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2009年12月12日 (土)

カトリ、カシマカミとお馬さんの話 (2) 改訂版

Photo_3

在来種・野生の御崎馬(宮崎県都井岬) 小柄で健やか。


さて、カシマカミ・タケミカツチの父上は「カトリカミ」で、

清廉な方として知られています。


聖なる山「カクヤマ(富士山)」とその一帯を預かり、治めたカミです。

この「カ」は、カクヤマの

「トリ」は守る、治める。

ですから「香取神」という漢字当て字はマアマアですけれどね・・・

香久山の守りですから。


このお二人の関係はなんと、神社の由緒にもなく、

どんな方か良くは分からないと書かれています。



この父ギミも実に素晴らしい方でした。

「カトリカミ」イミナ(実名)は「フツヌシ」

他にヲハシリ、ミカサヒコとも呼ばれ、

ムマヤヲサメ・馬司長官として名をはせました。

はい。

系図を見て下さいね?


・・・乗馬の達人で、武勇にも優れ、

アマテルキミのもと、我が国初の、騎馬軍団を訓練し作り上げたのです。


このことがハタレたちのクーデターの時、迅速に行動でき、

味方を勝利に導いた大きな要因ともなりました。

フツヌシの祖父「トヨケ」さんが、馬の見分け方から訓練の仕方、馬具の使い方などを、

詳しく書き残し、また直孫に実技もろともしっかりと伝授したのです。

だからアマテルさんとは従兄同士の仲ですね。


フツヌシさんのところには、日嗣の皇子や御子、重臣の子弟から、

ある程度の身分ある家の若者たちまで、

みなノリノリ(乗馬法)を習いに行きました。


ノリノリも内容はいろいろです。

大きく「チミチ・イツ・アレ(地道・逸・荒れ)」があり、

ことに荒れ乗りをマスターできた方は少なかったようです。


下の原文を、声を出して読んでみて下さいね?

全編このような五七の美しいリズムで書かれているんですよ。


norinori_1


馬に乗るということは、チミチ、すなわち地道(並足)を大事な基本とするのです。

ここには乗り始めの心構えが、本当に細やかに描写されています。


まず、馬子に手綱を預けてから、馬の右から乗るべきこと。

鞍に座ったら、鐙(アフミ)の位置を足に合わせて、ゆとりを持たせ、

しっかりと踏ん張れるように鐙ナワの長さを調節すること。   

また自分の腿の感触や腹帯の弛み具合も確かめ、

気を込めて腰を安定させ、

様子を見つつゆっくり歩ませはじめます。


決して急がず、やわらかな気持ちで、

馬の足取りや息遣いから、

馬の心を読み取って、こちらも心を合わせることが、

何より大事な、乗馬法のカナメであるということです。



このくだりは、前にも書きましたが、

私にとって理解するのとっても難しかったんです

特に6行目の「マチニヰキアケ」・・・うーん。なんだろう。

まだ動いてないのに、息が上がる?・・・・ヤマトコトバでも古いからなあ。


そこで、まず古語辞典を引いたら、マチは「襠・ゆとり」みたいでした。

それでもその先がわからない。

散々悩んだ末思いついたのは、今年84才になる母の姉のことでした。

幼女の頃から乗馬を習い、その颯爽とした乗馬姿を30数年ほど前に、

見たことがあったのです。

伯母は機嫌良く、


「マチニヰキアケ(ゲ)の意味?・・・その言葉は良くわからないけど。

 でもね、鞍に上ったらまずは、足の長さに合わせて

 鐙のヒモを調節するものなのよ。手綱を取る前に必ずね」


と、電話の先で楽しそうな口ぶり。


「そう、足先から握りこぶし一つぐらいかなあ・・・

 でないと、鐙を踏ん張れないでしょ。」


そうか、そうなんだ。だとするとヰは数詞なんだ。

「5キ」ゆとりをもたせ、鐙を上へ上げる!

そういえば、息は「イ」キだもんね・・・それをうっかり見落としていたんだ!

急いで、原本を出しました。

そうしたら原文はちゃんと「ヰ」に数詞のハネがあるではありませんか。


ああ、池田先生がHPに書かれていたのは、このことだったんですね。


「ヲシテをカナに書いてしまうと、少なく見積もっても、

 情報の50パーセント以上が失われる」と。


カナをにらめっこしていてもダメなんです。

またヲシテの文章でも、振り仮名だけ読んでいては、何も分からないんですね。

それに、ある程度意味が分かると思うと安易になる。


古い時代の言葉の意味は、今の私たちの概念じゃないかも知れないのです。

これって初心者の傲慢さなんですね。

やっぱりヲシテの文字に真直ぐに、無心で向かい合わなければと、

ふかーく反省したことでした。



常に馬と心を通わせて、信頼を得ることが大事です。

馬は生まれっぱなしでは、何も知らないのですから、

何かに驚いて暴走したとすれば、乗り落ちることになるのは、

当たり前のことです。

つね日頃から訓練して、よく教えれば賢くおぼえるものです。


さすがムマ丿カミ、馬という動物のことを良く理解していらっしゃいます。

そういう基本から始まって、

弓矢を使うとき、ツルギで戦うときの綱の長さ、腹帯の締め方、

はては綱の材質、握る場所に至るまで、微に入り細に渡り、その詳しいことといったら。



そしてなにより重要な極意は、馬と息・心を合わせた後、

天地を貫き通す気(エネルギー)を、ゆるぎなく手綱から馬にまで通すこと。

これを「ヒトヌキマ」というのですが、

人馬一体になって乗りこなすには、

そういうエネルギーの使い手であることが、本当に必要だったのです。


                    Uma2


このワザの根底には、深くそして長い、心の伝統が秘められているのですが、

そのことも、子細に語られています。


ひとくちに言うなら・・・

宇宙そして、天地が誕生する時に、

アメミオヤ(宇宙原理)がそのエネルギーを宇宙にまわり巡らせるありさまを、

比喩として、アメミオヤが馬に乗って駆け巡る姿に例えたのですね。


また、建国のアマカミ「クニトコタチ」も、

これは現実に馬に乗って国中を回られて、民を教導なされた。

中興の祖であるイサナギ・イサナミも、

共に馬で全国を行幸なさり、具体的な水田稲作法と、

言葉の、つまり国語教育や道徳までも教えられたのです。


アマカミといつも共に居て、お助けする役目の馬。

民にとっても、

馬は労働を助けてくれる、家族の一員であった事でしょう。


馬と心を通わせることは、アメよりの大きな力とつながること。


そして、繋がっていなければ、

馬だけではなく、作物でも、モノであったとしても、

ましてや、人と人の間でも

意志の疎通がうまく行くはずはありませんよね。


「ヒトヌキマ」の言葉は、そのような深い意味を含めながら、

今日にそのワザを、確かに伝えるものです。



また、現代での流鏑馬(やぶさめ)・・・馬上で弓を射るワザを、

戦いという体験の後に完成したのも、

この方、カトリカミ(フツヌシ)と思われます。



norinori


と、これはハタレの乱後のアマカミからの勲功授与を、後にしるしたフミです。

このようにヲハシリ・フツヌシは「ヰツヲハシリ」とも呼ばれるようになりました。

ヰツとは、稜威という神聖な言葉です。

ひとりの人が功績により、いくつもの名前を持っている習わしが、

「記紀」では完全にカットされていますので、

現代の神社でも、分からないままに重複してお祀りしていたり、

違う神さまに数えているケースが多いのです。


フツヌシさんも香取神社のほか、熱海の伊豆山神社(祭神・伊豆山権現)に、

はっきりしないまま祀られていらっしゃると考えられます。

つまり「イツノヲハシリ」稜威雄走神(いつのおばしり)、

・・・そして推測ですが、伊豆のヲハシリという訳なのでしょうか?

実際にもヲシテ時代には、この辺を「ヲハシリノサカ」と呼んでいたそうです。


Norinori_2


こんどは、そのフツヌシ(ヲハシリ)さんに教えを受けて「ムマノカミ」を継ぎ、

さらに精妙なワザを編みだした方。

(アチスキ)タカヒコネ、のちの「フタアレカミ」です。


お父ギミはソサノヲの御子「オホナムチ」で、

お祖父さま・ソサノヲさんも、

従兄弟にあたるフツヌシさんから免許皆伝され、

ノリノリ(乗馬法)を教えていらしたみたいです。

アマテルキミはタカヒコネさんにとっては、大伯父さんということですね。

母方からたどれば、アマテルさんの孫にもあたっていますが。

お母さまは、アマテルカミの姫ミコにあたる、タケコさんですから。



ついでながら、このタケコさんはコトの名手。

琵琶湖の竹生島にお墓があるのですが、

後に仏教化?されてグチャグチャになり、弁天さまとして祭られておられるのです。

他の2人の妹ギミも、江ノ島、阿芸の宮島に葬られました。

つまり日本三大弁財天とは、

アマテルカミの三つ子の姫ミコさま達なのですよっ!



Up_2

丈夫で粘り強く賢い木曽馬・・・特徴は腸が長いためお腹が大きい。だから粗食にも耐えるのです。Photo by poutyuraka  
この馬は乗用ではなく、力役用の輓馬?・・・それにしても栄養が良すぎみたい。


次のくだりでは、タカヒコネさんのお講義で、

馬についての詳しい解説が書かれています。

原文は長いので、こちらで、ご覧下さい。



「まず、その馬の生まれつきの性質を知る事が大事です。

 例えば、ヒタカミ(宮城を中心とした東北)の馬は、

 がっしりと大柄で、性質は大人しいので、

 1年ほどで乗り慣れることが出来ます。

 チミチから始めて、馴れたら荒れ乗りへと訓練していくのです。


 ツクシ(九州)の馬は健やかです。

 だいたい半年くらいで馴れますし、

 早乗り、イツカケなども一通り出来るようにはなるのですが、

 早いだけに、技は中程度のものなのです。


 またコシクニ(北陸)の馬は大柄で、筋肉も程よく、

 従順で物覚えも良いので3,4月で馴れて、

 それなら速駆けもと急ぐのは、やはり失敗の元ではないでしょうか。


 (相対的に)南の馬は小柄で、すぐに馴れるのはよいのですが、

 あっさりした性格なので、いざという時のイサオシ(勲功)が上がりません。


 しかしそういう産地の差も、

 血筋や毛色の良し悪しも

 育て方によって変わるものなのです。

 良く良く乗り慣れることによって、

 その馬の本質や能力を知らなくてはなりません」


ここまで読んでいただくと、誰でも確信なさることでしょう。

やっぱり馬は大昔から日本にいたのだということを・・・

          ※ この各地の馬の特徴は、言うまでもなく紀元前のお話なので、
            今わずかに残る、在来馬の性質とは、まるきり違うということを
            ご承知下さいね?



渡来人たちが馬を初めて日本に連れてきたのは確かなことである。

それまでは日本には馬がおらず、従って特権階級しか乗ることが出きない、

たいそう貴重なものであった・・・という説が一般的です。

しかし、まったくもって、嘆かわしい限り。

渡来人たちが・・・というからには、西暦500年は過ぎています。

しかしヲシテ文献では、トヨケさんの時代からムマのことを詳しく書いています。

紀元前1000年頃には・・・ね?


しかも前に書いたように、

水田が本格的になった頃のアマカミ・イサナギさんははじめて農業に獣力を導入し、

民の労力を削減しました。

「もし、馬を持っていれば馬を、牛ならばそれに鋤をつけて

 田の荒起しや、重い荷を牽かせなさい」と。

農民でも馬を持っていたという何よりの証拠ではありませんか。

いわゆる、美しい馬、見栄えのする馬は、

後世に渡来人が持ち込んだと言えるでしょう。

現代で珍重する、アラブ馬、サラブレッドみたいにね?



でも、

タカヒコネさんが説いているように、南から北まで、

やや小柄だけれど働き者の、丈夫な地馬は沢山いたんですね。

そして馬は、昔から日本人の大事な、特別の仲間だったのです。

その中でも適性のある馬を、

乗馬のために訓練をしたのではないでしょうか。


このように親しまれ、大事にされてきた和のお馬さんですが、

天地創造の宇宙哲学にも

ムマは聖なる比喩として登場しています。


 

また、異変の時に素早く移動できる事からも、

馬は災厄を祓うとされ、

その賢さから、馬だけは、

他の動物と違い、ヒトと似たタマを持つとされてきました。



                 Uma9


朝廷で行われていた白馬の節会。(あおうまのせちえ)

また神社に神馬が奉納されるのも、

流鏑馬(やぶさめ)の神事は、

ムマヤオサメの、

ヲバシリ(フツヌシ)さんの香取神宮が大元であると言うことも。

武道のワザをもって「カナテ・武聖」と称えられたのは

カシマカミがその始めということも・・・。


香取神宮、鹿島神宮の12年に1度の午年の大祭は、

午の年に、両神社同時に行われるのも、

このフミ「ノリノリ ヒトヌキマノ アヤ」から、

本当に良く理解できると思いませんか。


アマテルカミの外孫、

(アチスキ)タカヒコネさんことフタアレカミ。

二荒山とか、二荒神社といったら、この方にご縁があると思われます。




追記 (1)

明治34年、体格の良い軍馬を作るための「馬匹去勢法」によって、

種牡馬及び将来の種馬候補以外の、

和種在来の雄馬は全て、去勢されてしまい、

外来の馬との混血が強く推進されました。

さらに、昭和14年には「種馬統制法」によって、それがさらに徹底されたそうです。

この結果、

多くの地方では短期間の内に、純粋な和馬が消滅してしまいました。


現在わずかに残る各地の和馬は、

たまたま僻地など、交通不便なところだった為、

法律の網からもれた馬の子孫たちだと思われます。


また戦後に「もどし交配」といって、原種に戻す努力がされてもきました。

けれども地方それぞれ、あまりに頭数が少なく、血が濃くなりすぎて、

いわゆる近親交配の害が出てきているといいます。

心ある方々が、さまざまな工夫をされて守っておられるとはいえ、

このご時勢に、どちらも資金不足、人手不足。

いまだ危機的状況にあることを、心から憂いております。


どこの神社さまでも、奉納の神馬や流鏑馬のお馬は、

和のお馬さんが当たり前・・・というのは夢なのでしょうか?

戦国時代の映画でも、和馬は使われていないのですよねえ・・・涙)



追記 (2)

和馬を愛し、優れた乗り手でもある友人が教えてくださったのですが、

神社の斎庭を、カミさまの宿られたヒモロギをお乗せした馬を引き廻る(引き馬神事?)

その馬の口を取って導く人は、

その時のカミのもくろみ(お示しになりたいこと)によっては、

完全な「なんば歩き」にしなくてはならない場合があると教えてくださいました。

・・・うろ覚えなので、もしかしたら不正確かもしれませんが・・・。


そして乗馬の時も、

人馬一体となるときのエネルギーは「なんば」なのだそうです。

馬の左と人の左、馬の右と人の右。

心が通い、動きもぴったりと合一したときに、

一体となって、天地のエネルギーと繋がるのでしょうね。

「なんば」は真に、

日本人の所作の原点だと・・・深く思ったことでした。


この日本古来の歩き方がどんなにアメミヲヤ(大自然)と一致して、

運動的にも無理が無くて、 素晴らしいかを、

少しでも知って頂きたいと願っております。

なのに。

残念なことに、この所作が消えていったのは、

明治以後、

西洋式の手を大きく振り、右手・左足、左手・右足の軍隊式歩き方が

導入されたことが原因です。


追記 (3)

鹿島神宮の神職の次男だったのが、かの剣聖・塚原卜伝です。

ゆかりの古剣道が「鹿島新当流」として伝わっています。

また、香取神宮では「香取神道流」という、

室町時代の中ごろに立てられた、

最古と思われる古武道が伝わっているのです。

この流れから、

塚原卜伝の師「松本備前守正信」を始め「上泉伊勢守秀綱」など

多くの剣術家が輩出し、

このフツヌシ・ヰツヲバシリさまは、武神としてカシマカミと共に、

崇敬を集めてきた歴史があります。

また、騎乗し弓矢を使う技を教えられたこの方にふさわしく、

星鎮祭という神事も行われています。

これは星と化した悪神を射て祓う神事で、

ハタレ大乱の際の、フツヌシさまのお働きを彷彿とさせるものですね?

神事の後は1000人もの弓道愛好家が弓を射るそうです。

 

(旧版 06/09/13) ,

 

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コメント

ウマは、どうも渡来のものという先入観があって、
これまで、あまり好きになれませんでした。
丙午なのに・・・。

しかし、深い歴史と「馬匹去勢法」などの悲劇が
あったのだと、涙が出ます。

「馬匹去勢法」は、まるで、ヲシテが消された時
を思い起こされますし、戦後の教育体制もまた
そのような種類、アンチヤマト、のものだろうと、
心静かではおれません。

ヲシテは、先人が命がけで守り伝えてくれた、
種馬のようなものですね。

その中に、「ノリノリ」が伝わっている、なんとも
痛快な話です。


香取神道流の流れには、薩摩の示現流、
そして、柳生新陰流があります。
剣道は、何度か挑戦しつつ、深くははいれず今に至っています。

将来、Wiiかなにかで、ヲシテに準拠した
身体技術をマスターというか「もどしマスター」する
ソフトでもつくってみたいと思います。

投稿: ひらおか | 2009年12月12日 (土) 10時34分

写真のお馬さんも、
乗馬に適うように、
あるいは引き馬の力仕事用に、
人が関わって訓練すれば、
きっと、この子の一番美しい姿になると思うのですが。

ただ、放牧しているだけでは、
本当の馬の美質も判らないのではと、素人ながら考えました。
競馬でも、調教次第と申しますものね?

私の音楽経験では、
「良い声」に恵まれていても、
それが、コンスタントに演奏時に生かされるためには、
自分を日々に鍛え、そのような筋肉に、作り変えなければなりません。
その結果「美しい声」「ひとのお役に立つ声」になるのですから。

投稿: びーちぇ | 2009年12月12日 (土) 12時49分

こんにちは。

馬はとても賢く、そして繊細で愛らしい動物ですよね。

先日、ご存知の通り乗馬を体験してきました。
短い期間でしたが、乗り終えた時に馬が顔を擦りつけてくれました。
調教師の方に、愛情表現のひとつだと教えてもらい、嬉しく思ったものです。

心が通じ合わなければ、馬に乗せてもらうことはおろか、共に野山を駆け巡ることなど出来ないですよね。馬の呼吸、肌の質感、体温、命の鼓動を感じることの尊さを感じました。

騎乗時の高さもあるのでしょうが、合気の教えのままに姿勢を正して跨ると、眼前に広がる世界が違うことにも驚きました。体のありようこそが、心に大きな影響を与えているのだと思います。

教室では、並足から軽速歩までを体験し、ここまで出来れば…という基礎中の基礎を学びコツは掴みましたので、今後も機会を見つけて乗っていきたいと思っています。


ところで、環境考古学の分野では、古くから日本に在来馬がいた可能性を提示されていますね。今後の発掘調査で、その存在が確認されることを心待ちにしています。


>星鎮祭

ホシ…欲する心を鎮めるお祭ですか。とても面白い研究テーマになりそうなお話ですね。

投稿: しわ | 2009年12月12日 (土) 16時17分

> ひらおかさま

明治以来の在来馬の悲劇は、本当に酷いものであったのです。
簡単にしか書きませんでしたが、
その後詳しく調べました。

つまり馬を仲間として慈しみ、共に働く伝統が否定されたのです。

明治期からは、軍馬=兵器として、
やはり消耗品、モノ扱いになったのではないでしょうか。


「馬匹去勢法」「種馬統制法」などの恐ろしい法律の網をかいくぐって、
各地に残った馬といっても、
それは、優秀な血、遺伝子を持つものではありませんでした。

つまり品質の劣った馬・・・
使い物にならない馬の子孫ということになりましょうか。

そして戦時中には、わずかに残ったそのような馬を頼りに・・・
僻地の女性たちは農作業をするしかなかった。
それには立派で、野生の気質を残す元気な馬よりも、
ただただ気がおだやかで小柄なものが大事にされました。
そして各地、頭数が少なかったので、
もはや限界を超した近親交配を繰り返すしかなかったのです。

現在残っている在来馬のほとんどは、
ヲシテに記されたような、
光輝ある和馬の美質を全く伝えてはおりません。
というか・・・美質は、見事に滅ぼされてしまったのですから。涙)

   生(き)のままの和種馬はおとなしくも従順でもありません。
   気高く熱い野性の魂は、われわれの熱い心とせめぎあいます。

と、和馬をこよなく愛しておられる方が書いておられました。
真の賢さ、美質の表れなのでしょう。
そのような馬は、人が適切な訓練を愛情を持って行った後には、
無二の信頼しあえる友となるのだそうです。
そういうお馬は、ほんの少数、今や指で数えるくらいのようです。

また優れたえり抜きのお馬は、種馬として軍馬繁殖に使われましたが、
その子が繁殖できなくなると、
数代で純粋の和馬はいなくなったのです。混血の馬ばかりで・・・

あと北海道の道産子は、ひそかに放牧されて、たくましく生き残り、
その中には今も優秀な性質を伝える馬がいるそうですが。
これは、ほんのわずか・・・一部生産者によりこっそりと隠された雄馬。
または野に放たれて難を逃れた牡馬。

そして例外としては、
菊の御紋の付いた神社に神馬として大事にされていた牡馬です。
その他は、日本全国で、そっくり・・・全てが去勢されてしまいました。涙)


さて、内地でもごくわずか・・・純血として良い馬が残りました。
それは、前記のように、
菊の御紋の元で保護された神馬であったそうです。

今の木曽馬は全てが、
たった一頭の神馬を元にして交配を行い、
その後、戻し交配を繰り返していらっしゃると。
しかし、もはや、新しい血を入れなければ、
どんどん遺伝劣化していく恐れがあるそうです。


結論としては、良い和馬を残すのに一番大事なことは、
もはや、産地ににこだわらず、
全国の、在来馬と確かめられた馬の中から、
性質が優れ、優秀な血を持つと思われる元気な馬を選び出して、
科学的にも慎重に確かめつつ、交配を繰り返して、
良い馬を作り出していくことしかないのでと、
素人ながら、思ったことでした。

現に、そういう方向で努力をなさっている方々もいるそうです。
ですが、民間の努力では限界があり・・・、
「伝統を伝える優秀な」和馬保存には、
公の機関が当たるのが当たり前と思われるのですが、
このご時勢では。・・・号泣)


投稿: びーちぇ | 2009年12月13日 (日) 11時05分

> ひらおかさま

ヲシテ文献にムマ(馬)のことは、
少なくとも、トヨケさまの時代から記されています。
紀元前1000年頃ですね?
そして、遙か昔、太古の伝承も記しているのですが、
そこには当然のように馬のことがあります。

そして、これは現在確認されたのですが、
縄文時代の遺跡から、何例か、馬の骨が見つかったそうです。
しかし諸説ありまして、
後代に埋めたものが、偶然縄文の遺跡で発見されたのではと、
そういう解釈をされる方もいらっしゃいますので、
確定には至っていないようです。

馬の骨などは、人のように墓地があるわけではないので、
分解されてしまい、見つからない率が高いということです。
甕棺などに入れるわけでもないですから・・・
しかし、食料とした獣の骨など、いわゆるゴミとして、
まとまって捨てられている所には、ありません。
ここからの推定が二つの対立する理由にもなっています。

1)馬はいたけれど、尊い生き物だから絶対に食べなかった。
2)馬はいなかった。

そして例の中国の文献(魏志倭人伝?)には、
日本には馬がいないということで・・・まったくもって! 怒)

我が国の文献を大事にして頂きたいものですが。

また、環境地理学から類推すれば、
馬が存在していた可能性は極めて高いと言わざるを得ない・・・
という論もありますので、
私は今、文献の検証となるかもと・・・
猛勉強しているところです。

投稿: びーちぇ | 2009年12月13日 (日) 12時35分

> しわさん

どうもコメント有り難うございます。
環境地理学はとっても大事な分野だと、私も思います。
もっと、勉強しなくちゃあ!

> 合気の教えのままに姿勢を正して跨ると、
> 眼前に広がる世界が違うことにも驚きました。
> 体のありようこそが、
> 心に大きな影響を与えているのだと思います。

これこそ、あなたらしくてステキな実感ですっ☆

たぶん、跨ってそのままの時と、
姿勢を正したときとでは、
目の前に広がる世界までが、違って見えたのに驚かれたのかな。

・・・なんと、素晴らしいこと。
なんば歩きを実践し、ひたすら日本人の所作を身につけるべく、
精進なさっている貴方ならではです。。。☆パチパチ☆

どうか、その感性をますます磨かれて、
また、いろいろお教え下さいね?

> 馬の呼吸、肌の質感、体温、命の鼓動を
> 感じることの尊さを感じました。

なんでもないように、サラッとお書きになっているけれど、
私にまで温かく・・・伝わるものがあります。
お馬さんにも愛されて、良かった。嬉しいわよねっ!

生きるものが大好きな貴方に、
あらゆる命を大切になさる貴方に、
心からエールを送ります。

あ、星鎮祭。
そうですね、ホシは欲しなんだ。
欲心を鎮める・・・
こんど、この辺の研究をして教えて下さいませ。

投稿: びーちぇ | 2009年12月13日 (日) 22時18分

また、魏志倭人伝?なんですね。
記紀ではいかがでしょう。神代に馬は登場するのでしょうか。
馬の埴輪はいますが、あのころは既に大陸と交流があった
時代ということになりますか。

後世になると、
ウマヤドの皇子とか、蘇我馬子などの名前に「馬」があるのは、
馬が尊い生き物だったのか、舶来した良き物ということなのか、
随分ニュアンスが異なってくると思います。


論理は出発点が間違っていたら全てダメになるという
シロモノです。

「日本には馬はいなかったはずだ、なぜなら魏志倭人伝に云々」

となれば、そこから、記紀にも、ヲシテ文献にも、
様々な難癖をつけられそうに思います。


調査お願いします。

おうまさんたちと、そしてこの国の古代の
名誉のかかった調査の一つになると思います。


あ、それと「ウマ(ムマ)」と「コマ」は何が違うのでしょうか?
直感的には
  ムマ ・・・ 働くウマ、ふんばっている感じ
  コマ ・・・ 走るウマ、行き来する感じ
  ウマ ・・・ ウマの一般名、動く感じ
かなと思いますが、全然根拠ありません。

投稿: ひらおか | 2009年12月14日 (月) 09時57分

> ひらおかさま

もちろん『日本書紀』の神代にも
『古事記』にも馬は登場します。
ソサノヲさんと共に・・・ですが。

他の重要な馬の記述は、カット・・・怒)

実は「お馬さんシリーズ」の最後として、
エントリを準備しておりますが、
文献解読その他の調べが、なかなか難しくて、
目下奮闘中でございます。

「ムマ」「コマ」「ウマ」につきましても、
次の記事を楽しみになさって下さいませね?
中国の文献についても、
もう少し、はっきりとしたことが書けるかと思います。

仰るように、
何より大事なことですので・・・ガムバリます!

アップは年末か・・・あるいは新春になるか。
ひとえに勉強次第ですので・・・むむむ☆

投稿: びーちぇ | 2009年12月14日 (月) 10時30分

読者の皆さまへ

ひらおかさまのサイトでも、
このお話をご紹介下さいました。

そして、貴重な2頭の、
現代の純粋和馬の、美しい写真を載せて下さっています。


家族の一員として愛されている、この2頭は
和の伝統や心を大事になさっている持ち主さまと、
いつも一緒に、
古式豊かに、
奉納馬・御神馬としての奉仕を、
なさっているという嬉しいお話でした。

どうぞ、ひらおかさまのサイトで、
この美しいお馬さんたちに会って下さいませ☆

http://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/60047948.html

投稿: びーちぇ | 2009年12月16日 (水) 13時10分

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