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2006年3月 2日 (木)

心にひびく「ウタ」 

masurao


ますらをの かなしきいのち つみかさね  

つみかさねまもる やまとしまねを            

                 三井甲之(みつい こうし)


あの、三井甲之さんのおウタ(和歌)には、
想い出の深いものがありました。
もう20年以上にもなりますか、ヲシテ文献の研究の創始者の、
松本善之助先生の研究会の時に、
必ず唱える、和歌だったのです。

おもえば、近々の国難と申せますところの、
明治維新の際には、
多くの、国を思うお人たちが自らの命をいとわずに
運動に参加なされました。
吉田松陰先生の、あのおウタも思い出されます。

九州に、松本善之助先生のお供をさせて頂いた時は、
眞木和泉さんの墓参を、是非にと言うことで、
水天宮というのに、
あの時は、暑い盛りでした。     (なかひで)


     ※ やまとしまね「を」は、
       古代ヤマトコトバの助詞では、「お」につくります。

     ※ 眞木和泉
       
幕末の久留米水天宮の祠官で尊王攘夷の心篤き人。
       禁門の変に破れ、天王山に逃れるも新撰組に追いつめられ、
       銃弾を撃ち尽くし、割腹自刃する。        
       その壮烈さ、潔さには敵方の近藤勇が心打たれたと言う。
 



三井甲之さんのことは、なかひでさまに教えて頂き、初めて知りました。
いろいろ調べてみますと、素晴らしいお方です。


三井さんは明治時代に短歌革命を果たした、
正岡子規の流れをくむ歌人です。

子規の門弟といえばアララギ派が有名ですね。
そして正岡子規の提唱した「写生」については、
アララギ派内では斉藤茂吉らによる解釈などで、
その精神性が変容して行きました。

正岡子規の精神の継承者としては、
三井甲之さんの方が、より正当であるといえるようです。

しかし、三井甲之さんの歌や歌論は、
歌壇から不当に抹殺され続け
表舞台に出ることはありませんでした。
しかし、その流れは現在においても脈々として継承されて来ています。


私が感じたのは、本当に純粋な「やまとごころ」です。
そして、それゆえの・・・白樺派との対立です。


一筋に「やまとごころ」を守ろうとされる三井さんに、
かの
武者小路実篤は、反論を浴びせかけました。

当時は大正ロマンチシズムの時代。
世の中は西洋の自由思想、個性尊重に酔っていました。
そこから、
武者小路さんが「世界的・人類的」という思想。
そして、三井さんは「国の伝統的なこころ」を尊重なさっているのです。

でも、まるで論がかみ合っていません。立場がはっきり異なるからですね。


「君たちが乃木大将を詩人として、理想的の人としてまつり上げるのは、
 明らかに西洋文明、西洋思想の模倣を憎むあまりに
 後戻りをしようとする運動に他ならない。」

「ゲーテやロダンを目して自分は人類的の人と云い」、

乃木大将について
「人類的の分子の少しも持たない人」としています。

その殉死について
「・・・かくて自分は乃木大将の死を憐(あわ)れんだのである、
 もし彼にして名誉心以上の動機で死んだのならば。

 ・・しかし残念なことに人類的なところがない。
 ・・西洋思想によって人間本来の生命を目ざまされた人の理性は
 それを賛美することを許さない。」

ときっぱり意思表明しています。 

「西洋文明・西洋思想にふれればふれる程、
 吾人(我々)は益々(ますます)自覚を得られるのである。
 自由を得られるのである。
 無知なる行動をせずに真に自己の価値を発揮する道を知るのである。」


でもね・・・これは言い過ぎですよっ!
三井さんはきっと、
西洋文明の思想的なマイナス部分
感じ取っておられたのではないでしょうか。

それに言わせて頂くならば、武者小路さんたちは恵まれた階級の、
いわば、おぼっちゃま達です。
国民の多くの、食うにも困る人たち(ことに東北の農民)の苦しみは、
おそらく実感としてはお分かりにならなかったと思われます。

しかし三井甲之さんは、そうではなかったのです。
ひとりひとりの民あっての国、であったのですから。

また、彼にとって不利だったのは、
あの2・26事件を引き起こす原因となった、北一輝と、
思想的に同一視されてしまったことが挙げられます。

しかしそれは、まったく違っています。
もっと本筋の日本の深い心の思いを、
言葉の持つあやうさを知りつつ、伝えると言う、
言葉の持つ生命、また使命と言うものに、生涯を捧げられたのです。

彼は国粋主義の人ではありませんでした。
雑誌「日本及日本人」に、三か年連載したゲーテの『フアウスト』訳は、
その表れではないでしょうか。

また水島総さんは、三井さんのこのウタについて、
次のように論じておられます。


この歌は、私が尊敬する故村上一郎の「浪漫者の魂魄」という評論集に
引用されている。
村上は、その中にある「尚武のこころとは何か」「日本暴力考」の章で、
日本古来の「武」の心とは、
人の生死に「あはれ」と「羞らい」を知る「もののふ」の心であったと
指摘している。

日本人にとって戦いは、単に敵を抹殺、殲滅、命を奪うだけの、
いはば西欧の「狩猟」のような戦いでは決してなかった。

日本人には、他者の命を奪うこと、これはどんな敵であっても、
あるいはそれが人間以外の動物であっても、
それはどこか「羞ずかしいこと」であり、
羞恥の心にも似た感情が常にあったのである。

村上は、古事記から説き起こし、
日本最初の武人たる須佐之男命(すさのおのみこと)が、
「荒ぶる魂」の暴力だけではなく、
「あわれ」のこころを体現する涙の人であったこと、
そして、その後継者たる日本武尊(やまとたけるのみこと)もまた同様であり、
万葉の防人から源平の戦い、戦国から江戸、明治維新、
そして、大東亜戦争にいたるまで、
私たち日本人の魂には、そういう心根が存在したと主張する。


 かくすれば 

 かくなるものと知りながら
         
 やむにやまれぬ大和魂           吉田松陰



もうひとつ、すばらしいウタを見つけましたので、ご紹介しておきますね。
晩年歌壇に忘れられたかのような三井さんは、

『墓碑銘−石にしるすことば』書かれました。

しかし、どうもお墓には刻まれなかったみたいですね・・・
山梨文学館にはこの言葉が、

自筆のままに
、シルクスクリーンにて再現されて展示されているようです。



『石にしるすことば』

コノ石ハ
天地(アメツチ)ノアヒダニアリテ
天地ニツラナリテ
ココニアリ。

コノ石ニ
コトバヲシルス。


人ハ死スレドモ
コトバハ生キテ
イノチヲツナグ。


コノツナガリハ
地上ノサカヒヲコエテ
ヘダテナキ宇宙ニヒロゴル
コトバコソ
カギリナキ生命ノシルシナレ。


イマソノコトバヲシルス。
ワガイノチノシルシナリ
ココニシルスヤマトコトバハ。


なんとも素晴らしい言葉ではありませんか!
松本先生は、これを深く感じ取られて、
門下の方々に伝えられたのだと思います。


失われてしまった、消されてしまった,

「古代ヤマトコトバ」

ヲシテという

「縄文文字」を思う時

この言葉を噛み締めずにはいられません・・・


もうひとつ感動的なのは、
忘れられていた歌人「
三井甲之」の全集を出版しようと努力なさった、
吉川悦司さんのことです。
静岡市で電化ストアを営みながら、独力で
『三井甲之全集』を編纂されていたそうな。
そして、残念なことに未完のまま亡くなられましたが、
吉川さんは密かに、この墓碑銘を自分で石に刻んでおられたのだそうです。



完成しなかった三井甲之全集」by 福岡哲司

吉川さんの奥さんが

「あっ」

と声を挙げた。

「主人が石板を買ってきて刻んでいたのはこの詩です。」

ぼくも吉川さんがみずからノミでこつこつこの詩を刻んでいたのを知っていた。

この詩の石碑を芸術の森に建てさせてくれないかという申し出を、
以前、 ぼくは断っていたのだ。

小さな石板のようなものだったら展示に使えるかも知れないと言った。

『石にしるすことば』碑も未完に終わった。

ご家族は甲府の羽黒の青松院の三井甲之の墓に参った。
そのあと、「ごあいさつだけでも」というので、
敷島の三井さん宅にお連れした。
玄関先でというのを三井広人さんや奥さんのご厚意で座敷に上がった。

 吉川さんの奥さんは

「先生をあれほど尊敬し続けられたなんて、主人はほんとうに幸せでした。」

と言った。

甲之に対する思いが少しはわかったような気がするとも言った。

12:00 午後 |

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» 尊皇の志士? トラックバック 思うて学ばざれば則ち殆し
 以前の記事で、皇室典範改定問題について、「男系維持の意見ばかりではなく、女系容認の意見も聞き、互いの論拠や争点などを、もっと深く理解したいと思っています」と書きました。今回はその流れで、男系・女系のどちらとも言わず、「草莽の論ずることではない」とする方々の論拠、っというよりも思想について、妄想を巡らせてみました。右翼団体と言われる方々の多くは、この考えだそうです。なんせほとんど発言していませんので、論拠といっても「論」がないのですから、そのように行動させる思想・考え方にしか妄想できません...... [続きを読む]

受信: 2006/03/04 9:31:19

コメント

TB有り難うございます。
びーちぇさんは幾つもブログをお持ちなんですね。
天皇は昔から、自身のお気持ちを伝えられるときに歌を詠まれました。
古代の昔からの歌が今も伝わる。
人ハ死スレドモ
コトバハ生キテ
イノチヲツナグ。
ですね。

「しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花」

投稿: まさ | 2006/03/04 18:41:42

初めまして。gangeeと申します。
私のサイトにご訪問頂き有難うございました。
古史古伝に、興味をお持ちですね。
私も古史古伝の存在を知った時は、驚きました。熊本にも かなりあるようですね。
では また。

投稿: gangee | 2006/03/09 7:32:39

写真の貼り方が解らなくって、ゴタゴタやっていました。このブログは便利です。
あんまり便利なものは、ちょっとすぐには、解らない。
ヲシテも同じで、
あんまり大切すぎて、ちょっとすぐには、解らない。

なにしろ、10年間も、研究塾へ
遠いところから、通い続けて、来てくださって、
やっと解った人もあるのです!
石の上にも、10年です。

ブログの、操作がわかるのは、
どのぐらいでしょうか?

投稿: やまとうた3 | 2006/03/27 14:46:56

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