょっちゅう伺っております。
もし、お役に立つとしたら大変光栄です。

お子さんにも、ご両親方にも、また先生方にも、このような文献があったことを
ぜひ知って頂きたいと願っておりますので、
お申し出は大変嬉しく、心から喜んでおります☆

今後ともよろしくお願い致します。

投稿: びーちぇ | 2005年12月19日 (月) 11時59分

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受信: 2006年1月 6日 (金) 23時07分

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