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2010年4月 2日 (金)

ウケモチさんの稲はどこから? (3)  改訂2010

 Photo_5
ウケモチ ガ ハツキ ハツヒ ニ ナル ハツホ   トヨクンヌシ ニ タテマツル  (ホツマツタヱ 15−22)

 


建国の後。

 

クニトコタチさまのヤクタリコ(沢山の皇子)は、

ヤモ(国のあらゆる方面)に遣わされ、

そこに住みついてヲシエを伝えて行かれました。


    ※ ヲシテに書かれる8人とか8つの方向という「8」の数字は

      「すべて」という象徴的な意味を持っていることも覚えていて下さいね?


そのお1人が、カの季節の方向・・・西の方面に行かれた、

カの「クニサツチ」なのです。


ちょっと判りにくいのですが、ここで整理いたしましょう。

方向は中央のヲを起点としてキツサネ(東西南北)

それに対応した季節は、4人の代表的な皇子の名を付けられました。


東(キ)=春(タ)

西(ツ)=秋(カ)

南(サ)=夏(ト)

北(ネ)=冬(ヱ)


そして皇子たちは各地方のヤモヌシ(地方のヌシ)と、なられたのです。

後には、クニキミ、またクニカミと呼ばれる御身分です。

・・・この、地方のクニはまた、「カタ」「ガタ」ともいわれて、

さらには、

「アガタ」というコトハに転じていったようです。

181213_6
 

クニトコタチ モ

ノリメクリ クコ ワ ニ

ヤモ オ ナニガタ ト

ウム クニ スヘテ

オノコロ ソ



クニトコタチさまのノリ(法)は周り中に広がっていき、

法(トノヲシテ)により、しっかりとまとまった(クコ)地方(ワ)が、

たくさん生まれました。


    ※ 「ノリメクリ」は又、掛詞になっていて「乗り巡り」とも解され、

      おそらく馬に乗って各地を回られたと思います。


その地方のクニは、「〜ガタ」という名で呼ばれます。


クニトコタチさまが治められたことで、

クニすべてが「オノコロ」という、

恵みあふれる、なごやかで平和な状態に、

まとまって行ったのです。


このオノコロは、とても大事なコトハとして、

文献中に、しばしば使われております。

Photo_3

ウケステメ(ニシノハハカミ)さんの祖先である、

アカカタノ トヨクンヌは、

カノ クニサツチの次の、

3世代目の「クニキミ」に当たります。

Photo_5

 

   文献初出の個所の「アカカタ」では、

   「ア」がアメミヲヤを表す異字体で記され、

   「カ」は西、「カタ」は国、

   また「アカ」は、明るいという意味でもありますので、

   「恵み多く明るい西の国の」トヨクンヌ

   ということだと思います。

 




さて私は、この頃を紀元前8000年頃と推定しています。

前述の縄文時代海上交流ルートから見ると、

カのクチサツチさまは、

文化の古い長江の方に渡られたのかな?・・・と。


環境考古学の安田教授によれば、

石器時代から栄えていたのは、長江の中流に点々と位置する広い盆地群であり、

近くに、洞庭湖平原や江漢平原といわれる宏大な谷底地平原もありました。

そこには多くの人々が集まって暮らしていたのです。

そして、稲(熱帯ジャポニカ)の粗放栽培なども、

細々とながら始まっていたようです。


なにより興味深いのは、この洞庭湖の西岸には、

長江の運ぶ豊かな土の堆積のおかげか、

中国には珍しいと思われる黒土の平原があることです!

クロソノツミ(肥えて豊かな黒い土)と関係があるのでしょうか?


    ウケモチさんの稲はどこから?(2)の中程、クロソノツミの図解


そして数千年後には、

ここに中国最古の都市型集落(城頭山遺跡)が形成されます。


   栽培種の稲の起源は、長江中流域と思われる。

   中国湖南省玉蟾岩遺跡の洞窟の中では、

   紀元前1万2千年前と推定される籾が発掘された。

   これは今までで一番古い籾である。

   よって、この辺が栽培種の稲の起源である可能性は高い。


   ・・・確実に稲作が行われていたと確認が出来るのは、

   炭化米の年代から、紀元前6500年である。   (安田喜憲)


熱帯ジャポニカの栽培は、その後、数百年かかって、

中流から下流地域へと広がっていきました。

その下流の「河姆渡」では、

その後の気候悪化で、さらなる籾の改良が行われたらしく、

水田用の温帯ジャポニカは、ここで誕生しました。

その最古の水田耕作跡は紀元前5300年頃だということです。




ウケモチさんの稲籾はどこから?(1)で述べたように、

日本列島最古の稲のプラントオパールは、

島根県板屋Ⅲ遺跡の、

紀元前5300年の地層の下からも発見されていますが、

この熱帯ジャポニカの籾は、

それより少し前に、長江の河口にある河姆渡から、

直接、海上交易ルートにより、持ち込まれたのではないかと思われます。


また、岡山県にある彦崎貝塚の縄文時代前期の地層(紀元前4000年頃)から、

イネのプラントオパールが、まとまって数千粒も見つかったことは、

その後の稲栽培の広がりを証明したとも言えるでしょう。


とはいえ、佐藤・安田両教授のそれぞれの研究によれば、

我が国の稲栽培は、数千年もかかる大変ゆっくりした広まり方でした。

その理由としては、

ちょうどヒプシサーマルと呼ばれる安定した温暖期が続き、

特に日本の東部地方は、海の幸・山の幸もひときわ豊かであったのです。

食料は豊富で満ち足りていたのですから、

お米のように良い、美味しいものであっても、

手間ひまのかかる作物は栽培され難かったとのこと。


おそらく、年に数度の祭の時に捧げられ

食される程度であったのではないかと、いうことでした。

(彦崎貝塚の数千粒のプラントオパールも、

 祭祀のために集められ捧げられたもののようです)



ウケモチ ガ ハツキ ハツヒニ

ナル ハツホ トヨクンヌシニ

タテマツル キミハ カシキノ

ユフ ニキテ アメナカフシノ

カミ マツル ソロノ ホツミノ

ミケモ マタ ウスツキ シラケ

ハツヒニハ カヰト シルトソ      ホツマツタヱ 15−22より


ウケモチさんが育てた稲は、

8月1日に収穫祭を行うほどに実ったといいます。

それでその貴重 なお米を、

当時の3世代目のアマカミ「トヨクンヌ」さまに捧げました。

キミはユフ(コウゾのような木の皮を紡いで織った布)を、

カ・シ・キ(赤・白・黄)に染めた幣で

「アメナカフシ」を祀り、

その初日には、米を臼で搗いて精米(ウス ツキ シラゲ)して、

粥と重湯(カヰとシル)を作り、供え物となさいました。


ずっと後世のアマテルカミも、

「昔は年に1度しか米を食べなかった・・・」というお話をなさっています。

しかし皆健康で、長寿であったということなのです。

Photo


それが劇的な変化を見せるのが、

紀元前1000年頃の気候変動に伴う食糧不足 ・・・

                                              (安田喜憲)

  

なんとこれは、

6代アマカミ・オモタルさまの時代では?


その危機をのりきるために、

イサナギ・イサナミさまも、アマテルカミも、

続くアマキミ方も、

タミの為と、一心に、

お働きなされたのですね。


安田教授によると、大陸では、それより以前から気候寒冷・乾燥化によって、

食料不足の畑作牧畜の民が、大規模な南下を始め、

長江流域で栄えていた稲作・漁労の民は、

しだいに山地や僻地に追いやられていきます。

その一部は同じ稲作・漁労の人々の住む、

朝鮮半島沿岸や、日本列島にも移り住んでいったそうです。


                    → 寒冷化による大陸の民族移動図




以上さまざまな考察を致してきましたが、

特に環境考古学と照らし合わせることによって、

ヲシテの記述が次々と検証されるのは、

とても素晴らしいことと、喜んでおります。

・・・・ただ・・・勉強が大変ですが・・・汗)


それとともに、現在の私たちが考える国というものと、

当時の「クニ」という概念は、

どうも違っているのではないかと感じました。


なにより「キミ」という無私のお心を持つリーダーを戴いて、

「トノヲシテ」のもと、

「オノコロ」と纏まっていったのが、

私たちの日本(ヒノモトのクニ)なのですから。


カミノヨ(祖先の世)は特に、

人種もいろいろ、出自もいろいろ。

ミヤヒ(思いやりあう)の心で、助け合うのであれば、

何処の人であっても出入り自由と、

クニは開かれていたのですね・・・



だからこそ、

発音しやすいシンプルな5つの母音で、

まず「ヲシテ」が作られた。

次にその字を使って、

コトハ・・・誰にでも解りやすい合理的な言語・・・を、

作り上げたのです。


それは、建国にあたり、

クニトコタチさまと、その周囲の方々の、

最初のお仕事ではなかったでしょうか。



最後に紀元前2世紀より前(もちろんヲシテ時代)の、

発掘された温帯ジャポニカの籾の遺伝子図をご覧下さい。

そのうち1種類は、長江から直接渡来したことが解ります。

Photo_13


ウケモチさんの籾(熱帯ジャポニカ)も、

イサナギさまが水田に播かれた籾(温帯ジャポニカ)も、

やはり、ご縁の深い長江河口付近から、

直接、持ち込まれたのではないでしょうか。


(旧版 06/07/17)



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コメント

逆の可能性は考えなくてもいいのでしょうか。

稲の原産地が日本列島であるというような。
いろいろ調べると、またプラントオパールが出てきたりして。

少なくともヲシテの記述には、

「ア に こえば ・・・ ア に クタス」

とあり、「ア」に請うと、「ア」に下ってきたというのが、
なんかしっくり来ません。
単に自生してきたということかも知れません。
この場合は、日本原産になります。


その直前の

「カミ が うけ ナを」


ウケモチさんが、何処かから「受けた」ということでしょうか。
そして、「名を」に「アに請う」んでしょうか。

この場合、ウケモチさんは、長江周辺からタネを手に入れたのかも
しれません。

投稿: ひらおか | 2010年4月 9日 (金) 10時19分

> ひらおかさま

私もいろいろ勉強したのですが、
やはり稲の原産地は、今でいえば亜熱帯、熱帯地方であり、
それが実を付ける栽培種に進化したのも、
残念ながら日本列島以南なのです。

これは、稲の起源を調べられた佐藤教授や、
環境考古学の安田教授の研究により明らかになりました。

・・・付け加えるならば、
稲はもともとは実を付けなかったのだそうですよ!
15000年前の温暖化により、自生地が北上しましたが、
そのぎりぎりの所で、大きな寒暖の差に対応するため、
突然変異で実を付けるようになったとのことです。
この「ぎりぎりのところ」が、
日本列島より南なのですよね・・・


ただし、ウケモチさまが熱帯ジャポニカを栽培なさって後、
代々のお方々が、いろいろな品種改良をなさったと、
私は考えております。
そして、
いわゆる温帯ジャポニカの早生種は、
日本で作り出されたのではないでしょうか。

熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカ両種を交配すれば、
寒い地方でもすくすくと育つ、
早生の稲が生まれることが判っております。

アマテルカミが、当代のウケモチさんへ強い種籾を求められたこと。
継嗣のカタノミコトが奉ったのが、この早生種ではないかと、
想像しております。

「ア に こえば ・・・ ア に クタス」
これは、私も・・・?なので、これから追求してみます。

「カミ が うけ ナを」
こちらの方は

カミ ガ(ウケモチさんが)
ウ(アメの力を表す特殊字)大いなる・力のある
ケ・・・食べ物
ナ・・・植物

「大きな力を持った、食べられる植物」
と、解しておりますが、
いかがでしょうか?


投稿: びーちぇ | 2010年4月 9日 (金) 12時12分

「うけな」については、まずそれが正統と思います。
特殊ヲシテだからです。

特殊の「う」が、動詞の「受ける」の意味で使われている
ところって、なさそうです。
でも、なんとなく、名前をアに請うのもありなような。
掛詞かもしれません。


「ア に こえば ・・・ ア に クタス」は、???です。

アに 請うているのに、
「何かが」 アに 下している。


「に」の用法は、古語でもかなり現代語と語感が違います。
それが原因かな。

投稿: ひらおか | 2010年4月 9日 (金) 13時24分

「ウケナ」は、
確かに掛詞がひそんでいるかも知れませんね?

ヲシテには本当に奥深い意味がかくされていますから。

「ニ」の用法については、そして同じような助詞(?)なども、
現在の使い方と違っていると私も感じています。
これも、これからの課題になりましょう・・・
頑張らなくては。

投稿: びーちぇ | 2010年4月 9日 (金) 16時19分

大変にご無沙汰しております。
お元気ですか? いかがお過ごしでしょうか?
今も、あの素敵なお住まいにおられますか?

私、色々ありまして〜〜(人生いろいろ)(笑)。
メールも全て消え去り。。

今、故郷から便りさせていただいてます。

私は、今は、ヒプノセラピーというか、潜在意識療法を楽しんでいます。

素晴らしい記事を読ませていただき、感動しております。

お時間ございましたら、お返事いただけると幸いです。
では〜〜。


投稿: 池上久美子 | 2010年4月15日 (木) 00時19分

> 池上さま

まあ!
お久しぶりでございます。

いろいろ・・・あるのは、お互い様のようで。笑)
でも、お元気そうでなりよりです。

私の近況はプロフィールでご覧下さいませね?
今も外では工事進行中にて、
出来上がるのは秋になるでしょうか。

家も小さくなりましたが、
また機会があるときには、お立ち寄り下さい☆

投稿: びーちぇ | 2010年4月16日 (金) 15時26分

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