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2009年8月 7日 (金)

つれづれ 改訂版 「伊勢神宮のお参り順」

momiji

今週はトヨケカミについても、もう1度ノートを見直している。

ん?・・・ああ!・・・この言葉。
うっかりしていたのに気がつき、調べ直しが始まる。

池田満先生が、勉強の座右に置くと良いと言われた辞書。

「大言海」・・・大槻文彦
「日本地名辞典」・・・吉田東伍
「大漢和辞典」・・・諸橋徹二

幸い、父の残してくれた大言海はあるので良かったが、
他の2つは古本でもウン万のつく結構なお値段!・・・(^_^;)

それでも、信頼出来る辞書が無いとどうにもならない。
大言海は、広辞苑などの国語辞書の元になっているのだそう。
とりあえず、地名辞典だけは買ったけど、当分はお金ためなきゃね。


 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

さて今日は、「外宮を先に内宮を後に」という
伊勢神宮のお参りの仕来りのことを書いておきたいと思います。


>伊勢神宮の外宮のトヨケカミは、お参り順から考えて、
>アマテルカミより地位が高いということだったのでしょうか?
>もうちょっと、詳しくそこのところを。


はい、地位で言えば、
内宮に祀られている8代アマカミであった、
アマテルさんの方が上
なのです。

でも、その心情といいましょうか、
慈愛深き外祖父であり、師父であり、アマテルカミに多大な人格的な影響を与え、
また実際にも重臣として、政ごとをいつもサポートなさったのが、
トヨケカミ(豊受の大神)だったのですね。

国民の信頼も厚く、この方が乗り出されれば、なにごとも丸く収まるほど、
全ての人に敬愛されておいででした。

トヨケさんがお亡くなりに なった時、領地の民が嘆き悲しみ、
そのあまりの悲しみに、アマテルさんが心を打たれたご様子が書いてあります。

最後の教えとして、アメナルミチの奥義を授かったアマテルさんが、
お弔いも終わって中央にお帰りになると聞いた民は、
その御輦車(アマキミの乗られる御輿)に取りすがり嘆きました。

途方に暮れるあまりに御輦を離さず、身も世もなく嘆く民の心情を、
深く理解したアマテルさんは、皆が落ち着くまで5年以上もこの地にとどまり、
自らマツリゴトをおとりになったそうです。



時は過ぎて、
アマテルさん自身のご死去の際の、ご遺言も、
皆が思うアマカミにふさわしいお墓ではなく、
ただ、「トヨケカミと死後も一緒にありたい・・・」という仰せでした。

本当に・・・

現代の私たちにさえ、
アマテルキミの、そのご心情が伝わってくるではありませんか。


Amateru_yowoinamu_2


ワガイノチ アメガシラスト
ヤモカミオ メシテワレヨオ
イナマント サルタニアナオ
ホラシムル マナヰニチキル
アサヒミヤ オナシトコロト
ノタマエハ モロオトロキテ      (ホツマツタヱ 28ー34、35)


アマテルキミは寿命のつきることをお悟りになり、
皆を呼び集めて
「ワレ ヨオ イナマン」と仰せになって、
敬愛するトヨケカミのお墓であるマナヰのお山に、
サルタヒコさんに穴を掘らせ、
自ら入ってカミ上がりなさったのです。


マナヰのお山そのものが、お二人のご陵墓となりました。
そのお山の入り口には、
すでにトヨケカミを奉ったアサヒミヤが建っておりました。



この地から、
伊勢のアマテルカミの晩年のお住まい(ミヤ)のあった宇治へお遷り頂いたのは、
ずっと後世になってからのこと。
その時お祀りしていたミツエシロ(斎主)のヒメにお告げ(たぶん、夢)があり、
やはり「トヨケカミと共に」と言われたようです。

そのため伊勢神宮には、トヨケカミにもお遷り頂きました。
そして、アマテルカミが
このように慕われ尊敬されていた、トヨケカミの外宮に先に詣でてから、
アマテルカミの内宮にお参りするようにと今も伝えられているのです。

お二人の心の繋がり、また民との深い心の交流が
熱く伝わるエピソードではありませんか。

この辺のお話も、後でじっくりと書くつもりでおります。


あ、最後に

アマテルカミも

トヨケカミも

男性であられたことだけは、

しっかり覚えていてくださいね?

                                

(旧版 05/11/07)

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コメント

毎回 心に響くお写真もありがとうございます。 
今月13日に伊勢神宮へ行くことになりました。
突然、昨日決まったのですが、思わぬ
展開に驚いています。
行ってご挨拶しなさい (思いをめぐらせよ)
との意かしら。

ビーチェさんの講義、わかりやすくて、
次が楽しみです。
できましたら、主だった内容の原典箇所も
載せていただけたら嬉しいのですが。

投稿: 北村 洋子 | 2005年11月 9日 (水) 18時21分

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受信: 2005年11月 8日 (火) 07時25分

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