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2006年6月10日 (土)

【ヲナワ】 サルタヒコさんからの 伝承神事

Me_nawa

 

今日ほどびっくりしたことはありません。


現存するヲシテ文献で一番古いと思われる「フトマニ」という文書の中、
サルタヒコさんによる【ヲナワ】に出てくる神事が、
形は少し変わっていますが、
現代にも伝わっていることを確認出来たのです☆

もちろん池田先生が、各地にその伝承は残っていると書かれていました。    

『校注 ミカサフミ・フトマニ』参照。

 

この写真は「ほんの あなろぐ」さまからお許しを得て掲載させて頂きました。
場所は、奈良の飛鳥川

 

 両側を山に囲まれた飛鳥川沿いの雨に濡れた舗装道路を歩く。
 少しすると飛鳥川を一本の太い縄がかかっているのが見えてきた。

 栢森の勧請綱だ。縄の中央には藁で作った蜂の巣のようなものが
 吊り下げられている。

 ここから下流の稲淵にも同じように飛鳥川にかかる縄がある。
 稲淵のは男綱、ここ栢森のは女綱と呼ぶ。

 男・女で呼ぶことからわかるように、
 この蜂の巣のような形のものは女性器を表している。
 下流の稲淵には男性器をかたどったものが吊り下げられる。

 「ほんのあなろぐ」さまから、引用。

 

Wo_nawa2

 

さて、この神事は旧正月11日に行なわれ、
綱のかけ替えを「カンジョ掛け」とも呼んでいるそうです。

飛鳥川を越して悪疫などが集落に入ってこないよう、
また五穀豊穰、子孫繁栄を祈る神事だということです。

縄に下げるのは、一種の注連縄(しめなわ)と考えられるとのこと。
上流、下流の間は結界になっているのでしょうね。

全文は、ぜひ上記のサイトにいらして読んでみて下さいませ。
他にも、写真付きの心和む紀行文が満載ですから☆

 


さて、この神事のもとは「サルタヒコ」さまが広められたようです。

それを証しているのが、ヲシテ文献のうち「フトマニ」の中の、
【ヲナワ】というワカなのです。

実に、紀元前800年頃のことでしょうか。

この「フトマニ」は、ヲシテ文献の中でもいちばん古きに成立したと思われます。
アマテルカミのお手になるワカ(御製)も、中にはいくつかあるそうです。

アメミオヤの意を頂くため「モトアケ」図をもちいて
「ウラナヒ」をしていたわけですが、
その卦の解釈が難しかったため、
それを助けようと、説明をワカの形で記したものなのです。

アマテルカミは128種の卦に合わせ、皆にも広くワカを求めらた。
集まったものを、自ら編纂されて完成した最も貴い文書、
それが
「フトマニ」であると伝えられています。

 

我が国の古くは、神意(アメ、または祖先の)を伺うのには
「カメウラ」また「カユフトマニ(粥占い)」もあったようですが、
5代タカミムスビで、アマテルさまの外祖父でもあった「トヨケ」さまが、
祭祀においても、今までの神体系を整理され、
この「モトアケ」という、不思議な力を持つ宇宙図を作られたようです。

以後、カユフトマニは別として、

このフトマニでのウラナヒが常となりました。

 

Wonawa_futomani_3

 

世の中が治まるには、一夫婦づつの円満が基礎で大事であるとて、
それを推進していった人物がサルタヒコさんであったとは、
池田先生のこのワカの解説にもありました。

 

ヲのナワの ユウわ サルタの ツツマヤカ

トリヰに ホトお カクン カサナワ

 

かなり難解でよく意味が解らないコトバも入っています。
また、原文の一行の書き方も独特で、他のヲシテ文献とは違っています。

もしかしたら、この形も神事としては大事なのかも知れません。

というのは、例えば、

通常のワカは5,7,5,7,7,の31文字です。
しかし、浄め払いに効力のあるウタは32字とされ、
これには、哲学的な(そして縄文科学の?)意味があるのでした。

 

また別の例は、記紀でのイサナギ・イサナミさまの国産みの箇所。

実際のコダネを得るという「トツギノリ(嫁ぎの法)」の描写を、
神話に仕立ててしまったたのですが、
この時はすでに、
神事におけるコトバの音や、字数などの意味は、失われていたと思われます。
そのために(日本書紀でさえ)大事な文章がみなカットされているのです。

子産みのノリを、床入りの前にイサナギ・イサナギはなさったのですが、
最初はとしての方向「左回り」は「右回り」とか、
また相手への褒めコトバの順序や、言うべき音や字数が違っていたため、
結果として、御子は体内で充分に育つことが出来ず、
早産なされたのが「ヒヨルコ」でした。
その後教えられて、正しい方法でノリをなさったので、
御子が授かり育った、というのがヲシテに書き留められた真相です。


余談になりますが、記紀ではたぶん死産であったこのヒヨルコと、
立派に成人なされた「ヒルコ」ヒメとを一緒くたにしています。
そのため、アマテルカミに姉ギミがいらしたことなどは伝わらず、
ワカを広めたという素晴らしい業績も分からなくなってしまいました。
称え名はワカヒメ、ニフノカミなどです。

 

さて、上にある色紙の図がモトアケです。

中心の上にある左回りの渦は「ア」という特殊文字でアメを表し、これは
下の右回りの渦は「ワ」で、あるいはこの世を表して、これはを象徴するヲシテです。

フトマニのワカの字数は通常の31文字ですが、
このように、9,10,9.3、と行分けして書くことによって、
心に深く届くとか、ある種の効力が生まれるのでしょうか?

ちなみに他の文献においては、ウタ以外はみな5,7に書き、
それが1行となっています。
ヲシテの正式文書の形です。

このような約束事は、ある意味科学の実験と似ているなあと思います。
または、お料理のしかた、調理法・・・でも良いかな?

正しい方法でないと、実験も成功しないし、
美味しい料理も完成しませんよね。

 

このように、祈りのことばは特に、字数も大事な要件であり、
それからすると、
記す形も崩してはいけない、大事なものかも知れないと思ったことでした。

また特筆すべきは、
このような神事、あるいはノリ(法則)もシャーマニズムの影は無く、
あくまで自然法則に基づくという、科学的な姿勢がうかがえるということです。

ですからウラナヒとはいっても、呪い(まじない)の要素は皆無であり
むしろ現代の方が、後に入ってきた大陸の思想に毒され、
一般的にもオカルトの流行を招いているのが残念です。

 

 

さて、フトマニの【ヲナワ】の現代訳。

 

男縄を結ぶというのは、サルタヒコさまのお教えによるものです。
鳥居にホト(女陰)を模ったつくりものをかけて、
ツツマヤカに(祀りを)行いなさい。

これをカサ(明るく豊饒をもたらす)ナワとも言うのです。

と、いった所でしょうか。
ツツマヤカが良く解らないのですが、慎みを以てとかいう感じで良いのでしょうか?
ツツマ(シ)ヤカで、シを抜かしたとか。
どなたか考えてみて下さいませね。

象徴として鳥居にヲ(男)の縄でホト(女陰を模ったもの)をかけ、
サルタさまの教えられた祀りをしたらしいのですね。

【ヲナワ】のウタから見ると
当時はもしかしたら、ヲの縄にメの形をつるしただけで、
もうひとつのヲをつるした縄はなかったのかも知れません・・・

それはこの時代、性の謳歌という男性上位的な(?!)風潮が無く、
あくまで「女性の持つ、子供を授かり、産み育てる能力を大事にする」ということに、
目が向けられていた時代でありました。
ですから、この神事は女性を尊ぶ祀りであったと思います。

 

このウタから感じることは、

やはり性というもの、特に女性の役割を大変貴いものとしていたことです。
現代で思うような、猥雑さはなく、

神聖な、アメからのものというとらえ方でしょうか。

こういう感性を大事にし、伝えていかねばと心から思ったことでした。

09:10 午後 | | コメント (2) | トラックバック (1)