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2010年4月18日 (日)

日本建国 「クニトコタチ」のころ (1) 改訂2010

buna_tokotati


初代アマカミ「クニトコタチ」さまは、どんなお方だったのでしょう。


ヲシテ文書から浮んでくるお姿は、

感性豊かに物事を良く観察し、考察し、

創意工夫も優れた方だったように見受けられます。


その上、リーダーとして人に慕われる方。

私ごころが無く、

自ら実践して良い結果が出ると、

どんな人にも惜しげなく技術を伝え、得たものを与え、

人の幸せをわが事のように喜ぶお方です。

また、先を見通すお力も大したものであったようです。


なんだか・・・書いていて、表現する言葉が見つからないのです・・・汗)

クニトコタチさまに申し訳ないと思いながらも、

つたない言葉でも、お許し戴ける・・・

私などは、つい、そのように思ってしまうくらい、

ふところ深く、心豊かで偉大なお方であったと感じております。



もちろんクニトコタチさまの時代は、

ヲシテが書かれた時代より、

はるかに、はるかに、

7千年以上も・・・大昔のことです。

そう。

「これは我が国の伝承の時代」

と言っても良いのでしょう。


そして時は流れ、流れて・・・6千年ほど後。

いままで安定していた気候が、急変します。


そして、

タカミムスヒ5代目・トヨケさんのお若い頃からは、

社会状況も悪くなっていくばかりとなりました。


寒冷化、農作物の減収、貧富の差。

そして悪行に走る人々。


このような困難を打破して悪を正し、

新しい明るい国を作り上げ、平和に治めていくには、

国の根本理念とは何か、因って立つべきものは何かと、

昔からの伝承をふりかえり、

深い考察を重ね、問い続けて、

それを明らかにすることが必要となります。


その根本こそが「トノヲシテ」



to_wosite


アマカミは「ト」という字の形そのものに、

ハニ(国土)をあらわす□の中に真直ぐに立ち、

両手を高くアメに向かって広げ、

宇宙原理のもとに・・・大自然の恵みを受け、

それを惜しみなく皆に、分け与え続ける人なのです。


恵みを分け頂いた人々は、なんと有り難いことと、感謝の念から、

ますますアマカミを助けて働きました。

それが各自の幸せにも、確実に繋がっていくのが判っていましたから。



クニトコタチさまの建国。

それから続く、ミホカミ・・・古(いにしえ)の3世代・・・は、

まず安定した食を得て暮らすことも、

知恵と工夫の必要な時代でもあったと思われます。


現代でも判るように、

温暖化の途中では、

環境条件がどんどん変わり、

それに対応しなければなりません。


だから、先を見通し考えて工夫しないと、

暮らしが成り立たなくなります。

それでも、ご先祖の方々は、

アマカミを中心に「トノヲシテ」の元に、

心を一つにして、助け合っていかれました。

みんなで幸せな国をつくろうと、希望に満ちて働き続けたのです。





そのような建国の「クニトコタチ」さまのお姿を想い、

トヨケさんや、アマテルカミの尊敬の念は篤く、

あの御世のように「すべてのタミと心一つに」との、

理想への憧れも強かったのだと思われます。


そして遥か昔の御世のことを・・・

わがクニに残る「すべての伝承」を整理して、

何一つもらさぬように、フミに「ソメられた」のです。

(古代は紙ではなく、布のようなものに染めて、ヲシテを記したのかもしれません)



しかし、とても不思議なのは、

どの民族もこのような太古の昔を、神話の形で表しているようですが、

我が国の場合は少しく違い、あくまで人である祖先のお方。

「生きていらした人が為された物事」というニュアンスで書かれているのが特徴です。

いって見れば実際的。現実主義。

作り話、ファンタジーなどは好まれなかったようです。


それは、もしかしたら我が国が地球上では特異的に、

風土が穏やかで、豊かだったことから来ているのかも知れません。

建国期はちょうど温暖化の途中であり、

その後安定した温かい時期(ヒプシサーマル)が数千年にわたり続いたのです。


また列島の形も南北に細長かったので、様々な多様性にも恵まれていましたしね?

台風や地震、火山の噴火などはあっても、

海に囲まれていることから、

異民族の暴力的な侵攻からは守られ、

皆で協力すればなんとか生きていけるような、地理的環境です。


ファンタジーや、奇跡に頼らなくても、

夢を持つことが出来たのではないでしょうか。

そう、努力すれば報われる。


基本的にはそのような風土であったと思います。

その故に死生観なども大変明るく、

この世で生きていくことは大変楽しいことなので、

死んでタマとなり、アモト(大宇宙の中心)へ還っても、

また、なるべく早くこの世に戻って、

コダネに宿り、肉体を得て、

新しい生を楽しみたいというものでした。

これを「ユキキノミチ」と言います。


このように明るい思想を産み出したこの風土は、

いつ頃からこのように成ったのでしょうか?


Yama_kumo


  日本列島の気候は15000年前以降、世界に先駆けて、

  大陸型の気候から海洋型の気候へと移行し、

  日本列島の北緯40度(秋田県八郎潟、また岩手県八幡平付近)以南の、

  多雪地帯を中心として、ブナやナラ類の温帯の落葉広葉樹林が拡大した。

  この温帯の落葉広葉樹の森の中で、

  最古の土器を持った縄文時代草創期の人々が生活を開始した。

                          ・・・(中略)・・・



  福井県鳥浜貝塚の発掘調査によると、

  縄文時代草創期の隆起線文土器を携えた人々が

  14500年前頃から居住したことが明らかになった。

  花粉分析によると、その周辺は、うっそうとしたブナとナラの深い森であり、

  人々は三方湖でヒシの実や魚介類を採集し、

  ドングリやクルミなどの堅果類を採集し、

  イノシシやシカなどの森の動物を狩りしていたことも明らかになった。

                      『稲作漁労文明』 安田喜憲 著  雄山閣 より



もちろん日本建国より遥かに昔のことです。

「当時の」日本列島の人々は、

大陸伝いにやってきて住み着いた人たちで、

現在の研究によると、

大陸の北、あるいは華北(黄河のあたり)からやってきた、

モンゴロイドという説が有力になっています。


この人たちは、全国にほぼ均等に住み着いていたと思われ、

石器時代および縄文時代の全遺跡を丁寧に調べ、

人数を推定した小山修三教授によれば、およそ3000人ほどであったそうな・・・



そして13000年前。

今では「バイカル湖人」とも呼ばれる人々が、

大波のように何度も何度も、樺太方面から押しよせてくるのです。

その数、推定7000人!

そう、今まで住んでいた人々の2倍以上の人々。

しかも北方系の故か、暖かすぎる(!?)西日本には行かずに、

東日本・・・琵琶湖の辺りまでに留まるのです!


東日本の人々は1500人あまりでしたから、

5人のうち4人は、この移住してきたバイカル湖人になりました。


この人たちがやってきたのは、

もちろん安田教授の言われる15000年前より後の気候大変動によります。


彼らは、ビッグハンターと呼ばれていたような人たちの裔で、

鋭い刃を何度でも取り替えて使えるという(当時の最新ハイテク器!)

細石刃石器を携えて、大型動物を狩る人々でした。

マンモスステップの消滅の後に、獲物を求めて移動してきたのです。


ところが・・・

やっとたどり着いた日本列島も、彼らの土地と同じ状況で、

草原はなく、深い森が広がり、追い求める大型動物の姿もありません。


飢えに苦しんだ人々は、やむなく、

食料獲得の手段を変えざるを得ませんでした!


森の生活に慣れている土地の人のように、

定住し、土器を作り、木の実を集め、魚や小動物を捕るような暮らし。


けれども、東日本では5倍以上に急増した人口と、

その後も安定しない寒暖の激しい気候によって、

飢えに瀕することも、まま有ったのではないでしょうか。



この困難を解決なさったのが、

後に「クニトコタチ」と呼ばれた方であったと思われます。

時は1万年前。

縄文時代早期末にあたります。


  ちなみに、安田教授は色々な民族の歴史を検証なさって、

  「気候の変動による人々の移動、

   それに伴う、異文化との接触と、

   人口圧の高い中に、

   非常なる困難が生まれたときにこそ、

   必要な新しい技術や文化が生まれ進歩する」

  という意味のことを、繰り返し述べておられます。




さて、いろいろな資料を総合して、

当時の地図と、人口増減の図を作成してみました。


※ このサイトでの年代は、ほぼ実年と思われる「較正年」を使用しております。

Bc10000_2


Photo_3


Photo_4


さて、

クニトコタチさまの日本建国の時期(1万年前頃)を

上記グラフにて、ご覧下さい。 

変動を繰り返していた気温も、

以後はゆっくりと安定して上昇しています。


そして建国後の縄文前期になると、

東日本で人口が4倍以上、

西日本でも2倍以上に増えているのは、

「飢えなくなったため」ではないでしょうか。



ちなみに、この時代の食の特徴なのですが、

木の実や魚や貝、ときには肉や海草などを、

土器の中で「ごった煮」にして柔らかくし、

芳醇な味を楽しんだり、

燻製の魚や肉を作ったり、

後に縄文クッキーといわれるような、

保存食・携帯食(?)まで生まれました☆



こうして、クニトコタチさまの、

栗を中心とする新しい堅果栽培技術が基になり、

しっかりした快適な住居も得て、

豊かな森や川や海の恵みを活かしつつ、

東日本の人口は、縄文期の中期まで増加し続けることとなります。


西日本との人口差が、異常とも思えるほどに大きくなったのは、

安定し、これから豊かに発展・・・という7300年前(前期終わり頃)に、

鬼界カルデラの大爆発という災害が起こった為ではないでしょうか?


九州では、北の一部を除いて、総てが壊滅状態になり、

四国、中国地方でも火山灰の影響は大きいものでした。

そして、その後の土地は痩せてしまい、

特に九州では、極めて生産性が低かったことがあると思います。




さて、皆さまもよくご存知の三内丸山の最盛期は中期(5000年前頃)であり、

気候が寒冷化し、突如放棄されるのは4000年前、

すなわち中期の最末期に入ってからなのです。


そして、この新たなる寒冷化という気候変動から、

東日本の人口は激減・・・つまり大勢が飢餓により死亡したと思われ、

その為に「始めて」

より温暖な西日本への大移動が起こっていきます。



トヨケさん、イサナギさま、アマテルキミの時代は、

晩期の、

さらに寒冷化が進んだ3000年前頃と思われます。



                                   (続く)

 

(旧版 06/01/08)



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コメント

ありがとうございます。
考古学との対照、勉強になります。

ところで、

「宇宙原理の」のところがなんとなく気になります。

なんとも、中華くさい。
我々が、太陽に向かって両手をあげて深呼吸しているような時に、
多分「宇宙原理を吸い込んでいる、宇宙原理と一体化している」
とは考えない・・・。

「ト」には、いろいろな含みがあると思いますが、

・大自然(アメ・ツチ、カミ・ホトケ)との一体感
・みんなが心と力を合わせる
・いろんな人を包容し、しかも筋を通す
・明るく、生き生きと躍動している感じ

そんなことが背景にあるんではないでしょうか。
その要にいらっしゃるのが、無私でながさきに徹される
アマキミ、であられるのだと思います。

投稿: ひらおか | 2010年4月18日 (日) 14時15分

>ひらおかさま

私の意図はお判りの上で、
あえてご忠告頂いたのだと思います。

でもぉ・・・
中華的とは・・・まったく、考えませんでした。汗)

文章は難しいもの・・・ですね・・・
少し手を入れてみました。
ま、これで何とか?!

投稿: びーちぇ | 2010年4月18日 (日) 16時40分

いえ「宇宙原理」という言葉が・・・


原理って、

  アルキメデスの原理

のような物質法則、あるいは、

  原理研究会

のようなカルト、あるいは、

  教育原理

のような屁理屈・・・。
ろくなものがないのです。

「宇宙原理」となると、

  ホーキング博士か、
  オウムか、

そんな感じでしょうか。
いずれにも、「いのち」がないような・・・。

漢字も、音も、イメージを喚起してしまうのです。
「ゲンリ」は、下○の凄まじいものというような。

投稿: ひらおか | 2010年4月19日 (月) 21時48分

>ひらおかさま

仰ることは判りますが・・・

私は、科学的な言葉で表現したかったのです。
しかし、今や「原理」という言葉は、
イメージが悪くなっている・・・そういうことですね?

それでも、
元々は科学の言葉です。
私の考えでは、使って悪いことはないと思っています。
言葉はニュートラルなものですから。

蛇足ながら、
今、書き直しのために引っ込めてあるエントリーですが、
「タカマノハラと物理学」というのを、
お読みいただけてましたかしら?
アインシュタイン・ロマンから、
ヲシテの「宇宙の創造」を解説したものだったのです。

とかく今までのヲシテ文献の内容のイメージが、
安易にスピリチュアルに、情緒的に受け取られていることが、
本当におかしいと思って、書いたものだったのです。

もちろん、私の仮説ではありますが、
アメノミヲヤ=宇宙原理=(サムシング・グレイト)

ここでも(サムシング・グレイト)を、
安易に使ったのではなく、
科学者が使った言葉だということで・・・

>いずれにも、「いのち」がないような・・・。

とお書きですが、
私は、
宇宙原理(宇宙の法則という意味で使っています)が、
命を生み出したと思っているのです。

投稿: びーちぇ | 2010年4月19日 (月) 22時11分

(._.)はじめましてビーチェ様

 たいへん興味深く読ませていただきました。北日本に先祖代々住んでますので、内なるDNAに呼びかけていつかバイカル湖に行ってみようかな?

 ホツマツタヱは実に面白いですね。私みたいな非専門家にはビーチェ様の視点はとてもわかりやすく共感を覚えます。これまで考古学会に無視され続けてきた縄文時代を解く鍵がほつまつたゑにあるのではと思います。三内丸山遺跡をはじめ、東北各地から出土する莫大な数の土器や土偶と併せて、これからの大きな課題ではないでしょうか?

「漢字かな混じり文」は日本人が2千年かかって編み出した優れた伝達手段ですから、それを駆使してホツマ伝を伝えることはごく当たり前のことだと思います。もっとも、漢字渡来以前のやまと言葉をあらわしていたヲシテだけで当時の日本人の心に迫ろうとする主張や試みは必要だろうと思います。ただし、それにこだわり過ぎて排他的にならないことを祈ります。

投稿: バイカル湖系日本人 | 2010年6月 3日 (木) 10時54分

こんにちは。

丸まる子こと在仏高橋ですhappy01 いつもありがとうございます。

私は政治エッセイブログやってます。 ちょっと分野は違いますがリンクさせていただきました。とてもコメントするようなレベルではないのでROM専門ですが勉強させていただきます。どうぞヨロシクhappy02

何かコメント入らなかったようなので、再度書かせていただきました。

投稿: 丸まる子 | 2010年6月 6日 (日) 14時42分

>それにこだわり過ぎて排他的にならないことを祈り

根本的に勘違いされているとお見受けいたします・・・

>「漢字かな混じり文」は日本人が2千年かかって編み出した
>優れた伝達手段ですから、それを駆使してホツマ伝を伝える
>ことはごく当たり前

ホツマツタヱが編まれたときに、漢字は使われていなかった。
だとしたら、漢字に頼らずに、当時の人は考え・感じ・表現
していたことになる。それは、どんなであったのか。

これを追求しているだけですよ。


例えてみればこういうことです。

両親が結婚して、子どもができた。
その子が大きくなって、ある時、ふと開いたアルバムに、
お母さんじゃない人が自分をだっこしている。

お母さんに、これは誰?と聞いても、答えてくれない。
お母さんはとてもよくしてくれる。
僕もお母さんが大好きだ。
でも調べれば調べるほど、あの写真の人こそが自分の本当のお母さんだと分かる。
DNA検査を隠れてやってみたら、今のお母さんと自分は合っていない。

もちろん、僕の性格とお母さんの性格はよく似ている。
2000年も一緒にいたんだから当然だ。

でも、やっぱり本当のお母さんは、あの写真の人だ。


それでね。今のお母さんのDNAの特徴と、
子供のDNAにも似たところがあるとか、
継母を排除する狭い心はダメとか・・・


そういう問題じゃないんですよ。


いまは、生物学の話をしているのです。
社会学じゃなく・・・。

ここを混同すれば、「学問」には成り得ないと。

投稿: ひらおか | 2010年6月18日 (金) 22時32分

> 丸まる子さま

お返事遅れまして申し訳ございません。
このところ、プライベートにかまけて、PCもあけない日が多く・・・
はい、言い訳です・・・汗)

リンク有り難うございます。
実は・・・前々から貴ブログはロムさせて頂いておりましたっ!
高橋さまが、丸まる子さまだとはhappy01
なんという嬉しい偶然でしょうか。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

投稿: びーちぇ | 2010年6月19日 (土) 14時48分

>バイカル湖系日本人さま

ご感想ありがとうございました。
お返事が遅れまして、まことに申し訳なく思っております。

ただ、貴方さまのご懸念が、
私には、いまいちピンと来なくて、
お答えが難しく感じられておりました。

幸い、ひらおかさまが、
判りやすい例えを書き込んで下さり、
やっと私の頭も整理されて・・・お返事できそうです☆


このブログでは、
ヲシテ文献に書かれていることを、
出来るだけ正確に「提示」することが主な目標です。

そして今、
ヲシテの文字の構成や意味、
当時の古ヤマトコトハの文法までが、
ひらおかさま方の研究チームの分析により、
明らかになってまいりました。

これによって、
文献の言葉や内容解明の再見直しが始まっております。

この「ヲシテのクニ」の記事も、
その流れの上に沿って、
「現代日本語」を使って書いているのは、
何度も書いたり、申し上げておりますので、
ご理解頂いていると思いますが・・・


>漢字渡来以前のやまと言葉をあらわしていたヲシテだけで、
>当時の日本人の心に迫ろうとする主張や試みは必要だろうと思います。
>ただし、それにこだわり過ぎて排他的にならないこと・・・

とご心配頂いておりますが、
「ヲシテだけを見つめて」
当時を推察・検証していくことでしか、
真の解明は不可能だと思っております。
ですから、
色々なご意見や、ご見解を頂いたとしても、
その根拠が「ヲシテの字そのもの」から発していない限り、
私としては、納得致しかねることとなりましょう。

1)まず「ヲシテ」が土台となり、研究の出発点となる。

2)考古学との照らし合わせ。

3)必要と感じた時には、漢字時代の文献などをしらべ、
  どのように変化していったか、
  あるいはそうでなかったか、またその理由などを見る。

私は、上記3点をポイントとして、
できるだけ解りやすく文章にして、
「提示すること」が目標ですので、
ご心配は、当てはまらないのではないでしょうか?

投稿: びーちぇ | 2010年6月19日 (土) 18時56分

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