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2009年8月11日 (火)

日本のカミさま 改訂版

kamimaturu

                                 (カミマツル)

日本のカミさまって?・・・八百万(やおよろず)の神様なのよね?

いいえ、古くはそうではなかった。

そうなってしまったのは、何といっても大陸の思想が入ってきてからです。


「神」という漢字を、日本の感覚を身に付けていない人たちが(帰化人や渡来人)
安易に、あるいは知らないで、「カミ」というヤマトコトバの音に
当てはめてしまったのでしょう。
手を合わせる対象・・・それなら「神」に決っている。
そんなことだったのでしょうね。
むしろ「上」と訳してくれたら、近かったのに・・・

私達はそうではなかったのです。

なにより手を合わせるのは、精神を統一する「カタチ」なのです。
そして、その対象と心をつなぎ、心を通わせるという方法なのです。

拝礼して伝えるのはお願いではなく、ただ感謝の気持ち。
ここに今、こうして自分が在る。存在する。
その不思議さ、生かされていることへの感謝が、そこに有るのではないでしょうか。
そして、祖の方々と現在においても「お話をする」「心を通わせる」のだと、
私は思っています。

祈るという心もありますが、それは何事かをお願いするのではなく、
むしろ自分の中を深く見つめ、真の心を表明しているような気がします。

つまり、
カミ頼みと見える時でも、

手を合わせ、雑念を払い、古来の精神を感じ取り、
因って立つところを明らかに出来れば、
物事への対処がいちばん良くできるという・・・その叡知。

神社へ詣って、気持ちが清々しくなる。
親の墓に参って報告する。そして、気持ちの区切りをつける。・・・などに、
それが現れていると思うのです。

そこに、もう一つのカミ詣での理由が浮んできます。
浄める」「祓うということですが、
自分の我を祓う、欲から自由になる行為であると、私は解しています。

カミと私。
自然の中の私・・・そこには対立はありません。
そこから生まれて来たのですから。
・・・むしろ「ヲヤ」



しかし残念なことに漢字と共に、
外来の、おどろおどろしいシャーマニズムが忍び込んでしまいました。
神の怒りとか、祟るとか、罰が当たるとか、はては怨念とか。
それを避けるために、神を祀り、供え物をし、お願いをする。

今までになかった
功利的な「神おがみ」
なされるようになってしまったのですね。

日本に無かったなんとも異質なこの概念が、現代においてもまかり通り、
本来持っている私達のカミへの感覚と交じり合って、区別することなく、
ぐちゃぐちゃになっているのが、実情ではないでしょうか。



ここで「神」という漢字を見てみましょう。

Photo_6  
実はこの字の大元は金文の「申」という
稲妻の形を表わす字なのだそうです。
殷のものですから、5代アマカミ・オオトノチさまの頃?

そして後に「示」という捧げ物を置くの形をそえるようになった。
つまり目に見える稲妻と雷の威力を神として拝んでいたわけですね。

「この力は万物を引き出す」という、
紀元100年頃の『説文解字』の記録もあり、
また、後世には祖霊も神というようになった・・・と。




さて、我が国のカミというコトハです。

Photo_8

では、相と態それぞれの図象イメージを、もっと詳しく見てみましょう。
縦書きでないと言葉を形成出来ないのが、お判りになると思います。

Photo_9

このように日本古来の文字「ヲシテ」は、
具体的な物を写した象形、すなわち表意文字ではありません。
カタカナ・かなのように、表音文字でもありません。

むしろ事物の出来るプロセスや、その背後にある法則を、
非常にシンプルで解りやすい形で表した
「図象」で成り立っている、世界に二つとない文字体系なのです。

漢字のように、
自然現象などをそのまま神とするシャーマニズムとは
まったく無縁であることは明らかですね。

     ※ 「カ」というヲシテについて、さらに良くわかるブログはこちら

さて。

カ・・・大自然のエネルギーが上から下ってくること。
    同時に下(地上)から上へのエネルギーの動きも表わしています。
    自然の健やかなる循環のイメージから
    「明るく輝く」意味ともなりました。

ミ・・・カを受け止め、まとめ1つにして現実化し、
    その恵みともいうべきものを、日々繰り返し下にもたらすこと。
    そこから実、身、己という意味にもなったのだと思います。

つまりカミは、

自然の恵みを受け止めて、日々にそれを活かし、

現実化して、すべてを下へと与えてくださるのです。

ということは、この私を産み育ててくれた親も、
そして祖先もこの概念にあてはまるのですよね?
上という言葉も、
自分より根源に近い「上に位置する」という意味であてはまります。
そうそう「お上・オカミ」という言葉もあったではありませんか。

 

ヲシテ文献には、カミという言葉が3種類に記述されています。

1つは自然のカミ。
土のカミ「ハニヤス」とか、火のカミ「カグツチ」や、水のカミ「ミズハメ」など。

しかし、これはキミが名付けられて「カミ」と奉られたものであり、
人は自然現象より上に位置し、
名付けられたということは、
ヲヲヤケのために、良い働きをすることを期待されているのです。
カミとはそういうお役なのですから。

人がより良く暮らすために、自然の恵みや、
時には破壊的な力をコントロールするため、
名づけ奉ったのですね。

面白いことに、ある時、害を為したウツヲカミ、
・・・ウツホのカミで、この時は雷を落とし新築の宮の垣を壊した・・・に対し、
アマテルキミが「ナサケナキ ヤシロヒシケト」仰せになった記述があります。
つまりカミと奉れないように「ヤシロを潰してしまいなさい」と。
この時は、御孫のニニキネさんが何度となく取りなしをされて、
結局、別のお名で、キチンとしたお役や働きを定められ、
新たなヤシロに奉られたみたい。笑)

このように、日本の自然のカミは、
その自然の威力をひたすら恐れ、生贄を捧げ祀るという
大陸のシャーマニズムとはまったく無縁のものなのです。


 

次に、この世の優れたお手本になる方が亡くなられたとき、
カミアガリ(神上がり)と書かれ、「カミと奉られる」のです。
トヨケさんも、アマテルさんも、今まで書いた方々はほとんど全部、
カミさまになっていらしゃいますよね?
尊い祖先になられたのですから。


ヲシテ時代にはもうひとつ、
生きている人も、優れた方がカミという尊称・称え名でよばれることがあり、
役職名としてもカミの名が付けられる事例もありました。

アマカミは国のトップ、リーダーです。後にスヘラギと名称が変わっていきます。
もうひとつ、クニカミはアマカミからのミコトノリにより、それぞれのクニ(地方)
に派遣され、そこを治めるのです。
つまり一般より責任のある「上」という身分・位置を表わしているのですね。


このように

深く全体を読み解いてみると

自然のカミも

もとは人であった、ご先祖のカミさまも

イッパイ名前は多いのですが

元はひとつ

根源はひとつ

皆そこへ帰一していきます


そして、その根源なる唯一の法則

パワーを

「アメノミヲヤ(アメ)」と記しています

人もモノも

すべての現象はそこから出で

そこに還っていくと・・・

すべてのヲヤにして祖

宇宙原理

・・・大自然の力と言った方がピンとくるかも。


それにしても私は、最近「神」という字を見ると違和感が大きくなり、
きっちりと使い分けたいと感じるようになりました。
日本のカミを語る時、本来はヲシテで書きたいところなのですよね・・・(笑)

ですからミヲヤ、アメはあっても、
神は日本には無いと言っても良いかと思います。

そして奉られるほど素晴らしい御方々、
人であられたカミは多勢居られたのでした。


さて、その唯一の根源である「アメノミヲヤ」の描写なのですが、
紀元120年ごろに、それまでの伝承と文書をたどって書いたとすれば、
現代の最新の宇宙学や、量子力学のとらえ方と、大変似ていることが、
奇跡のように素晴らしく思われます。
後でまた原文を参照しながら、しっかりと紹介したいと思っています。

すごいよぉ・・・例えば、この世の始まりのくだりでは、
地球を「クニタマ」と書いてあるんですっ!
地球が丸いって、どうして解ってたんだろう!
ビッグバンらしき著述もあります!

このように非常に理知的で、そこが他の民族の神話とまったく違って、
低次元のシャーマニズムの痕跡がありません。
あくまで物事の原理の追及という、科学的精神に満ちています。


余談になりますが、ヲシテ漢字の対比をもう少し書いておきましょう。

お話はかわって、だいぶ後世に飛びます。
このヲシテ文献のうち、歴史書「ホツマツタヱ」は、
古墳時代の12代スヘラギ・ヤマト ヲシロワケさん(景行天皇)へ奉ったもので、
前半の編者はクシミカタマノミコト(神武天皇の右大臣・6代大物主)が、
前の時代に纏め書いたと記されています。
残念なことに、その時参考にされた、もっと古い先行文書という
「ミミノハ」「ミソギノフミ」他多数は、現在発見することが出来ないようです。

ホツマツタヱ後半「ヒトノヨ」の卷は、
クシミカタマさんの子孫であるオオタタネコさん(大三輪神社・初代神主)が書き、
前編と共に編纂し、ヲシロワケさんに捧げたものです。

この後半、ヲシロワケさんの記録も・・・面白い。
まるで、現代の首相日程表みたい。

yatusiro

サツキハツヒに  
フネはせて ゆくヤツシロえ
ヒのくれて つくキシしれず
ヒのヒカル トコえ サセとの
ミコトノリ キシに あかりて
なにムラと とえば ヤツシロ
トヨムラの たくヒを とえば      
原文へのリンク
ヌシおエず ヒトのヒならず        
シラヌヒの クニと なづくる     
ホツマツタヱ 38−63


これね、私の住んでる熊本県八代に行幸があったという、
ホツマツタヱの記事を、かなとカタカナで書いてみました。

5月は新緑でいちばん美しくなる季節です。
そして、八代には「不知火」という蜃気楼のような光が、
夜の海に浮んで見え、それはそれは神秘的な光景でした。

ただ、近年は対岸の天草も、はるかに島原半島も夜は電気の光が増し、
ついに見える時期がほとんど無くなってしまったのが残念。
列島改造?以来、こういう風情もまったく変わってしまったのです・・・

わが郷土誌や、日本書紀にもあるみたいだけど、
ヲシテの文章の方が、なんといっても美しい。
現代の私達にも、素直に感じることができますよね?
この後も、
都に帰られるまでが、延々と日記風に書いてあります。

さーて。
下は日本書紀にある文章です。
これと、比べてみてよね?


五月壬辰朔、從葦北發船到火國。
於是、日沒也。
夜冥不知著岸。遙視火光。
天皇詔舵取者曰、直指火處。因指火往之。即得著岸。
天皇問其火光之處曰、何謂邑也。國人對曰、是八代縣豐村。
亦尋其火、是誰人之火也。然不得主。茲知、非人火。改名其國曰火國也。

さつきみつのえ たつのついたちのひに、あしきたより ふねたちしていたりたまふ
ひのくに ここにひくれぬ・・・


どうするよお・・・これ!

まったく漢文そのもの。中国語ですよね・・・(汗)

暇で裕福な知識人なら、勉強して漢字読めるようになったのでしょうけど、
一般庶民はこうやって、読むことが出来なくさせられてしまった訳なのです。

「よらしむべし、知らしむべからず」が始まったのです!



さて後半を書き、編纂した人「オオタタネコ」・・・舌を噛みそうな名前ですが、
どうもオオ(ミワ)・タタネコみたい。

クシミカタマノミコトの息子の7代大物主は、イミナ(実名)タタヒコですので、
子孫もタタネコでもおかしくないよね。
また7代は「オオミワ」というカバネ(姓)を賜っており、
以後オオミワを名乗っていますので。


    ※ 漢字がどういうニュアンスを秘めているか知りたい方は、     
      白川 静さんが若い人たちのために編纂された、         
      「常用字解」がお勧めです。 (平凡社 2800円)

      上記に掲載した金文はこの字典からのものです。

 

    ※ 日本書紀は、すべて漢文で書いてありましたので、
      意味がよく分からず、後になって解釈が必要となりました。
      そこから、さまざまの読み下し文が生まれたのです。
      私がひらがなで書いた文は、その1つです。

 



                                

(旧版 05/11/19)

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コメント

こんばんは、びーちぇさん。コメント&TB、ありがとうございました。
 自分のブログで返事を書いたのですが、どうもこちらに書いた方が良いような内容でしたので、そのまま転載させて頂くことにしました。なんだか失礼かなぁとも思いましたが、お気を悪くされましたら、お許し下さい。

 日本では「神」と「上」に関連があるか、或いは同じ言葉であることは、多くの方が感じていると思います。しかし支那では別の言葉ですから、別の概念なのでしょうね。
 聖書では「カミ」が自分は何であるか宣言している部分で、英訳では「I'm beeing.」とあるそうです。「ありてあるのも」と和訳されているそうですが、現在進行形の動詞なのです。元のヘブライ語でも、「過去からあり、現在も、そして未来もあり続ける」という形の動詞だそうです。私はこの概念をなかなか理解できず、一応「宇宙の法則」と解釈してきました。
 ですから、びーちぇさんの記事の「元はひとつ。根源はひとつ。皆そこへ帰一しています」とか「むしろカミとは、宇宙原理」とかを読むと、「アメ」と「GOD」は同じではありませんが、一神教のキリスト教と、妙な共通点を見たような気がして、不思議な気持ちになってきました。
 「カミ」という概念は民族によって、随分違うもののようですね。

投稿: カァ | 2005年11月20日 (日) 20時35分

カアさま

コメント有り難うございます。

キリスト教、ユダヤ教をはじめ、他の宗教と決定的に違うのは、人格が無いということでしょうか。
日本のカミは語りません。
人の方がカミを、感得する、悟る、というカタチのようですね。
これ、とっても日本人的な独特の個性・感性を育んだと思います。


対して、他では神が語り、自分を知らせ、守るべき掟を与えます。
神は人を創った・・・世界を創ったと、自ら宣言しています。

で、その神に従うという契約をするのですね。
「私を愛するなら、掟を守れ」と。
もし、それを破ると罰が下る。
それが、まったく違うところでしょう。
人は神に相対しています。

日本ではカミからヒトは別れ生まれている。そして、還って行く。
いわば、カミの一部がヒトのようです。

他の民族では、けっこう神さまもわがままだったり、好みがあったりすることもあって、
言うこと聞かないと、呪われたりしちゃうのが怖いですよね。

言うこと聞かないと・・・幸せにはなれないぞ。
さからったら、地獄なのじゃ!
なーーんてね。

これ、やっぱり私達の感覚と違いませんか?

投稿: びーちぇ | 2005年11月20日 (日) 22時27分

カミに手を合わせるのは感謝の気持ちなのだ、お祓いというのは自我への固執をはらうのだ、という趣旨かと思いますが、なるほどと思いました。何かの本で「祀られる神よりも祀る神のほうが上で祀りかつ祀られる神が一番上だ」ということを読んだことがありますが、祀るということは感謝の気持ちを表すきわみであると思えば「カミに手を合わせるのは感謝の気持ちなのだ」というところから派生した概念なのかもしれません。
びーちぇさんが書いていらっしゃるカミの概念はしいて大陸で似たものを探せば、老子の「道」かなと思ったりもします。多分お互いに関係があるわけではないでしょうけど。
宇宙といえば、アインシュタインが「物理学の真理に近づけば近づくほど神の存在を感じざるを得ない」と言っています。アインシュタインが感じた「神」はここでの「カミ」なんじゃないかと思います。

投稿: 猫研究員。 | 2005年12月 1日 (木) 01時25分

>猫研究員さま

さっすが、目のつけ所が☆
と思う訳です。なぜか・・・

アインシュタイン・ロマンという番組をご存知でしょうか?
あれを昔見て、実に感動したのです。
物理学なんて分からんと思い込んでいたんですけど、そうだったのかと思って。

で、今準備しているエントリーの中に、ヲシテ文献から物理学を見てみようと、そうたくらんでいるのですが・・・乞う、ご期待☆

投稿: びーちぇ | 2005年12月 1日 (木) 01時40分

「アメノミヲヤ」は原理、法則で、人格性はない。
その原理、法則をそのまま表現すれば、
「アメナルミチ」

このことは、とりもなおさず、
「アメナルミチ」に擬人的な名称を
つけたのが
「アメノミヲヤ」であり、
名称自体「ヲヤ」という無限遡りが可能な
名称になっている。

「ミチ」は、三千であって、見えざる命であり、
表れ出でた息遣いでもある。
即ち、無限の可能性であるが無原則ではない
というもの。生命そのもの。

結果として、「ヲヤ」という人格に見えながら、
その実態は「ミチ」を表し、しかも、
「ミチ」は感知できても言語化はできないという仕組み。

人や言葉を絶対視=原理主義、専制、「神」化させないように
なっている。


おそらく「ゼロ」の発見と同程度に
ものすごい「見極め」なんだと思われます。

投稿: うまやど | 2011年1月19日 (水) 12時18分

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