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2009年8月19日 (水)

いろいろ 質問に答えて「布・衣服など」 改訂版

Photo


読者の方からの質問があった衣服のこと

縄文時代の衣服はどうであったか・・・
実はヲシテ文献には初期の頃の記述があまりありません。

Nikite
しかし、三代アマカミ「トヨクンヌ」の時代に
「ユフニキテ」
という記載があります。
ユフは草木で織った布で、それを御幣・・・
あの白い、神主さんがお祓いをする時の
ピラピラのもの・・・として使っていました。
しかも、カシキ(赤・白・黄)の3色に染めて使っていたのです。

また、その一世代上の「クニサツチ」は、
クサキを ツトに(草や木の苗や種をお土産に)もれなく国をへめぐって、
それを栽培することを教え、各地に住み着いてクニカミになり、
民を治め教導したと記されています。

つまりは布の原料となる草木もあったことでしょう。
我が国民のことですから、せっせと工夫を重ねて布を織っていたと思われます
それまでは、毛皮のようなものだったのでしょうね・・・



もしかして・・・傍証になるのではないかという遺跡遺物を見つけました。
最初の3点の編み篭です。あとはオマケ。笑)

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クリックで、大きくなります。

これは、なんと約7000年前の縄文早期のものなのです。
佐賀県の東名(ひがしみょう)遺跡から出土しました。

この編み篭に入れられていたドングリが、右から2つ目の写真。
編み篭は400点も出たのだそうですが、編み目の種類もいろいろで、
        現代でも見られるような精巧なものです。

手で持っている木の皿は、現場でグラタン皿って命名されたとか☆
復元された土器は塞ノ神式(せのかんしき)という様式で、煮炊き用とのこと。
貝で波状の文様が付けられています。

ともかく、このような編みの技術が、
紀元前5000年にはあったと証明されたわけですから、
簡単な織り機なども作れたのではないでしょうか。

私が子供の頃作った、最もシンプルな織り機は、
平たい板の上下に釘状のものを等間隔で並べて、糸をはります。
張った糸を1つ置きに上下に糸を通せば、
コースターのような四角い織物が出来ますよね?
で、これを綴り合わせれば、いくらでも大きい布となるのですから。



さて衣服では、貫頭衣についての質問がありました。

貫頭衣は一枚の大きな布の真ん中に頭の通る穴を開けただけのもので、
大変簡単に出来ますし、現代にも使われ続けている優れたものなのです。

民族衣装として、アジア南米などで使われています。
四角い布をあまり手を入れずに利用できますし、
太っても痩せても大丈夫。非常に優れたデザインです。
縄文期の衣服として、大いに考えられることだと思います。

紀元前8世紀からの古代ギリシャ・ローマ(紀元前5世紀から)の衣服も、
この貫頭衣が基本になっているんですよ。

貫頭衣のしくみがとても良く判かる、画像を見つけました。

古代ギリシャ・ローマ、衣服の着方

このように、シンプルなものの上に、布を巻き付けたり、
スカートを下にはいたりすれば、防寒にもなりますし、
美しくおしゃれにも見えますよね?

    余談ですが、昔、私が舞台に立って歌をうたっていたころの、
    舞台衣装のいくつかは、貫頭衣でした。
    布のドレープが美しく、エレガントで、とても気に入っていたんですよ☆

    それに・・・寒い時なんか、下にモコモコ着込んでいてもわかんないの。笑)


下図は、我が国の服を想像したものとか。

左が縄文時代。
後の2つは弥生時代・・・なんだそうです。

今まで、文化と言われるものは大陸から・・・ 
我が国はまだ原始的だったなどと残念ながら信じられてきましたので、
縄文時代には簡単なデザインを、当てはめているのですね。

Photo_15       

けれども貫頭衣の形を思いつく人であれば、
寒い時四角の布を筒に縫って袖にするとか、襠をつけてズボンにするとか・・・
あるいはスカートに細工をして袴のようにするとか、
そんなのお茶の子だと思うのですが。

したがって、上の弥生時代とされている服のスタイルは、
染色はされていなかったかも知れませんが、
縄文時代にはもう、あったのではないかと、
私は思っています。


 


そして、ヲシテ文献によると、 

4代アマカミ・ウビチニ・スビチニの嫁ぎの正装は
「ヲハカムリ ウオソテハカマ
 メハコソテ ウハカツキナリ」
ウビチニさんは冠と大袖の着物、袴。
スビチニさんは小袖と軽い長着をカツキにかぶっておられました。

これって、上の写真とだいぶ違いませんか?

つまりは、古くは貫頭衣のようなものだったでしょうが、
この頃からは、我が国独特の着物の始まりがうかがえるような気がします。

時に、紀元前1100年頃でしょうか。

それから100年ぐらい(?)下って、
アマテルカミは御裳というスカートのようなものをお召しになっています。
アマカミだけの御正装のように、うかがえるのですが。

また1アヤには妹となられたヒルコヒメのところで、
「ヰトシフユ ヲハハカマキル メハカツキ
とあり、
五歳になった冬には男子は袴を着け、
女子はカツギといって、軽い長着を頭からかぶります。
現代での「七五三」みたいな成長のお祝いなのですね。



さて、
ヲシテ文献での初の織物の記述は、
イサナギさんがアマテルキミを身篭られた時、
父ギミのトヨケさんが考案されたハラオヒの布です。

「ケフ」の細布と記され、
なんと鶴の羽根を24本に裂いて糸に撚り合わせ、
雄鶴の糸を経に、雌鶴の糸を緯糸にして織ったものだそうです!
(民話「鶴の恩返し」の千羽織の布を想像しちゃいますよねっ☆)

Photo_10


ところが・・・です。
これは現実のものかもしれません。

実は、西陣織の中に、
孔雀の羽の糸があり、

それを緯糸にして織った布は、
それはそれは美しいものなのだそうです。

細い絹糸を何本もより合わせる時に、
その糸の間に、
クジャクの羽根を細かくしたものを、
一緒に撚り込んでいくのだそうです。

クジャクの糸をよくみると、
クジャクの羽根が
糸の間にはさまれているのがよくわかります。
このようにして美しいクジャクの糸を
作るのです。

つぎに、この糸を緯糸に使って、
織物を織っていくのだそうです。


イサナギさんご懐妊の時に父君トヨケさんがハラオビとして作らせのは、
アメから賜った紅いニトリ(鳳凰?)の羽ひとひらから直観を得て、
メヲの鶴の羽をほぐして羽根を24づつに裂いて絹糸に撚り込み、
それで織った布を「ケフ」と呼んだのです。

以下の文は、後にアマテルキミがこの「ケフのハラオヒ」に込められた意味を、
深く感じ取って織られたという「メヲのハフタヱ」の由縁です。

167173
,

コノタメシ チチノメクミハ
イタタクア ハハノイツクシ
ノスルハニ アマテルカミモ
ワスレシト イトフソヨスシ
ヨリアハセ メヲハフタエノ
ミハトオリ コノミハメシテ
アサコトニ アメツチマツリ
タラチネニ ツカフミココロ       (ホツマツタヱ16−71〜73)


父の恵みは、頂くアのようなもの。
母の慈しみはそれを受け取るハニ(大地)のようなもの。
そのような両親の慈愛にお腹にいるうちから抱かれ、守られていた。
それこそ腹帯となした、ケフの細布。

アマテルさんは、そのことを深く想いめぐらされ、
ケフと同じように、絹糸24本を撚り合わせて、
「メヲ ハフタエ」の御衣(ミハ)を織り、
それをお召しになって、毎朝のアメツチマツリをなさり、
父母への敬いと感謝を新たにされたのでした。
また、
この清らかな「ハフタエ」のミハは、同時に
民が心安く、長生きをするように、朝ごとに祈る御衣でもあったのです。

アサコトスガノ
ハフタエハ タミノヰヤスク
ナガラヱト ヒニイノルハソ      (ホツマツタヱ 23−41、42)


その後、織り機の発達とともに、
素晴らしい文様を持つ織物が次々と作られていき、
主にカミを奉る時の聖なる御衣として使われるようになっていきました。
トリダスキ、ヤマハト、コアオイ、ココチリ、サイワヒビシなどの、
文様が今に残っています。

これはなんと、みな、イハワレヒコ(神武)さま以前の、
カミヨ(祖先の世)のお話なのです。



原文にはまた、機織りが聖なる仕事であったことが記され、

加えて、政治の方法論について

社会のあり方について

カミとヒトとの関わりについて

すべて、布を織る・・・縦糸と横糸の関係において説明しているのです。

ミカサフミの「キツヨヂノアヤ」の、ヨヂノヲシエがこれです。
また、ホツマツタヱ23アヤにも詳しく記されています。

これは長くなりますので、またの機会に。


                                

(旧版 06/01/12) ,

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コメント

「モスソ」というのは、

お伊勢さんの、お神楽で、男性の伶人がおめしになっている、
スソの長い衣のことではないかと、想像しています。

それとも、ウェディングドレスのような、すその長い
スカートなのでしょうか。

びーちぇさんは、いかがお考えですか?

投稿: ひらおか | 2009年8月19日 (水) 09時43分

文献には「ミモ スソ」というコトハがありますよね?
「ミハ スソ」というコトハはないので、長い御衣ではないと思うのです。
やはりミハの上か下にスカートのようなものを着用されていたのではないでしょうか。

お神楽の伶人方の装束は、やはり後世のものではないかと思います。
私が調べましたところは、
 「神楽に使用される主な衣装は、
  直面の舞は白衣、白袴、白足袋が基本である」
というものでした。

雅楽の楽人の画像がありました。
このイメージなのかしら?
簀子に掛けられた上達部・殿上人達の束帯の裾が綺麗です。
http://evagenji.hp.infoseek.co.jp/co-matuya2-3.htm

さて、天皇さまの新嘗祭の時の御祭服の写真を紹介しますね?
これは平安時代のものの復元ですが、
現代でもほとんど変っていないそうです。
http://evagenji.hp.infoseek.co.jp/co-0401-01.htm


投稿: びーちぇ | 2009年8月19日 (水) 17時32分

「天皇さまの新嘗祭の時の御祭服」が、「モスソ」なのか、
あるいは、「モスソ」が変化したものなのか・・・。

この写真でも、白袴の下に、ひらひらをおめしになってい
るように見えます。

「モ」のヲシテを考えると、

 T + □

です。「T」の部分が、それこそ、長く延びたスソを
意味しているのかもしれません。


伊勢神宮では、平安時代にははやくも、
調度品は、古式のまま変えてはいけないという決まり
が確立していたようです。

新嘗祭の時の装束は、もしかしたら、アマテルさんの
時代のままかもしれません。

投稿: ひらおか | 2009年8月21日 (金) 09時28分

すみません。

さっき「遠山の金さん」をケーブルで見ていまして、
長袴というのか、殿中の裾を踏んで歩く袴のことか
とも思いました。

一方、「裳」のほうからアプローチすると、
  http://mikusigedono.hp.infoseek.co.jp/hinagata/himegimi/mo-karaginu/mokaraginu.html

この絵の「白い部分」が後世の「裳」なので、
平安装束の「裳」と、大嘗祭の装束の白い長い
裾の折衷したようなものがあったのかもしれま
せん。

投稿: ひらおか | 2009年8月28日 (金) 09時28分

>ひらおかさま

素敵なサイト教えていただき、楽しゅうございました☆

ただ、私の意見なのですが、
これはあくまでも、後世のものなので、
あまりとらわれないようにしなくてはならないと思います。

特にカミノヨは、
アマテルさまが衣服の贅沢を戒められていることですし。
やはり、実用ということでは、
裾を引きずるようなお召し物はどうかな?と。

布を織るのは手間のかかるものです。
その大事な布を、傷みも汚れもひどくなるのは当たり前の、
裾引く御衣・袴などに、なさったでしょうか?
そしてアマカミさま方は、全国に行幸なされました。
そういう時は、きっと御衣、御裳も、
お身に合った丈のものだったと思われるのです。

ただ、カミ奉りの際は、少し長い丈だったかもですが、
今に伝わるご祭服のように、長々のものではなかったかと思います。

裳と衣は別のものですし、
もともと、裳とはスカート状のもの。
衣は身丈のものから、短いものまで様々に作られていました。

今思いついたことなんですが、
アマテルさまが御裳をお召しになったのは、
とりわけて、御長身だったせいかも??
普通丈の御衣は短かすぎるので、その下に裳をお付けになったのかな・・・と。
袴を着装なさると、やはり特別あつらえでないとダメでしょうし・・・

ひらおかさまは、どうお考えになりますか?

投稿: びーちぇ | 2009年8月28日 (金) 17時34分

遠山の金さんの長袴は、実用性がなさすぎでしょうねぇ。


先に紹介しましたサイトに「御祭服」もありました
  http://mikusigedono.hp.infoseek.co.jp/hinagata/kindati/gosaihuku/gosaihuku.html

これによると、袴をつけて、その上にスカート上のものを
つけられるようです。

この形であれば、「モ の すそ」と呼んでもおかしくな
いように思われます。

おっしゃるように、移動されるときは、「モ スソ」がな
いものとか、短いものに随時変えられたのかもしれません。
構造上、後ろに長い「スソ」部分は、交換できるように
見えます。

投稿: ひらおか | 2009年8月29日 (土) 07時43分

>ひらおかさま

「モ スソ」の概念が、私と違っているかもです。

身丈のもので、引きずらなくても、
「スソ」は、その一番下の部分・・・と、
私は思っているのですが。

着物を着た時に、
「裾がちょっと短いわねえ・・・働き着みたい。
 も少し裾を床にスレスレに降ろした方が上品なのよ」
などと、よく祖母に言われたものです。
でも、
「お引きずりは、だらしが無いの」とも。
余談ですが・・・芸者さんの裾引きの「出の衣装」とは違うと、
一般ではきっちりと区別していたのですよね。
このように、引きずる場合には
裳裾を「引く」という表現をしています。

その中で、
・・・結婚式の打ちかけだけは、例外となります。
その時も、中の着物は裾は引きません。

「着物の裾が雨に濡れてしまったわ。すぐ始末しなくちゃ」
とも、良く聞いたセリフ。

ま、この話は戦前から、現代までの着物の常識なので、
古の証明にはならないのですけれど。

ただ、洋服でも同じ表現(裳裾を引く)をしますし、
いろいろなことから、
「モ スソ」は、
スカートのようなもの(裳)の、
一番下の部分ではないかと、私は思うのですが。

また、床スレスレの丈の着物やドレスは、
腰掛けた時など、気をつけないと裾が下について汚れますし、
裾を踏んだり、モノに引っかけたりと、
けっこう、立ち居振る舞いに気を使います。

投稿: びーちぇ | 2009年8月29日 (土) 08時14分

確かに、ズボンのスソ上げとかと、今でも言っています。
山すその「スソ」も、山の下のほうという意味です。

7アヤに

アケマキシ モスソオツカネ
ハカマトシ ・・・

とあり、これは、ワカヒメさんのシーンですが、
「モスソ」を束ねると「ハカマ」になるとあります。

投稿: ひらおか | 2009年8月29日 (土) 09時26分

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