「トヨケカミ」が伝えたもの・・・女性の役割 改訂版
第5代タカミムスビ「トヨ(ウ)ケ」のタマキネさん。
第7代のアマカミ・オモタルにも、深い信頼をおかれていたお方です。
領地はヒタカミで、今の宮城県多賀城あたり。
「ケタツホ」のち「ヒタカミノミヤ」等と呼ばれるミヤがあったと推定されます。
ヒタカミは北の要であり、中央の次に尊いクニとされてきました。
ですから、アメとツチをマツル(オオナメヱ・今で言う大嘗祭)という、
他のクニカミには許されていなかったマツリなどもありました。
又、トヨケさんをはじめ他のクニカミ方は、必要なとき以外は
朝廷にお出ましにはならず、そのクニを大事に治めておられました。
そして信じられないほどに、当時も人の行き来はなされていました。
ただ、それはアマカミの使者(キギスとかヲシカ)やら、
モノベ(治安の役目。警察みたいな)の人たちなど、
ヲヲヤケの立場の人が多かったのではないかと思われますが。
※ グチリです。
例えばヲシテでは、
朝廷から急ぎの使者を遣わしたということを
「キギス トバセテ」と記してあるのですが、
それが、古事記になると、
ほんとに雉の鳥あつかいで・・・
バタバタと雉が飛んでお知らせするように訳してますっ!
まったく・・・困ったもんだ。(・へ・)
さて、オモタルさんのこの時代から、
治世の最初には、まず全国を行幸して、人々の暮らしの実情を把握し、
同時に新技術を伝えたり、地域に合わせた教導もなさるということになりました。
おそらく馬や船を使い、読んでいる私も、気軽に・・・なんて言いたくなるくらい、
北は青森から南は九州まで、お巡りになったみたいです。
そしてアマカミのご不在中は、
いうまでもなくキサキを中心として、
年頃の皇子も交えながら、
重臣たちの実務的なマツリゴトが代行なされたことでしょう。
まだ、私は勉強が浅くてはっきりしたことは言えないのですが、それでも、
近ごろの「男女共同参画社会推進」なんて、
チャンチャラおかしいものがあります。
それほど女性も生き生きと場所を得て、働いています。
ヲシテ文献に書かれているのは、ヲヲヤケのことが多いのですけど、
アマカミのキサキや、主立った重臣方のミメ(妃)は、
なにより重要視されていた子供を産んで育てる役目や、
家庭内の仕事もさることながら、
背の君の留守の時のマツリゴトの責任を担っておられたと推測できます。
アマカミ不在の時ウチミヤ(皇后)が下される勅をコトノリといい、
アマカミのミコトノリと同じ効力を持っていたと言われます。
どんな重臣といえどもこのような勅を下すことはできません。
とにかく才能に応じて女性も大いに働いていたのは確かです。
それに、夫君の地位が上がったりすると留守の多いこと多いこと・・・
一緒に暮らせるのは一生のうちほんの僅かだった方も多いみたいです。
その間、統治するクニを治めるのは当然のことだったでしょう。
息栖神社(イキスと読みます)をご存知でしょうか?
時代は少し下りますが、
あのカシマカミの独り子、お名前も「ヒトリヒメ」というんですが、
時のアマカミの若き重臣アマノコヤネさんのお嫁さんになりました。
この方は実名はワカヒコですが、カスガマロ、アマノコヤネなどの尊称を賜り、
何代ものアマカミに左のトミとしてお仕えしたような偉大な人物で、
文・武で言うなら、文にすぐれたお方でした。
国の文化、教育、神学、医学、哲学。
トヨケカミ亡き後、このコヤネさんが精神的な跡継ぎとおなりになって、
歴代のアマカミを支えていらしたのではないでしょうか。
そのお二人のお住まいが、そのイキスノミヤ、今の息栖神社なのです。
お宮はなぜか西向きに建っていて、今でも不思議がられております。
ところが、ヲシテ文献には
中央のヲヲヤケの仕事で忙しいご夫君に、
いつもお顔を向けているように建てられたと記されています。
お顔を向けるというのは、心を向けるということですよね。
きっと、朝夕心をつないでご挨拶なさったり、お話なさっていたのだと思います。
離れていても、とっても睦まじいご夫婦仲だったようですね・・・
余談ですが、ヒトリヒメご妊娠の時のエピソードは、
お父様の「カシマカミ」がアマテルカミ拝領の羽二重を宝物殿からあわてて探し出し、
腹帯としたとか、(ヒタチオビ・ヰハタオビの始まり)
アマカミ(そして夫君アマノコヤネでしょ、きっと)のご配慮で侍医として
差し向けられた産科学の大家「コモリカミ」から、妊娠中の過ごし方の講議を受けたり、
お産が近くなると当代一の産科医の「カツテカミ」がいらっしゃたりと、
そりゃあもう大変な行き届き方でした。
このコモリカミは、実はご夫君コヤネさんから産科学を習ったんですけどね。
「私ごときからお聞きになるよりも、ご夫君コヤネさまにお聞きになっては・・・」
「いえ、だれでも身内のこととなると冷静になれませんので、
ぜひ、コモリさまからお習いしたいのです」
などという、やりとりもあったらしく、
これも、いつの時代にも変わらないことですね・・・(^。^)
これも元はと言えば「トヨケカミ」が教えられたこと。
トヨケカミ→アマテルカミ→アマノコヤネ→コモリカミ
こんな順序になるのではないでしょうか。
このお講義などは、現代でも深く感動するような科学的な見事なものです。
妊娠初期からの母体の状態から、体内での子の発育過程から、
つわりの説明や過ごし方から。
3千年も前によくここまで分かってたなあと思います。
かえって、漢字時代からは非科学的になってますね・・・
病気だって薬はあったにせよ、お祓いするとか、ご祈祷するとかばっかり。
大陸から漢字と共にやって来た儒教、仏教、特に密教の影響があります。
そして、ヲシテ文献は消されてしまった・・・
古来の文化においては、科学的知識だけでなく、
特に素晴らしいと思うのが、
命に対する敬意といいましょうか。
アメミオヤ(宇宙原理)から別れてくるタマを受け、
その尊いタマがお腹のコダネに宿るのが妊娠5ヶ月頃、そして人となる。
それに対する両親の役割はこうである・・・とか、
その命をどのような心遣いで日夜守るか、育むかということです。
本当に生命の哲学というべき素晴らしいことが書いてあります。
私が、大好きな文章があります。
それは
お腹に巻くオビの長さは、夫の身長と同じ長さにしなくてはならない。
で、コヤネさんが居ないのでヒメに聞くと、
ヒメハ コヤネノ タケシルヤ
シレリ ヒトタケ フタヰキゾ
言下に答えられたところ、皆は
「おお、それはかねて聞くアマテルキミと同じ背の高さではありませんか」
と喜び合ったのです。
するとヒメも微笑んで、
「私の身に、なんと畏れ多くも有り難いことか」と、
嬉しそうにおっしゃいました。
なんとも初々しく可愛いなあ・・・目に見えるようですね。
アマテルさまはたいそう長身の男性で、カッコ良かったそうです☆
そして夫君の背の高さに整えた羽二重のオビをまいたら、
イキスが整い、体も心も安定してきたと書いてありました。
ハラオビ ナセハ ミノ イキス
ヒタチト ナリテ
イは心のこと、イキはもちろん息です。
そしてスとは調和のとれた動きのこと。
心身共に調和が取れて健やかな状態となったのですね。
現代でも言う
「産後の肥立ちも良く」のヒタチはここからきています。
大言海によれば
「日ごとに良くなる、回復する」とありました。
でも、なぜそうなるかは、
大言海でもわからず、
ただ、ヲシテだけが教えてくれるのです。
ヒ・・・新しい生命エネルギーが現れる。
タ・・・それを受けてひとつにまとめ合わせ、下へもたらす。
チ・・・それが日々に繰り返えされる。
うーん、納得。
だから「日ごとに良くなる」意味になるんですねえ☆
やっぱり本当の語源はヲシテ原字でしか判りません。
このエピソードはまさしく、素晴らしい知恵。
愛する背の君が、
離れていてもいつも守ってくださるという・・・
女性なら皆そんな気持ちになることでしょう。
いいなあ☆
このオビは産科学をまとめた、トヨケさんがアメよりの直観を受けて
考案したものです。
やっと妊娠した、今で言う皇后さまになられた愛娘、イサナミのお腹の御子を守り、
母子共に健やかに保つために作られたのが最初です。
宇宙の5元素(素粒子やエネルギー)を時に応じ体内に導くという役目もあり、
そのエネルギーを働くように、心を込めて織ったらしいです。
そして、アメからのお告げの象徴ニトリ(鳳凰かな?)の羽根の色
の紅も、使ったらしい・・・
今で言えば強力なヒーリンググッズのようなものでもありました。
そしてお生まれになったのが、日嗣の皇子「アマテル」さんでした。
イキス・・・宇宙のイキが動き、そして現れた日(太陽)の皇子。
この故に
「イキスの教えを受けたこのミヤをイキスノミヤと呼ぼう。
そして若い二人に住んで頂き、私は別のところに移るつもりだ」
カシマカミは嬉しそうに皆に告げたのでした。
それを聞いた部下のモノノベ達も喜んで、そう遠くない処にヒタチミヤを作り、
お移りになったそのミヤこそ、後のカシマミヤ(鹿島神宮)となりました。
そう、後世、漢字時代になってもそのコトハは残り、
国の名も「ヒタチ」となったのです。
まあ、残念ながら「常陸」と書きますが・・・誤訳じゃぁ!
そしてイキスノミヤでは以後、子供を授かる時の心得や、命を守ること育むこと、
その生命哲学と実践を、夫君コヤネさんの留守を守りながら、
ヒトリヒメが生涯にわたって人々に教え、導かれる場所となりました。
後に改めてアマカミからヒタチオビと命名されて拝領したそのオビは、
別名は今に伝わるヰハタオビ(岩田帯)です。
「ヰ」は数字の5。5ヶ月目に巻くからでしょうね?
それと、5元素の意味も含まってるのかな?
ともかく、ここの個所でも一口にはいえないほどの、
いろいろな意味を同時に含んでいますので、
もっと知りたい方は、
それぞれに原文の研究をなさって下さいますように。
なんともほほ笑ましいのは、
ヒトリヒメのお祖父さま「カトリカミ}と父上のこの「カシマカミ」も、
それぞれのミヤでヒタチオビを配り、広めたそうな・・・(^o^)
でもね、ただの親馬鹿ではないんです。
命を生み出す女性を「どんなに大事に考えておられたか」なのです。
そこに、
私情だけではなく、良いことは皆に伝えようという熱意が感じられます。
お二方とも武勇の誉れ高く、雄々しい逞しい男性であられました。
しかし、この限りないミヤビのお心は、なんとも素晴らしいことです。
うーん。
こんなこともヲシテ文献じゃないと分からないよなあ☆
実はこの私。
びーちぇが母のお腹にいた時ですが、
祖母が実家より送ってきた岩田帯はなんと、羽二重だったそうな。
そして古式を僅かに残し、赤い糸の縫い取りがあったとか。
おそらく、鹿島神宮(旧ヒタチミヤ)にお参りし、初孫の安産を祈願して
頂いてきたものだったらしいのです!
また、最初は女の子が良いというのは、
この時アマノコヤネさんがそうおっしゃっている由縁だと思われるのです。
一姫二太郎。
始めの子は女の子が良い。二番目は男の子が良いと。
男の子は育てにくいと良く言われます。
未経験な母親は、始めが育てやすい女の子で経験を得、
それから男の子を育てる方が、どちらも健やかに育つということでしょうね?
このように、我が国ではアメよりのタマを受けて誕生する子供を
「コハ タカラ」と言い習わし、このことを何よりも尊び大事にしていました。
従って、女性の地位というものは尊いものであったのです。
女性にしか出来ない、次代を産み出す役割。
現代では、男性の仕事を同じようにやりたいと思う女性が増えました。
そして出産子育てを、軽視しているようにも見受けられます。
とおーーーんでもない!
こんなに重要で、責任も重い仕事はありません。
さて当時の女性達は 命を生み出し健やかに育てる子育ての上に、
連れ合いの仕事を支え、才能によっては自分の得意分野で働いていたようです。
男性と張り合うのではなく、
あくまでも「ツツシム」という、ミヤビで柔らかな心を大事にして、
でも、精いっぱい心を込めて仕事をしたのです。
時に応じて、そのように柔軟な対応が出来るということは、
生き方においても、これは大したことではありませんか。
ツ・・・アメのエネルギーをいっぱいに受けて動いていく。
2字の繰り返しは強調ですね。
シ・・・上の字を受けて、日々繰り返し、それを為す。
ム・・・調和をもって力強く動き伝える。
要は、アメのノリに従って行動することであり、
決して「控えめに」とか「でしゃばらない」とかいう
後世の意味を持つ言葉ではありません。
私ごころを無くした上で能動的に動くことなのです。
イサナギの姉、シラヤマヒメと後に崇められたココリヒメ。
アマテルさんの姉(法的には妹)ワカヒメ・ヒルコ。
アマテルカミのウチミヤ(皇后)であられた、ムカツヒメ・ホノコ。
同じくキサキのアキコに始まり、
オオクンヌシ・クシヒコのミメ(妃)ミホツヒメ。
皇統を引く尊い血筋のサルタヒコの愛妻ウスメ。
御子を授からなかった方もいますが、素晴らしい方は変わりなく、
女性ならではの素敵なやり方で、お仕事をなさっています。
女らしく、内気で控えめであったのに、
出産直前に、海で嵐に合い難破してもう駄目というときに、
勇気を奮って、お腹の御子のために、たった独りで
なんとか荒波を乗り切り、岸に泳ぎ着いたトヨタマヒメ・・・大好きな方です☆
生まれた皇子は、神武天皇のお父さん「ウカワフキアハセズ」でした。
父のアマカミはホホデミ、母はタマヨリヒメ。
ホホデミさんは、あの神話「海彦山彦」の、次男である海彦さんです。
なんとも、魅力的な素敵な女性でした。
それなのにねーーー古事記と来たら、
この方タマヨリヒメを「海神の娘で、本体はワニ」 なんですと!
いくら、神話をでっち上げたといっても、
わがご皇室のお血筋に両棲類、それもワニなんてさ!(怒)
古代中国のオドロオドロのシャーマニズムですよっ!
さて、冷静になって。
このようにお手本であられた女性方は皆、
民の女性達をそれぞれ指導なさっていたのです。
ヒトリヒメは病気の女性への治療もなさっていたみたい。
「ヤメルハ クスリ コレヲウク」とありますから。
タマはみな同じ・・・アマテルカミのお言葉です。
男女同権。だけど役割は違う。
そして女性の「つつましさ」こそは、麗しく尊いミヤビを活かすことになる。
※ ミヤビとは唯一の憲法だった「トノヲシテ」の本質です。
詳しくはここ。中ほどに書いてあります。
そのことを時に応じ、言葉を変えながら何度も何度もお教えになっています。
それが、大自然の摂理、科学的な態度というものでしょう。
そこを今、よーく考えていかなければと、
ヲシテ文献を読み解きながら、私は深く思ったことでした。
このエピソードは、大部分が「ホツマツタヱ」16アヤ
「ハラミツツシムオビノアヤ」からのものです。
本当はね、まだまだ細かく書いてあるんですけど、だいぶハショリました。
でも、このように
さまざまの技術を極め体得なさり、
学問としても、
最初に書き留められ、
人々に教え伝えられたのが
「トヨケカミ」だったのです。
この方の存在が、日本のアイデンティティーを
今に伝えるものとなったのです。
(旧版 05/11/10)
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コメント
今回のお話楽しかったです。日本はそのころ文明がなかったかのような扱いですよね。
現代の女性の多くはフェミたちにそそのかされていますよね。仕事をしたい女性が子供を保育園に預けるのは結構なことですが、彼女達の罪悪感から?子供は社会で育てるものだ、世の中の女はみんな働くべき、専業軽視という方向へ持っていくのは間違いだと思います。
投稿: はなびら | 2005年11月11日 (金) 08時22分
ワクワクしながら読みました。
「男尊女卑」なんてかけらもない時代…
両性の間には「慈しみ」や「尊敬」があったんだろうな~。
投稿: 踊猫♪ | 2005年11月11日 (金) 13時38分
本当に素敵なお話ですね!
太古の人の精神性のほうが、ずっと深みがあってなおかつ素朴な美しさがあって優れていた気がします。だから「神」なのかもしれません。
それに比べて現代人の奇矯なフェミニズムとかジェンダーフリーとか、目も当てられないです。
続きも楽しみにしています!
投稿: 猫研究員 | 2005年11月11日 (金) 14時56分
いやいや~~~~~^‐^。
たいしたもんだよ~この文は!。
画像も出産という、・・・またこの世での創造性を見事に表現しています。
一通り娑婆世界を通過してきて、自らの反省も表面にただよわせて
読ませていただきましたよ。
ここに、説かれた考え方を感情的・自分さえよければ・・・な~~~~んて・・・
私にしてみれば、経験しなければ・・・なるほどなぁ~~~~~と・・・
心の動きは、おもしろいですね~☆
今から、先の世に伝える「人間とは、なんぞや?」ってな、道徳文になっています。
若者にとっては、純粋に「ああそうか!」
私たちの年代・私にとって家族の単位で反省・恥ずかしさ・なさけなさがしきりですが、
まぁ、その時どきまぁいろいろ、あったからね、ぎりぎり生きてきたって、あるからね。
今、びーちゃん語を読むことが・・・繰り返し読むことが、
本当に有意義な事だと体中で観じています^‐^。まぁ、共感ですなぁ~。
ありがとうございます。
投稿: せいりゅう | 2005年11月13日 (日) 13時11分
はじめまして、TBとブログへのコメント有難うございました。
大分以前に『古事記』は読んだのですが、それ程古代史には詳しくありませんので、びーちぇさんのお話しは目からウロコで、とても新鮮です。楽しく読ませて頂きました。
古代は女性も生き生きと自分の役割を果たして来られたのですね。男性も然り。お互いに慈しみ合う、こんな人として当然の心を失いかけている現代の日本社会。悲しいです。女性が母性を失えば国は滅びの道を歩むしかなくなるのかもしれません。
(私も僭越ながらTBさせて頂きます)
投稿: ハハサウルス | 2005年12月21日 (水) 22時35分