皇統をつなげた人「トヨケカミ」その2 改訂版
さて、第6代アマカミ「オモタル」さんの時代。
気候の変動による農作物の減収。
地域による貧富の差。
国内に初めての不穏な空気が流れました。
そして、盗み、略奪などが横行し世が乱れたと、記されます。
それを取り締まるために「ホコ」後に「ツルギ」が作られ、
罪人の刑の執行も行われました。
「モノ ウバフ コレニ オノモテ
キリ ヲサム オノハ キヲ キル
ウツワユエ カネリニ ホコオ
ツクラセテ トキモノ キレバ
ヨツギナシ・・・」 (ホツマツタヱ 23ー5)
カネリとは、鍛冶師のことです。
トキモノは、鋭い者。ここでは悪い意味に使われています。
全国を巡って、この気候変動のための工夫や農業技術を教え、伝えたのに、
それも貧富の差に結びついたとは、オモタルさんもお辛かったでしょうね。
指導を得て努力して頑張り、豊かさを維持した人と、うまく行かなかった人。
でも、今までなら共に助け合って何とかしてきたのに、
飢えない暮らし、豊かさがが当たり前になった時代となってから、
人の心が変わっていったのです。
その背景として、前にも書きましたが、
大陸において殷(商)が、周に攻め滅ぼされたことが影響しているのではないか。
つまり多勢の難民が日本列島になだれこんだ影響があるのではと、指摘する人もいるのです。
異民族が増えれば、言葉も文化も習慣も違うし、摩擦も起こるでしょう。
「強いものが勝ち」という考えは、それまでの我が国には無かったのですけれど、
もしかしたら、難民の人々が持ち込んでしまった「大陸の常識」だったかも知れません。
羨み、ねたみ、そねみが生まれて来、
そして、悪巧みに長けた人々も暗躍し出したのです。
これって、現代にも言えるような・・・。
このような理由から、弱いもの、正直もの、勤勉な人が憂き目を見ないために、
今までに無かった刑法というものが誕生したのだと思います。
オモタルさんはこのホコを「サカホコ」と命名されました。
なによりも大事な憲法「ト」に逆らうものだけを、罰するということなのですね。
「ト」の心とはミヤビ・・・「あなたの幸せのために何をしましょうか」と、
互いに思いやり、助け合い、慈しみあう心です。
それを踏み躙ることは決して許されない。
オモタルさんの決意は強いものでした。
もとより人を殺すのはとんでもないこと。
この世にアモト(宇宙法則の中心、アメミオヤも示す)から分け下されたタマを
絶つという所業ですから。
けれども大多数の善意の人々を救うため、自然法則には逆らうことになっても、
刑法として、実行せねばクニが治まりませんでした。
そして、御子はお生まれにならなかったのです。
このアマカミの辛いお心を誰よりも感じていらっしゃったのが、
5代タカミムスビ「トヨケ」さんです。
心暖く深く、偉大な思想家でもあったこの方は、
建国の初代アマカミ「クニトコタチ」の為されたことを思い、
その全てにおいて、考察を巡らしておられました。
「トコタチノ ミヨハ ミホカミ」 (ミカサフミー46)
「カワルカワリニ ヨオツギテ」 (ミカサフミー122)
そうです。
クニトコタチからの3世代を特別に「ミホカミ」という呼び名で表し、
皇位はいつも「トのヲシテ」に照らして、いちばんふさわしいと思われる方が、
2つの系統で代わりあいつつ、継いでこられました。
そして長い長い間、クニは明るく健やかに、平和な暮らしが続いていたのです。
今の世となっては、
はるか遠き、幸せであったカミ〔祖)の世のことではありますが、
このクニにとっては、代わりあって御位をを継ぐというのは自然なことなのです。
直系だけに固執せずに、同じクニトコタチの血筋、皇統を伝えるのならば、
どなたが国をお継ぎになっても良いのです。
トヨケカミの心に1人の青年が浮かびました。
「タカヒト」・・・
2代タカミムスビの弟であった「アメカカミ」の末裔。
今風に言えば分家筋の若者でした。 →系図
その昔、
次男(?)アメカカミも大変優れたお方だった故か、成人なされてからタカミムスビの
本拠を離れ、ツクシ(九州)を治められました。
4代アマカミ「ウビチニ」の御世に、宮廷に絶えそうになった「マサカキ」の苗を
献上したお方でもあります。
離れていても、アマカミの信頼篤い、重臣の一人であったのかも知れません。
そして、九州生まれの皇子アメヨロツカミ。
「コノ ミコハ アメヨロツカミ
ソアサ タシ アワ サク ウメバ
アワナギハ ネノ シラヤマト
チタルマデ ノリモ トホレバ
ウム ミコノ イミナ タカヒト
カミロギヤ・・・」 (ホツマツタヱ 2−24,25)
四国(ソアサ)を、治められた(タシ)アメヨロツさん。
タカミムスビの分家といっても、たいへん秀でた一族だったようです。
そこで、アワナギ、サクナギという皇子2人が生まれ、
兄皇子のアワナギはネノクニ、シラヤマ(山陰地方)からチタル(北陸)を
統治なされ、大変安定した平和なクニを作り上げました。
そして生まれたのがイミナ「タカヒト」後のイサナギのミコトです。
「カミロギ」と書かれているのは、
大変優れた人柄であったことを示唆しています。
ちなみに「カミロミ」といえば女性の方への尊称となります。
で、後世になって、カミのような男性、またはヲのカミ・・・
「カミロギ」といったらイサナギさん。
「カミロミ」メのカミといったらイサナミさんを指す言葉となりました。
分家筋の、しかし今、クニ中で人望も篤い優れた人柄のあの若者に
我が娘ながらこれも賢いヒメのイサコを妻合わせて、
次のアマカミと立て、
日嗣の皇子、そして何人ものお子ををなしてもらえば・・・
きっと、皇統は栄えクニも栄え、世々に続いていく。
これが、神官でもあったトヨケさんのアメよりの直観でした。
さっそくアマカミへ進言をなされたことでしょう。
私心のない、人を見る目の深いトヨケさんの案は、アマカミの入れるところとなり、
後に実現されたのでした。
トヨケさんの心からの思いをこめて、二人のトツギはとりおこなわれました。
でもね・・・
始めは、お二人ともその気にならなかったといいます。
東北育ちの直系のヒメ、分家筋のネノクニ(山陰)育ちの聡明な若者。
それでも、その任を全うできるだろうか。畏れ多いことでもあります。
しかし、二人ものハシカケ(今でいう仲人)を通じて、
このクニを建て直し平和なものとするというヲヲヤケの尊い任務を、
諄々と説かれて、深く納得されるようになったお二人は、
ついに決心されました。
ここにイサナギ、イサナミが新たに誕生されたのです。
こうして、絶えなんとしていた皇位は
トヨケカミの直観と熱意、努力を以て、
若き凛々しいタカヒト「イサナギのミコト」に受け継がれ、
このクニも困難を乗り越えて、
更なる発展の、大いなる時を迎えることとなったのです。
閑話休題・・・話は3000年ほど後世に飛びます。
私の祖父が14人の孫たちに言って聞かせたのは、
「結婚は事業である」ということでした。
恋愛とは違うんだよ・・・と。
ええ?・・・このご時世に?
幼い私などは思ったことでしたが、
今になって思うと、なるほどという面があるようです。
同時に恋と愛は違う・・・などと、孫達に説き聞かせる人でもありました。
「なあぜ、お祖父ちゃま?」
「それは、子供という大事なことがあるからね・・・」
「・・・よく・・・わかんない・・・?」
なにか、懐かしい。 (^。^)
・・・お祖父ちゃま、ヲシテ文書も知らなかったのに、
本質は分かってたよなあと思います。
とすると、我が民族は意識しなくても、伝統的にそう感じて来たのでしょうか。
(旧版 05/11/15)
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コメント
今回の有識者会議を構成する人々には知恵というものがないようですね。本当にこのまま皇室典範が改正されてしまうのかと思うとやり切れません。。
投稿: はなびら | 2005年11月16日 (水) 08時30分
TBありがとうございます。
毎回美しい写真とともにいにしえの日本を語るびーちぇさんのエントリーは、何故だか深い安らぎを覚えます。
それにしても何千年も前の日本でも現在のお世継ぎ問題と同様に苦悩していたとは・・・。
このはるか昔のことを踏まえて皇室のお世継ぎについても考えるべきですね。
投稿: kits | 2005年11月16日 (水) 14時26分
TBありがとうございました!
ここの記事を読ませていただくと「悠久」という言葉がぴったりで、時間が止まってしまったかのような錯覚にすら陥ります。今後も続きを期待しています!
有識者会議の人々が、びーちぇ様の1%でもいいから伝統を感じ取る感性をもっていてくれたらなあ、と無理は承知でそう思います。
投稿: 猫研究員 | 2005年11月18日 (金) 00時40分
はなびらさん
本当にどうなってしまうのかな・・・心配です。
首相は逆の意見を纏め、国民の反応を読んでいるのかもしれない・・・なんて、思いたくもなるのですが?
kitsさま。猫研究員さま。
毎回コメント頂き、本当に嬉しいです。
写真もね、結構選んでいるんですよ。
日本古来の、暖かでまっすぐな心。
それを知ることで、なんだか元気が出てくるんですよね。
投稿: びーちぇ | 2005年11月20日 (日) 22時48分
TBありがとうございます。
素敵で重たいお話ですね。
現代、皇祖皇宗が悠仁親王殿下を大いに祝福し皇統の継承者としたことも同じくらいの重みがありそうです。殿下は現代のイザナギ様かも。
投稿: 練馬のんべ | 2009年9月12日 (土) 18時44分